rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

岩手山登頂記

2019-08-06 18:44:55 | その他

 3日間の夏休みを利用して岩手山登山に挑戦してきました。実は昨年秋に八幡平のリゾートホテルに旅行で行った際、せっかくだから近くの山に登ろうということで八幡平(1,614m)、三石山(1,466m)、大松倉山(1,400m)に登りました。大松倉山からは岩手山への縦走コースもあって、時間があれば名峰岩手山もすぐそこで行けそうに思い、今年は岩手山を始めから目指して旅行に来ました。

八幡平から岩手山を臨む(昨年)         大松倉山から縦走で岩手山の山頂を臨む(頑張れば登頂できそうな高さ)

 宿泊は昨年と同様八幡平マウンテンホテルに泊まったのですが、安くて食事内容も良く、夜は星空見学説明会を毎日やっていて、都会では見れない奇麗な満天の星空を楽しむ事ができます。昨年秋は土星の輪を固定した双眼鏡で初めて肉眼で見る事ができ感動しました。今年は国際宇宙ステーション「きぼう」が上空を通過する時間に見学会が設定されていて、木星ほどの明るさ(1等星より明るい)のISSきぼうが1分程で上空を通過する様を肉眼で観察できました。

早朝の岩手山 焼走り登山口の近傍(この時は頂上が見えていた)        焼走り登山道のコマクサ

到達した時、頂上付近は霧と風で何も見えませんでした                下山してきて溶岩流の台地から岩手山頂上を臨む(少し晴れているかも)

 岩手山は奥羽山脈北部、盛岡市や新幹線からも眺望できる2,038mの成層火山で、日本100名山に数えられています。有史以来5回の噴火があったとされ、登山道にも第一、第二噴出口など立ち寄る事ができ、麓には溶岩流が流れて広がった焼走りと言われる地形が広がっています。いくつかの登山道があるのですが、今回は往復8〜9時間ほどの初心者向け、焼走りコースで登りました。朝6時前に焼走り登山口の登山者用駐車場(300台位停まれるがガラガラでした)に車を停めて、入り口の手洗い場に設置してある登山届けに記入してから歩き出します。天候がCランクで上空雲が掛かっていたので登山に来る人は少なく、抜きつ抜かれつしながら数人程が同じ時間帯に登りました。途中ホテルで作ってもらったカツサンドを朝食に取って、10:30頃には上坊コースと合流した後の平笠不動避難小屋(1770m)にたどり着きました。珍しいコマクサの多生する場所も通ります。そこから頂上までは40分程なのですが、今回残念ながら頂上近辺は霧と風が強く、頂上を目指したものの手前200m位の所で無理をせず引き返してきました。やー霧で何も見えませんでした。帰りは第二噴出口の辺りでこれもホテルで調達した持参の昼食を食べて降りました。

小川全体に40度くらいの温泉水が流れている場所 足湯可能             焼山への霧と硫黄の匂いが強い登山道で道先案内をしてくれる山カラス         

 その前日は八幡平の秋田県側にある後生掛温泉から200名山の一つである焼山(1,366m)を目指してトレッキングしてきました。4時間程のコースで途中、流れる川全体が温泉になっていて足湯ができる場所などがあるのですが、こちらも霧(雲)が濃くて眺めは今ひとつでした。途中硫黄の匂いが強い禿げ山の通路で先を案内してくれるように飛んだ山カラスが印象的でした。その日は焼山避難小屋に行って毛氈峠方面の別ルートで後生掛温泉に戻りました。

姫神山からの眺望     姫神山から岩手山方面を臨む(この時は岩手山が雲でよく見えませんでした)

 3日目は岩手山を男の山と例えると、その嫁さんと言われるやはり200名山の姫神山(1,123m)に登りました。このクラスだと頂上も雲の下にあって晴れていて眺望も良く、往復2.5時間程度で戻ってきました。午後は車を盛岡で返して新幹線で帰宅、東京はうだるような暑さでした。

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副島隆彦氏の講演会2018

2018-12-03 18:48:24 | その他

2018年12月2日に都内で行われた定例会に参加してきました。2014年以来でした。その備忘録としての記録です。

 

第一部は著作「日本会議の研究」(扶桑社新書)で有名になった菅野完(たもつ)氏の講演で、「安倍政権は何故倒れないか」という命題についての解説でした。

安倍政権を支えているのは成長の家学生運動から派生した日本青年協議会(日本会議)日本政策研究センターなどですが、輿論調査などで安倍政権を支持する理由は(他よりも良さそう)という消極的な理由が大半で「政策が素晴らしい」というものではないことが説明されます。安倍政権の政策はTPP推進、水道民営化、種子法、公共事業への国債投入、移民法推進など保守主義からはほど遠いものが多く、同じ政策を民主党や社民党が進めたら保守陣営から大批判が起こりそうなものばかりです。では左翼的政策を行っている安倍政権が真性保守から批判されないのは「慰安婦」「靖国」「9条」という政策において「右寄り」とされる主張をずっと繰り返しているから「雰囲気右翼的」を貫いていて「深く考えない多くの日本人達に安心感を与えている」からだろう、という結論です。表現はもっと過激な物でしたが内容的にはなるほどと思わせるものでした。

