風の生まれる場所

海藍のような言ノ葉の世界

空や雲や海や星や月や風との語らいを
言葉へ置き換えていけたら・・・

気の目覚め

2007年10月08日 20時06分22秒 | 医療





 

なんちゅうても受け合わんこと、

自分をみつめて生きていかんと、なぁ、いいな?







心の中に持ち物を持つということは自信や慈悲や慈愛や深い愛情となって

表層的な幸福を求めるもの、人とは相違してくるのです。

愛をどれくらい受けてきたのか、

または愛をどれくらい配ってきたのかは愛の度数や質量となり

わかる人にはわかり、それをしてこなかった人たちが誤魔化そうなんて所詮無茶な話で。






今朝、シャーマンは私へ連絡をしようと思ったのだという。

帰宅すると子供たちは待ちきれず、叔母がつくったぶどうを嬉しそうに食べていて、

シャーマンは私がぶどうを送ったお礼の後、うちの家紋について関心を示した。





あの家紋は戦国時代、某家のしきたりを家紋にしたものなんですよ、と。






すぐさま叔母へ連絡をすると、ぶどうの木を一本プレゼントしてくれるという。

来年はそれを自分で栽培して、自然と語り合えばいい、と。

家紋のことに触れると叔母も驚いていた。

ぶどうに関心の持つ人はいるけど、まさか家紋に感心を。

さて、しっかりと答えられたの?と聞かれたので、まさか・・・と言って

頭を掻きながら誤魔化した。

ぶどうを育てながら、家紋の由来も教えるわ、と嬉しそうにふふっと笑った。






シャーマンは言う。

「気の目覚め」をはじめています、と。

それは自分で自分の気(役割)を自覚することでもあり、

そこにさまざまな援軍や権威ある方々も関与しつつあるでしょう、と。






まさに今の私はそのとおりの状況だった。

考えれば考えるほど深いテーマの取り扱いに苦戦はしているものの、

私はフェアプレーが成立しなければ書かない、と決めている。

確かに医療にはさまざまな問題があることも事実だ。

けれど、今日の休診日に診察を受けることで、

今までとはまた違う医療への視点を宿題として持ち帰った。

それは医療従事者へではなく、患者の姿勢や行動や卑怯さや責任転換という現状だ。







この時勢、2チャンネルでは病院名は当然のこと、

医師や医療従事者の実名をあげ誹謗中傷がなされているという。

たまたま休日出勤をしていた私の信頼する看護師と話ができる機会があり、

私も攻撃の的よ、と心の内をすこしだけ漏らした。

気に入らなければ自分は匿名で、でも誹謗中傷する相手は実名の時代。

誹謗し合うこと、

治療法などをインターネットで紹介することで本当に病気と決別できればやればいい。

けど、現実はそんなに甘くはないのよ。

そのつけは自分の病気の悪化や生活の質となって必ず自分へ戻ってくる。

それに耳を傾けなかった自分の責任には目もくれず、内省もせず、

ネット上で、匿名で・・・それは意見とは言わないわ。

私も同感だ。

私見を述べる場合、それを意見にするにはそれなりの覚悟がいる。

氏名を明らかにすることは基本中の基本だ。

まして、相手を誹謗中傷するのであれば尚更。

(もちろん、氏名を明かさないからこそ発言できることもあることは承知の上)







逆に○○病院には治療を行ってくれる、となると

インターネットだけの情報で患者が全国から殺到する時代。

ブログにはHPが添付されていることもあれば、

医師側から依頼されて治療法を広めるということも珍しくはない時代。








ここでは治療うんぬんについて語る気はないが、

医師や医療者をさらに忙殺させ、疲労困憊となり倒れた医師がいた。

知人の医師は「過労死しない程度に休ませてはもらっているが・・・」と

医師の本音を吐露し、

主治医のスケジュールをみると、私は気絶しそうになる。







不具合はある。

人間である以上、向き不向き、相性などさまざまな問題が絡み合い医療は成立している。

けれど、過労で倒れた医師はそれが職業であるから当然だと思えるか?

患者を助けるとは完治だけを意味しているのか?

一喜一憂を共有するためだけに患者が集まり、熱を求め合う。

そこで気に食わなければ患者が患者を切り捨てる。

私は切り捨てられてきたときからずっと、そのことが心の隅っこで引っかかり続けている。

人間は残酷だなぁ~と思う。

それは病気になろうとなるまいと関係ないことであって、

人間性の問題なのだろうと受け流すように努めてきたつもりだ。







なんちゅうても受け合わんこと、

自分をみつめて生きていかんと、なぁ、いいな?

シャーマンの祖母が亡くなるとき、最期に残した言葉には人生の奥深さが隠されている。

ニュートラルな視点で、援軍と協力し、

人を護ることを今日も一日、考えながら私は時間を過ごしていた。

私は決して闘わない。

ただし、諦めもしない。

諦めはしない。

















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