モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

心の琴線

2021-02-21 05:49:24 | 救い主の方法で…
心の琴線に触れ(た)一つか二つの重要な事項(が大切)であることがしばしばあるものです。
(救い主の方法で教える)

先日、宣教師との出会いについて書きましたが、わたしの「心の琴線に触れた」ことは、
‟彼らが自分の望みのままに生きており、そのことを喜んでいる”ことでした。

おそらく彼らはそのことに気付かなかったでしょうが、
そのことはわたしの人生を大きく変化させました。
‟御霊によって与えられること”にはそのようなものが多いものです。

ジョセフ・スミスの心の琴線に触れたことは、‟宗教間の争いに対する疑問”だったかもしれません。
皆さんの改宗の経験にも、‟心の琴線に触れたなにかしら”があったと思いますが、いかがでしょうか。
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自分を知る

2021-02-20 06:02:19 | 救い主の方法で…
(自分)についてよく知れば知るほど、…福音を…生活にどのように応用すればよいか分かるよう(になります)。
(救い主の方法で教える)


「自分のことは自分が一番よく知っているし、
周りの人は、たとえ家族や親であっても、自分のことを理解していない」
福音を知る前はそのように考えていました。

その考えはある一面では正しいのかもしれませんが、
ある一面では自分よりも周りで見ている人ほうが、自分の本当の姿を見ているようです。
そしてそれ以上に、神がよくご存じてあることを知りました。

福音を知って、‟自分自身の本当の姿に気付いていない”ことを認めるようになりました
神から与えられる試練は、「自分の本当の姿を知るために与えられる」とさえ思えます。

「自分を知る」とは、‟自分が神の子どもであることを認めて受け入れる”ことです。
それは‟改心”の原点であると感じます。
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心を向ける

2021-02-16 05:57:51 | 救い主の方法で…
わたしたちが仕えている主(は)…人々に…心を向け(ました)。
(救い主の方法で教える)

何かを伝えようとするとき、聞く人に心を向ける必要があります。
相手がどう感じているか、どのように理解しているかを確認しながら話すのです。

そのことを忘れて一方的に話すなら、何も伝わらないまま、
もしかすると誤解さえ生じるかもしれません。

イエスは教えるときに多くのたとえ話を用いました。
それは聞く人が、その教えを自分自身の経験に当てはめられるようにするためでした。

聞く人は話す人の心に目を向ければ、聞き上手になることができます。
話す人も聞く人の心に目を向ければ、話し上手になることができます。
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神が見るように

2021-02-14 07:11:34 | 救い主の方法で…
皆さんが(周りの人)を、神がご覧になるように見ようと努めるとき…彼ら(を)助けるために何をすべきか御霊が教えてくださいます。
(救い主の方法で教える)

人は‟純粋な真心からの愛”が心にあるとき、神が見るようにその人を見ています。
その愛こそが‟キリストの愛”だからです。

例えば、母親が生まれたばかりの我が子を見るとき、そこにはキリストの愛があります。
それは‟無条件の、心の内から自然に湧いてくるもの”だそうです。

残念ながら、父親であるわたしにはその思いを、
完全には理解できていないかもしれませんが、想像はできます。

キリストの愛があれば、そこに御霊の導きと助けがあるのは当然ではないでしょうか。
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祈るとき

2021-02-11 07:48:29 | 救い主の方法で…
祈るとき、心の中にどんな変化が起こるか考えてみてください。
(救い主の方法で教える)

神様は存在します。
どうしてそう言えるのですか?

わたしたちは祈るときに、小さな励ましと小さな心の変化、小さな決意を感じています。

祈ることが難しいと感じたことがありませんか。
それは、それらの気持ちを感じ取ることができないときです。

人からの愛を感じるときに、励ましと心の変化、決意を感じたことは誰にでもあるでしょう。
祈るときに同じ気持ちを感じることができます。

それが神様の存在する証拠です。
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