モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

祝福を求める

2022-03-08 05:32:58 | わたしに従って…
喜びの便り 3月8日
自分が祝福を必要とするときに主を求めることができる
(わたしに従ってきなさい 3月6日)


「苦しいときの神頼み」という言葉があります。
よいことだと思います。

苦しくなくてもいつも祈ります。
‟必要なとき”ではなく、‟欲しいとき”に求めます。
それに応えてもらえるとしたら祝福でしょ。

気分よく過ごせますように、楽しい時間がありますように、
料理がおいしくできますように、これはどうすればいいですか…

そんな祈りにも応えてもらえるので、やめられません w
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聖約と犠牲

2022-03-03 05:48:07 | わたしに従って…
喜びの便り 3月3日
主との聖約を尊ぶとき、あなたは「屈することなく神に取りすがる」人であるということなのです。
(わたしに従ってきなさい 2月27日)


主と交わした聖約を守るには何らかの犠牲が求められるようです。
モルモン書を読むためには時間が必要です。
祈るには心を神に向ける必要があります。
教会に集うときには気持ちを日常生活から切り替えます。
喜んでいるなら犠牲とは感じないのでしょうね。

喜びがなくなると、時間を取ることも、心を神に向けるのも、
日常から気持ちを切り替えることも、少なからぬ負担になります。
面倒臭くなり、苦痛になり、そして嫌になるのです。

主との聖約を尊ぶことができるのは、
神に従うことを真心から喜べる人だけではないでしょうか。

(「取りすがる」という表現はあまり好きになれませんが w)
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井戸を塞ぐもの

2022-03-02 05:13:30 | わたしに従って…
喜びの便り 3月2日
生活の中で、生ける水の井戸を塞いでいるものはありますか?
(わたしに従ってきなさい 2月27日)


苛立ち、怒り、この世のことへの執着…
御霊から心が離れてしまいます。

過去の罪、後悔…
主に近くあるためには悔い改めが必要かもしれません。

ネットサーフィン、ゲーム、映画…
福音が心から消え去っていることがあります。

そんなことを考えて心が落ち込んでいるとき…
サタンの誘惑を受けているかもしれません。
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その先にある喜び

2022-03-01 05:18:27 | わたしに従って…
喜びの便り 3月1日
わたしたちは目先の満足と、一層の価値があるもの、どちらかを選ぶことができる。
(わたしに従ってきなさい 2月27日)


サタンは‟目先の満足”で誘惑します。
キリストは‟その先にある喜び”を見るように教えています。

目先には困難があるもしれません。
‟その先にある喜び”を見ることができるなら、
自ら望んで困難に足を踏み入れることでしょう。
困難があっても、その先を見ているので喜んでいられます。

その先にある喜びを見ることができなければ、
困難に足を踏み入れることは難しいでしょうね。
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祝福の価値

2022-02-28 05:55:12 | わたしに従って…
喜びの便り 2月28日
神の祝福…にはこの世的な…ものをすべて手放す価値があると知るのです。
(わたしに従ってきなさい 2月27日)


アブラハムは息子イサクを犠牲に捧げるよう命じられ、従いました。
息子イサクもそれを受け入れました。
驚くべき信仰です。

福音にはそれだけの価値があるのでしょうか。
わたしにはまだ分かりません。

だたこれまで、少しずつ福音を選んできました。
その喜びは確かなものであり、今のところ後悔はありません。
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