風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

優先座席考

2008年03月23日 00時47分27秒 | エッセイ、随筆、小説

 


 

以下、ある大学教授の「優先座席考」からの内容を引用しております。
私も体調のよいときだけしか公共交通を使えないのだろうか?と考えることも多々あり、
自分の危険回避のために体調がよいときでも杖を持ち歩く生活が続いています。
それはなぜか・・・・・
急いでいる人にぶつかられて杖を飛ばされたこともあるし、直撃された後、
体調が悪化した経験を持つからです。
それでも不具合を抱えているというのはなかなか理解してもらえず、
混雑気味の電車やバスには乗らないようにしています。
いいや、乗らないのではなく、危険がいっぱいで乗れないのが正解です。
こんなに大変なのですよ、と主張する気はなく、ただし、杖や車椅子や他のものの意味を
すこしだけ考えてもらえたら光栄です。



 

電車には、一両おきに優先座席がある。
優先座席は、身体障害者や高齢者、妊婦など席に腰掛けられないと
大きな負担を体に生じさせてしまう人が優先的に座れる席だ。
体に特別な負担が無い通常の活動の出来る人は、
そのような人達を優先させて座らせることになっている。


しかし、混んでいてもが、混んでなくても、優先座席には、健康そうな人が、
本を読んだり、居眠りをして堂々と座っているのをよく見かける。
目の前にお年寄りや杖をついている人がいてもお構いなしで、
見てみぬふりをして座っている若者や女性もよく見かける。
目の前にハンデのある人を見かけても席を譲らないのは論外だが、
明らかにそうした人を見かけない時でも、優先座席には座るべきではないと私は思う。


混んでいる時など、ハンデのある人が周りにいない場合、
席が空いていれば立っているより座るほうが、効率が良いという考えもある。
また、ハンデのある人が現れたら譲ればよいと考えて座っている人もいるかもしれない。
だが、どんな時にも優先座席に座るのはやめたほうが良いのではないだろうか。
本当に困っているかどうかは、外観ではわからない。
一見健康そうに見えても、心臓が弱っている人、やっとの思いで体を支えている人、
こういう人が苦しそうな顔をして、優先座席の前に立つだろうか。
きっと、そ知らぬふりをして、優先座席を頼りながら空いていたら座ろうとするだろう。
苦しくても、決してどいてくださいなどとは言わないのでは、と思うのだ。



そんな事とは露知らず、何気なく座っている元気な人は、
目に見えて弱っている人を見かけるまで、何の行動も起こさないだろう。
そして一見して弱っている人を見かけると、その人をいたわるように、
さあ、お座りなさいと案内するかもしれない。
だが、それだけでは本当の優しさとは言い切れない。



優先座席はそんな座席ではない。
見えない深刻な体の苦しみを抱えている人がいて、
その人がいつでも安心して座れる席でなくてはならないのだ。
電車が混んでいる時でも、そこは本当に苦しんでいる人のために
空けておかなければならないのだ。


目に見えるものだけを認めて目に見えないものを信じないと、
いつも自分のしていることは正しいと勘違いして、
知らず知らずに人を思いやる心を失ってしまう。


困っている人を見つけたり、申し出てきたらどいてやろう、という正義の論理だけでは、
本当に苦しんでいる人の苦しさを気づくことが出来なくなってしまう。


満員電車でも優先座席は、空いているのがいい。
そうすれば、そこに座る人は、空いている席を見て、
満員電車の乗客ひとりひとりに感謝して着席するに違いない。
感謝を持って着席する人は、本当の苦しみを持っている人なのだ。


 

 

 


最新の画像もっと見る