贔屓にしている手打ち蕎麦屋で昼飯をとった。
その後、銀行に立ち寄り、長蛇の列にげんなりとして、
列には並ばずに外に出た。
すると、見慣れた背中が人ごみをかきわけ自転車を押して歩いていく。
よろよろと歩く後ろ姿に胸がきゅんと鳴り、「じーちゃん」と声をかけた私。
伝統工芸を一生の生業にした父の背中をみながら私は育った。
いいや、その背中しか私はみてこなかったようにも思う。
来る日も来る日の江戸から伝承された切子をつくり続け、家族を養ってきた。
そして、今日も例外なく、父は工房でひとり、ときに母とふたりで、
仕事に打ち込んでいる。
ラジオと切子を削る音、母の笑い声が工房の見慣れた風景だ。
今ではめっきりと数を減らした
手作りしている化粧箱屋さんに商品を取りに行った帰りのようで、
積めるだけ積んだのだろう、自転車がよろめく姿をみて、
私は父の老いを感じた。
山積みにした箱が一瞬空き缶を集める人たちのそれと重なってみえた。
が、ひたむきに、一生懸命に、伝統を守るという工程を私はみて育った。
それが職人である父そのものの姿。
今日の日本では、職人の地位が低すぎる。
父に限らず、他の伝統工芸を生業にしている友禅染絵師ですら、
生き延びる術がないとぼやいていたことを、ふと私は思い出した。
安いものに飛びつき、やすくものを叩く業者が存在し、
当然のように主義主張をする社会、
いつからだろう、言った者勝ち、やった者勝ちの不正がでしかない行為が、
本当に仕事といえるのだろうか。
私には疑問でしかない。
反抗もした。
なぜ、こんな家に生まれてきたのだと恨んだ日もあった。
でも今の私が幸せでいられるのは、
やはりこの父の背中から学んだことが大きい。
つまり、目立たなくても、ひっそりと、
自分の仕事に打ち込むことを毎日見続けたことが血や骨や肉となって、
私に伝承されている。
「じーちゃん」と声をかけたとき、ちょっと驚いた表情を浮かべた父。
その後、なにをしているんだ?と言いつつも満面の笑みを浮かべる父。
私は父のもとに生まれてよかったと思った。
美しい月はまんまるの黄金色。
濃紺の空にぽっこりと浮かび、今日も私たちを照らしている。
でも、空を見上げる人がどれほどいるのだろう。
その地道さが父の背中と重なって目頭が熱くなっていくのが自分でもわかった。