教会の批判を耳することがあります。
感情的なことは除いて、納得できることも少なくはありません。
教会の問題点を的確に指摘していると思えるからです。
聖書は聖約の民の歴史ですが、そのほとんどは叱責の言葉です。
昔から神の教会には多くの問題点があったようです。
神の教会といえども、所詮は“人の集まり”ということです。
神の教えがあるから神の教会であり得るわけですが、
神の教えを人の過ちが覆い隠してしまい、
何のために存在しているのか、見えなくなっているのです。
じゃぁ何のための教会なの? って、当然の疑問でしょう。
次の三つのことについて考えてみていただけないでしょうか。
① 神は存在すると思いますか。
② 神が存在するなら、神の教会はあると思いますか。
③ 神の教会があるなら、そこには目的があると思いますか。
この三つの質問にYESと感じていただけるなら感謝です。