「深い河」
読後に漂う余韻は、他のどの作品とも違う。
たとえば、生または死という呪術、それらからの解放を
絶望をみつめるものが語る希望や明日に、
私は適当な言葉を今もみつけることができない。
まだ作品の世界観から抜け出せずにいる。
今夜の雨が深い河へ誘うように、
印度での日々を感慨深く味付け、裏返し、偏愛する。
以下、「深い河」より印象深かった箇所を抜粋。
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人は愛よりも憎しみによって結ばれる。
人間の連帯は愛ではなく共通の敵を作ることで可能になる。
どこ国もどの宗教もながい間、そうやって持続してきた。
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多かれ少なかれ、私たち他人をたべて生きているんです
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ヨーロッパの人たちが基督教を選ぶのは、
その家庭がそうであったり、
その国に基督教の文化が強かったりするためでしょう。
中近東の人たちがイスラムになったり、
印度人の多くがヒンズー教徒になるのも、
他の宗教と自分のそれとを厳しく比較して
選んだとは言えないでしょう。
そしてぼくの場合は母という例外的な事情の影響があるのです。
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私がインドへ滞在したのは今から二年前でした。
いろいろな国へ旅をしてきたつもりでしたが、
機内から見下ろす土地は、
人間がすべてを吸い尽くしてしまったように
荒涼とした悲哀がから肌を刺すように伝わってくる感触を
今でもよく思い出します。
作品に描かれている現実を自分の目や耳や心をつかって
租借し、消化しようとしました。
けれど、わずか1ヵ月余りの時間では、
国も人間の本質も神の存在も深い河も紅茶色を濁らすだけで
私などでは辿り着くことは不可能でした。
ただし、漠然と感じたことは、
天国も地獄もあの世の領域ではなく、
また神は心の呼称だという確信でした。
深い河を探りに・・・・・・
遠藤周作さんの世界に虜になりました。