モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

2019-07-08 22:13:33 | 福音について
「わたしはあなたの祈りを聞き、あなたの涙を見た・・わたしはあなたを癒す」(列王記下20:5)

心からの祈りに涙が溢れることがあるのなぜでしょうか。
主の前に真心から正直になり、主にそれが受け入れられたと感じたとき、
心は喜びにたされ、それに押し出されるように涙が溢れます。

心と体が御霊によって満たされたとき、
まるで心の中に鬱積したものが涙と共に押し出されるかのように感じられます。
この涙にはどのような意味があるのでしょうか。

悩み事の相談を受けているときに涙目を見ることがあります。
「涙目になっていますよ」と告げると一気に涙が溢れて止まらくなり、
「なぜそんな意地悪を言うのか」と言いながら、気持ちは晴れるのが不思議です。

「神は彼らの目から涙をことごとく拭い去ってくださる」(黙示録7:17)
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成長

2019-07-08 06:23:02 | 今日の一言
成長のある人生には魅力がある




幼い子供は常に成長しています。だから見ているだけでも楽しいものです。
齢を経るごとに成長は鈍り、ついには努力を怠るなら、
「何も変わらない退屈な日々」と感じられるようになります。
常に成長している人、そのために常に努力している人には魅力があります。
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通り雨

2019-07-07 22:06:40 | 福音について
「油断することなくあなたの心を守れ、命の泉はこれから流れ出る」(箴言4:23)

気を付けていないと夏の夕立には驚かされることがあります。
暑すぎるほどに照り付ける太陽があった空から突然に大粒の雨が降り注ぎ、
通り雨と言われるように何事もなかったかのように過ぎ去ります。

自分の心に驚かされることがあります。
喜び楽しんでいた心が一瞬にして曇ってしまい、
ほんの数分前の心地よさが嘘だったかのような錯覚を覚えることさえあります。

どのようにしたらこの心を守り、安定させることができるのでしょうか。
夕立のように、通り過ぎた後には元通りの太陽の日差しが回復しても、
ずぶ濡れになった心地悪さだけは残るのです。

「主を恐れることは命の泉である」(箴言14:27)

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欲を求める

2019-07-06 06:00:24 | 福音について
「あなたがたの内、知恵に不足している者があれば」(ヤコブ1:5)

この言葉はすべての人に対して「神に願い求めるように」と勧めるものです。
この世に「知恵に不足していない者」はいません。
不足を感じていない人がいるとするなら、何も求めていないからです。

何も求めていない人、欲のまったくない人があるとすれば、その人は健康ではありません。
誰もが欲を持ち、それを満たすことで生き甲斐や喜びを得ています。
人にはそれぞれに様々な欲があり、豊かさ、称賛、芸術、精神的なもの・・・。

善をわきまえた範囲の内にあればすべては良いものです。
主が人の喜びのために備えられたものだからです。
それをわきまえた上であれば、欲を満たすための知恵を求めるべきでしょう。

「金を・・・欲するものに換え・・・家族と共に楽しまなければならない」(申命記14:26)
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責任感と高慢

2019-07-05 22:49:11 | 福音について
「頭になりたいと思う者は・・・僕とならねばならない」(マルコ10:44)

人が集まってグループができれば必ずリーダーになろうとする人が出てきます。
皆がその人をリーダーとして認めるなら何も問題はないのでしょうが、
そう簡単には行かないことの方が多いようです。

あるグループで一人にまとめ役をお願いしました。
最初は皆と相談しながらの恐る恐るのスタートだったのですが、
いつの間にか命令口調になり、ついには従わない人に苛立つようになりました。

「『このグループは全員横一列で上下関係はない』ということを話し合いたいので、
そのことについて考えてもらいたい」とお願いしたところ、
自らの態度と行いに気付いてもらえたようです。

「責任感」は注意を怠ると「高慢」に変化することもあるようです。
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