 

第二部は副島隆彦氏の新著 歴史再発掘(ビジネス社刊 予定) (重たい掲示板の2373番)と近著日本人が知らない真実の世界史(日本文芸社2018年10月刊) の解説を中心としたものでした。風邪気味であるのと昨日までの著作活動でややお疲れ気味だったか、いつもよりも「あの馬鹿共!」という副島節がやや不調だったように感じました。まあご本人も話していたように65歳という年齢もあって50代と同じようには吠えられないということかも知れません。

 

内容はイギリスMI6内部でソ連のために働いた戦後最大のスパイ キム・フィルビー、007シリーズの元になったミンギス、松岡洋右と3国同盟の話
(この辺はrakitarouも以前興味を持って調べた事あり)、ユダヤ民族とは900年代に黒海北岸にあったカザール王国から始まったというA.ケストラーの本、同じ説を唱えるシュロモ・サンド テルアビブ大学教授の著作の解説から、一神教が紀元前からあるという説が欺瞞であることを解説しました。

 

今回は経済やトランプの動向といった時事的な事はあまり述べられませんでしたが、また大きな動きがあったときに期待したいと思います。

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2018大河ドラマ「せごどん」の「大欠点」と「一寸だけ良い所」

2018-07-30 21:43:26 | その他

日曜夜8時といえば、小中学生時代はNHKの大河ドラマと決まっていました。1970年代の事でしょうか。当時は日本史に詳しくないながらも、「樅の木は残った」、「天と地と」といったいまだに名作と言われる大河ドラマがあり、印象に強く残っています。しかし大人になってからはとんと見なくなりました。長丁場のドラマを毎週見れる身分でなくなった事もありますが、あまり面白いと感じなくなった事も大きい原因です。

 

ところが昨年ひょんなことから「女城主直虎」の第一回目を見たら「面白い」と感じてしまい、毎週楽しみに見るようになりました。昨年の「直虎」は期待を裏切らず、最終回まで次はどうなることかとワクワクしながら見る事ができました。家康や信長との確執など、歴史の新しい解釈(こういうのも有りかな)が楽しく、また今まで光が当たらなかった今川氏真などの人物像を描いた所も新鮮でした。

 

新しい大河の姿を見せた直虎    途中退場なのに存在感抜群だった小野政次  したたかに生き抜いた姿が新鮮な今川氏真

次の年は明治150年を記念して「西郷隆盛」の生涯か、と非常に期待して今年の大河が始まるのを待っておりました。しかし・・今年の大河は「大外れ」であります。まず人物がつまらない、ストーリーにワクワクしない、画面に工夫がない。今年の大河のダメ出しについてはいろいろな所で語られていますので、詳細は省きますが、一番の欠点だけ指摘しておきます。

 

「主要な人物の生き方のバックボーンを描かない事」

今年の西郷は「皆から愛される西郷」を描く、と脚本家が述べたということですが、西郷隆盛は自身の損得や出世よりも「天に向かって恥じない生き方」を常にしてきたと思います。江戸の街をわざと荒らしたり悪い事もかなりやりました。しかしそれは他国に侵略されない新日本を作るという島津成彬の理想を実現しようとする過程における手段として行って来た。そのような「天に向かって恥じない」所こそ皆が愛した理由だとして描くならば見応えがあるのですが、毎回「表面的な良い人ぶり」「民のため」とか「戦争は否」とかそのような台詞で皆に愛されるという描き方では全く説得力がありません。底知れない悪い事もするけどよく見て行くと「天に恥じない生き方」が通奏低音として見えてくる、といった描き方こそが1年を通じてドラマを作る大河の醍醐味でしょうに。このドラマは複雑な幕末の薩長・幕府・朝廷の事情や考え方、事件を殆ど説明することなく、適当に西郷の周辺に起こった事だけを繋いでドラマが進んでゆくので、幕末とは、明治維新とは、といった中身は自身で勉強するか、時代背景は考えず無視するかしないとさっぱり理解できない造りです。おまけに「侍」というものの魂を全く無視しているので簡単に仲間内で刀を抜いたり、上の者に刀を向けたりします。そして役中の善玉悪玉の区別が小学生並みに明らかすぎる。遠山の金さんや水戸黄門でももう少し丁寧な造りをするのではないかと残念に思います。

