風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

深い河(記録として)

2008年03月24日 22時45分01秒 | エッセイ、随筆、小説

 

 

 

「深い河」

 




読後に漂う余韻は、他のどの作品とも違う。
たとえば、生または死という呪術、それらからの解放を
絶望をみつめるものが語る希望や明日に、
私は適当な言葉を今もみつけることができない。
まだ作品の世界観から抜け出せずにいる。
今夜の雨が深い河へ誘うように、
印度での日々を感慨深く味付け、裏返し、偏愛する。


以下、「深い河」より印象深かった箇所を抜粋。




人は愛よりも憎しみによって結ばれる。
人間の連帯は愛ではなく共通の敵を作ることで可能になる。
どこ国もどの宗教もながい間、そうやって持続してきた。




多かれ少なかれ、私たち他人をたべて生きているんです




ヨーロッパの人たちが基督教を選ぶのは、
その家庭がそうであったり、
その国に基督教の文化が強かったりするためでしょう。
中近東の人たちがイスラムになったり、
印度人の多くがヒンズー教徒になるのも、
他の宗教と自分のそれとを厳しく比較して
選んだとは言えないでしょう。
そしてぼくの場合は母という例外的な事情の影響があるのです。




私がインドへ滞在したのは今から二年前でした。
いろいろな国へ旅をしてきたつもりでしたが、
機内から見下ろす土地は、
人間がすべてを吸い尽くしてしまったように
荒涼とした悲哀がから肌を刺すように伝わってくる感触を
今でもよく思い出します。


作品に描かれている現実を自分の目や耳や心をつかって
租借し、消化しようとしました。
けれど、わずか1ヵ月余りの時間では、
国も人間の本質も神の存在も深い河も紅茶色を濁らすだけで
私などでは辿り着くことは不可能でした。
ただし、漠然と感じたことは、
天国も地獄もあの世の領域ではなく、
また神は心の呼称だという確信でした。


深い河を探りに・・・・・・

 



遠藤周作さんの世界に虜になりました。

 

 

 


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