モルモンの泉

個人的に信じていること、感じていることを書いてみました。
気楽に目を通していただけるなら幸いです。

総大会 2月24日

2024-02-24 05:58:42 | 総大会
「ジョセフ・スミスのおかげで…わたしたちがどれほど恵まれているか」
(たたえよ、主の召したまいし バラード長老)

ジョセフは聖書の教えによって祈るように導かれました。
わたしたちはモルモン書の教えによって、主の教えと戒め、聖約、教会によって祈るように導かれます。

祈りは御霊をもたらします。
御霊には神の愛が伴います。
神の愛を心に受けたくて祈ります。
その恵みを知っているなら、誰でも、いつでも、どこにいて何をしていても、祈りたくなるでしょう。

ジョセフを通じて与えられたすべてのものは人を祈りに導きます。
それは彼が森へ入って祈ったことから始まりました。
わたしたちにもたらされる主の恵みも、すべては祈りから始まり、祈りによってもたらされます。
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総大会 2月23日

2024-02-23 05:56:19 | 総大会
「ジョセフ自身の言葉によれば、初めて声に出して祈った」
(たたえよ、主の召したまいし バラード長老)

初めて祈ったときのことを今もよく覚えています。
静かな夜、一人の部屋でひざまずきました。
「天のお父さま」
その声は壁にはね返って耳に聞こえました。

あれから幾度祈ったことでしょう。
声に出して祈りたくなることがあります。
祈りに力が増し加えられるような気がするからです。
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総大会 2月22日

2024-02-22 05:59:40 | 総大会
「神の前では皆平等であり、同じ永遠の可能性と受け継ぎを完全に与えられている」
(キリストによる兄弟姉妹 ソアレス長老)

豊かで愛情のある家庭に生まれる子供もあれば、貧しくて争いごとの絶えない中に生まれる子供もあります。
健康で豊かな才能に恵まれる人もあれば、障害や病気に悩み生涯を過ごす人もあります。

「どうしてこれが平等と言えるのか」と考えたこともあります。
そんなときは世の中を見て、人を見て、自分を見て、考えているようです。

改宗した頃、よく言われました。
「人を見るのではなく、神を見て信仰してください」

永遠とその可能性を知らなければ、不平と不満の中で生きていたことでしょうね。
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総大会 2月21日

2024-02-21 06:30:49 | 総大会
「イエスは誰一人拒まず、平等に愛をもって接しておられました」
(キリストによる兄弟姉妹 ソアレス長老)

「あなたがたが見たように、わたしはあなたがたの誰にも立ち去るように命じることなく…」3ニーファイ18:25

そこにいたのは主を拒まない人だけでした。
主を受け入れない人々はすべて滅ぼされたからです。

「状況が違うのに、どうすれば…」
素直でないわたしはそう考えてしまいます。

長年持ち続けている疑問です。
わたしにはまだ、‟主の平等”を理解することができないようです。

主を信じているつもりですが、理解できないことがたくさんあります。
理解できないので従うことは難しいです。

正直な気持ちです。
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総大会 2月20日

2024-02-20 05:58:29 | 総大会
「あきらめない限り、家庭に失敗はありません」
(全体を見渡すレンズで神の家族を見る ルニア姉妹)

わたしはあきらめた人間ですから、
偉そうなことは言えません。
(知っている方だけ理解してくださいw)

それで、家庭は失敗したでしょうか。
一時的にはそうかもしれません。
子どもたちにとっては
生涯忘れることのできない出来事だったと思います。
それは事実であり、言い訳はできません。

あきらめることを勧めるつもりはありません。
それでも、大切なものを手離さないために、
何かを手離さなければならないこともあります。

それは失敗でしょうか?
そうかもしれませんね。
でも失敗で終わらないために、
あきらめずに今を生きています。
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