モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

信仰とは

2019-04-14 15:51:42 | 福音について
好きな人のことを思うのは喜びではないでしょうか。
約束を交わすことができたら、喜んで守らないでしょうか。
相手に喜んでもらえたなら、それ以上の報いがあるでしょうか。

キリストを信じると福音が喜びになります。
キリストと約束を交わすことができたら、感激しませんか。
約束を守った報いを受けることができたらどうでしょう。

「そんな夢みたいなこと」ほとんどの人がそう言います。
経験しなければ誰にも理解できないことですが、
経験すれば誰も疑うことができなくなります。

疑う人を説得することはできません。
それに足るほどの根拠がないからです。
敢えて根拠を挙げるなら、わたしの経験です。

それを“証”といいます。
「真実であることの証人」という意味です。
証は信じる人には力強いものですが、疑う人に対しては無力です。

このような証を信じることを信仰といいます。
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知らないこと

2019-04-14 07:51:14 | 今日の一言
知っていることが増えるほど
知らないことの多さに気づく
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自由意思

2019-04-14 07:10:42 | 福音について
自由意思、選択の自由とは、創世以前から永遠の未来に渡るまで、
神でさえも犯すことのできない原則です。
そしてこの世に争いが絶えない理由でもあります。

人それぞれが、自分の意思を主張し、他人の自由を束縛しようとするなら、
その思い同士がぶつかり合い、争いの種となり、戦争にまで至るのです。
この争いを収める方法はただ一つ、“一致”しかありません。

一致とは、妥協ではなく、他人に合わせることでもありません。
それはただ己を押し殺し、ストレスをためるだけの方法でしょう。
そのようなことは神の教えではなく、むしろサタンの方法です。

真の一致に至る唯一の方法は、双方が自らの意思において神に近づくことです。
神に近づくほどに、お互いの距離が縮まり、一致に近づいてゆきます。
そのための方法を示しているのが福音です。

もちろん、それを求めるか否かもそれぞれの自由意思にかかっています。
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安息日

2019-04-14 06:48:27 | 福音について
安息日(日曜日)には自分のしたいことをしましょう。
ショッピングしたい人はショッピングをし、遊びたい人は遊び、
教会に集いたい人は、教会に行けばいいのです。

御霊を受けたいと望むので、御霊を遠ざけることを避け、
教会に集い、思う存分福音に集中する。
それがわたしにとっての安息日です。

買い物してはいけないとか、運動してはいけないとか、
まるで古代のパリサイ人や律法学者のようではないでしょうか。
戒めに縛られても御霊を受けられるのであれば、それもいいのでしょうが。

福音が自由を得させるものであるなら、安息日にこそ自由であるべきでしょう。
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