昨日、バスを待つ間の出来事だった。
歳の頃、60代半ば・・・・・・と思われる夫妻が私のすぐ前で並んでいる。
すると、奥さんの方は体調が悪いのか、
列からはみ出さなければならない椅子に腰掛け、
でも、列に戻れないことを気にかけている様子で、
「ここ、私の場所ですから・・・」と旦那さんの後ろ、つまり私の立ち位置について指摘した。
杖をじろじろとみる。
足元から頭の先まで舐めるように眺めるとは、こういうことをいうのだ・・・と思った。
定期、持ち物、ありとあらゆる「私」を検査するように見定めた頃、バスがやってきた。
彼らは二人席を、私は出口に近い、彼らとは並行する二人席に座った。
しばらくバスが停車している間にご夫婦の旦那さんが言った。
「さっきの子、なんらかの障害者だし、定期もそうだぞ・・・・・」と。
すると奥さんらしき人が
「あんなに若くて元気そうな人に障害者手帳なんか出すから私には下りないのよ」と言った。
つまり「私について」の会話が丸聞こえで、元気そうだから・・・に対する批判を
私に聞こえるようにわざと話をしているとしか思えなかった。
もちろんのこと、腹立たしいよりも悲しくて、降車する前に泣き出しそうになる私。
昨日は免許の更新ができなかった。
それは“障害”のためだ。
今後、免許更新が障害の完治度によって「保留」か「取り消し」になるかを
説明されたばかりの後だっただけに、
「押さないでください」とか「障害を抱えています」とステッカーでも貼らないと
“みえない障害”を“みえるもの”にすることは、不可能なのか?と考えた。
私よりもあなたの方が元気そうじゃない?
私よりもあなたの方が元気よ。
気のせいで、病気だって思い込んでいるだけでしょ?
性格の問題よ。
前向きに。
明るく、ポジティブに。
そうした言葉を浴びせられる度に、私は言葉につまり、今も死ぬほど身体は痛みますし、
心も・・・・・と声にならない声で叫び続けてきた。
でも、理解してくれる人はいなかった。
優しい社会とはなんだろう?
きっと、健常であろうとなかろうと、皆にとって優しいものは無条件に”柔らかな光”となって
微笑みで包まれるのだろうに・・・・・・と私は思う。
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