風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

逆支援

2008年03月09日 09時00分27秒 | エッセイ、随筆、小説

 

 

 

弁護士にでもなれば?





大正時代から続く大衆居酒屋へ行った。

土曜日だったせいか、数人の待ち人の後に私たちも続き、

通された3階の合い席のちゃぶ台で、ビールで乾杯をした。

赤味噌仕立のもつ煮込みと

それにたまごが入ったもの、

沖縄料理の豆腐ふうという初めて目にする食べ物らしきものを、

壁に貼られている料理名を読み上げていると、

これ全部!!と横から彼が口を挟んで、無事注文は終わった。





局面なのだという。

彼は私が背中を押しさえすれば、会社を辞めてしまう。

けれど、この間は引きとめた。

あと何年もしないで定年であることと、

外資系の有名どころとはいえ、退職金の額は私よりも少なくて驚いたし

そんなことだから、年金でやっていくには限界がある。

日系会社から外資をいくつか渡り歩いているため、

給与はずば抜けて高額であるのに、他支給金は極めて低かった。





私は彼からの申し出、

ある事業に対する出資を行うので、

それを運営してくれないかという提案を受けていた。

私は健康上の、制限ある体の事情を理由に、

健康な人でも誰でもが勤まるとは思えない立場に対して、

今の私では、この体力では不安だ・・・といい続けていたのだった。

けれど、人は勝手なもので

なかなかその現実を直視してくれずに困っていたとき、

私は造影剤のショックを起こして、約1ヵ月もの間、

歩けなくなってしまった。

そして、すこしずつお互いを取り巻く情勢が変化していったのだ。

もちろんいい方に。静かに、ひっそりと。





某国立大学法学部を主席で卒業し、

ニューヨークでも高額な授業料だと名高い

ある有名ロースクールにも駐在中に在学し、卒業もしている。

自分よりもずいぶんと若い社長の傍若無人ぶりに

いくら我慢の限界がきたとはいえ、

世の中は、きっと、今声高らかに経営についてなんぞやなとと

偉そうに経済誌に登場するようなやつらは、まともな経営者ではない。

つまり、そんなやつらにかまっている時間があるなら、

淡々と働き、自分の立ち位置をしっかり固めて

相手にするな、と伝えたのだったが・・・・・






ここまではまだ記さないが、ある分野に特化した専門家になれば

おそらく今後の需要は見込めるだろうと思った。

たとえば、医療とか雇用とか、人間が生きている限り、

絶対に社会からなくならないものを取り扱う、

その問題点を見てきた人間にしか、その盲点や改善には着手できない。

これは私の持論だが、経験とは一番の強みであり、財産だと私は思う。

そう彼にも伝え、納得しているようだった。






某会社の副社長を辞めたところで、確かに給与は激減するけど、

何がかわるの?と言うと、

驚いた表情を浮かべて、煮込みに入っていたたまごにかぶりついて

ゲホゲホとむせていた。

私はお金はないけど、それでも支援できることは喜んでさせてもらうし

自分に正直に、自分の信じた道を、自分の責任で歩いてみてもいい。

もう会社という枠に縛られるのではなく

自分の人生をようやく歩いてもいいのではないでしょうか?






ずいぶんと生意気な発言ですみません・・・と私は言った。

豆腐ふうがチーズみたいで酒の肴の相性抜群であるから、

私は調子に乗って赤ワインを注文した。

私もたくさんの人に支えられながら生きているわけだし、

自分を生かすことは他者を生かすことにも通じると

挨拶のようにいい続けられてきた過去を振り返ると、

やっぱり自分を殺すようなことはもうできないのですよ、と

それは他者を殺すことになりかねませんから、と続けた。





空になった煮込みの鉄鍋は、象げ色のろうそくのようでもあり、

ホワイトチョコレートのようでも、

なにしろ、とんでもない量の脂を食べていたことに気付かされると

目をぱちくり瞬き、当分、こんなご馳走は口にしちゃいけないと言って

ふたりで笑った。






どうにかなる。

信念さえあれば、どうにかなる。

そこに情熱が加われば、もっと生きていくことにも自信が生まれる。



 

 


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