モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

優先順位

2019-04-21 07:35:01 | 今日の一言
自分の内に
優先順位を定めていない者は
他人の評価に振り回される



他人の評価というのは、そのほとんどが正しいものです。
ですから、認めざるを得ないし、気になって当然です。

しかし他人は大抵の場合、その人の為すべきことの優先順位までは考えてくれません。
つまり、その点について「他人の意見は無責任なもの」なのです。

自分の内で優先順位を定めている人は、人の評価を無視するのではなく、
為すべきこと、優先すべきことを理解しているので、人の評価に振り回されることがありません。
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祈りの応え

2019-04-21 07:17:01 | 福音について
気の合う人と語り合うのは楽しいものです。
時間を忘れて、会話に熱中してしまうこともあります。
いつもそのような機会を心待ちにしています。

神と語り合うことは楽しいと思いますか。

祈りは応えられるのでしょうか。
真心から、正直に、真剣に、祈ったことがありますか。
涙が流れ、止まらなくなったことはないでしょうか。

一人ぼっちで、相手を感じることなく、そのような祈りができるものでしょうか。
経験があるなら、よく思い起こしてみてください。
祈りに応えてくれる相手を確かに感じていたはずです。

祈りの応えを受けることのできる人は、
神の存在を否定することができません。
神の業、その一つひとつについて証を得ることができます。
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聖霊の賜物

2019-04-21 06:56:13 | 福音について
プレゼントを貰うのは嬉しいものです。
貰ったプレゼントの包みを眺めるだけで、
中身を確信しないなんてことがあるでしょうか。

聖霊の賜物(プレゼント)の中身は何だったでしょうか。

祈りの応えを受ける権利です。
「モロナイの約束」は真実だったでしょうか。
神からの直接の教え、導きを受けているでしょうか。

神からの直接の示しを受けることなく、
「神の教会である」と証できるのでしょうか。
神の教会と言いながら、「人の言葉、教え、導き」で満足できますか。

人を介することなく、神と語り合うことができるのです。
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模範解答

2019-04-19 22:20:17 | 福音について
「この質問にはこう答えればいい」という決まり文句を模範解答といいます。
ある教会員がこう言いました。
「模範解答で答えられたら、それ以上質問する気になれない。」

教えられた言葉を鵜呑みにし、自分で考えることなく、
一言一句違えることなく口にしている、なんてことはないでしょうか。
そのような言葉にどれだけの力があるのでしょうか。

息子が父親に言いました。
「お父さんが信じていることを自分の言葉で言ってほしい。」
このように求めた息子の気持ちが分かりますか。

自らが口にする言葉を、自分自身で深く考える必要はないでしょうか。
教えられた言葉をただ信じ、繰り返すことだけが信仰でしょうか。
学校は正解を求めますが、社会が求めるのは成功です。

正解=模範解答を並べても、成功に至ることはできません。
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バプテスマ

2019-04-19 21:29:57 | 福音について
バプテスマは、過去の自分を葬り、新しい人として生きることを象徴しています。
過去を悔い、生まれ変わることを望む人のための儀式です。
しかし、バプテスマによって生まれ変わるわけではありません。

バプテスマを受けるとき、人はイエス・キリストに従うことを約束します。
主に従うことによって、人は生まれ変わることができるからです。
しかし、バプテスマの時点でそのことを理解している人はほとんどありません。

実際に主に従った結果として、主の約束が真実であることを知ることができます。
生まれ変わる(生き方を変える)のは簡単なことではありません。
忍耐と努力、時間が必要ですが、真心から望むなら誰にでもできることです。

新しい自分に生まれ変わることを望んでいない人、
神を信じることなく、神の助けを必要としない人、
忍耐と努力という犠牲を払う気持ちのない人にはお勧めしません。

神の祝福にまで至ることができるとは思えないからです。


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