 

この銅像も薩長史観に基づく

一寸良い所

最近は新しく見つかった資料を元に史上語られて来た薩長主観による明治維新の見直しがなされて来ています。勝てば官軍で薩長によって新しい斬新な思想の明治政府が作られた。征韓論に敗れた西郷は不満分子に祭り上げられるようにして西南戦争を起こして死んだ。そこで古い体制が終焉して帝国日本が築かれて行った。とされていますが、実際の明治政府はグダグダであったし、幕府の方に私利私欲に捉われない優れた頭脳の知識人が多数存在していた。西郷は征韓論には反対であり、西南戦争も政府を諌めに旅立った西郷をかねて用意周到準備を整えていた政府軍が一方的に成敗した、というのが本当の姿だったようです。このドラマの良い所は、わずかですが端はしにこの新しい解釈を入れている所です。第一回目冒頭の上野の西郷さんの銅像除幕式で3番目の妻「いと」が「あの人はこんな人ではない!」と叫ぶ場面から始まるのですが、このストーリーは本当のようで、「犬をつれてウサギを追っている暇人」ではなく、「常に軍服に身を固めて天に恥じず生き、背筋を伸ばし天下のために生きた人」だというのが「いと」にとっての西郷だったということです。しかし明治新政府にとってはその西郷を銅像にすることは不可であった(実際に軍服姿のものから作り替えたそうです)。その西郷の真の姿が1年のドラマで見られるかと期待したのですが、大外れだから残念至極なのです。

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So whatだけど素晴らしい

2018-06-27 18:52:35 | その他

 NHKの科学番組は時に解り易く面白い内容の物があります。BSプレミアムで6月7日22:00から放送されたコズミックフロント☆NEXT「重力波 天文学を変えた奇跡の2週間」もその一つでした。アインシュタインがある(はず)と理論付けしながら、実際に測定することができなかった重力波が2016年に初めて測定され、この重力波がブラックホールや中性子星の変化で放たれる事が解ってから、新たな「重力波天文学」の幕開けであるとまで言われていました。

 

 私も実際は理解できていないのですが、宇宙(現実世界)には重力、電磁力、ミクロレベルの(電磁力より)強い力、弱い力の4種類があって、全ての現象はこの4つの力で説明できるとされます。重力は「空間のゆがみ」だそうですが(この辺から感覚的には理解不能になる)、その小さな変動を波として捉える方法が90度直角にしつらえた4Kmに渡る管の中をレーザー光線を当てることで事が可能になったというものです。このLIGOという装置は米国の南部(ルイジアナ-リビングストン)と北部(ワシントン州-ハンフォード)にあって、同時に測定された「ゆがみ」が同一であればそれは「宇宙からの空間のゆがみ」=重力波を捉えたものであるということです。

 

LIGO施設(ハンフォード)                 初めて捉えられた重力波(2016年4月号Newtonに掲載されたもの)

 今回の番組で何が感動的かというと、このLIGOで2017年8月17日にたまたま1億3千万年前に起こった中性子性の衝突によって起こった重力波が捉えられた、というニュースが瞬く間に世界中の天文学者に共有されて、真夜中や早朝を問わずそれぞれの分野でその解明のための研究が動き出した事です。特にどの中性子星が衝突して得られた重力波なのかという追求が素晴らしい。設定の方角が異なるイタリアの重力波測定装置VIRGOでは測定できなかったことから、その角度設定に影響を及ぼさない方角からの重力波である、という仮定で仮説が立てられて、衝突後短時間で輝きが出現して消えてしまう中性子星の衝突を光で捉えるために世界中の天体望遠鏡が協力して可能性のある方角の観測を始める。そして南米の大学院生が当番であった観測所からのデータから、とある小さな点でしかないはるか宇宙のかなたの中性子星の衝突の場所が特定されるという展開になります。この点は世界各地の天文台で観測を続けるうちに数週間で消えてしまうのですが、その変化によって金やプラチナの宇宙における生成過程も明らかになって、それらの多くに日本人の研究者もかかわっていることが紹介されます。

 

中性子星の衝突の想像図(キロノバと言うらしい)

 まあこのような事が人類の幸福に貢献するのかというとそうでもないように思いますし、「それで?」という感じでもあるのですが、何より「重力波で中性子星の衝突を捉えた」という事実からこれだけ多くの世界中の研究者達がその意義を理解して夏期休暇返上で一斉に協力しながら研究を進める、そこには人種、宗教、経済の対立もない所が素晴らしいと感じました。観測から作成された論文には世界中の天文台の観測者達の名前も載るのですが、浮世離れした世界でも追求される真実は一つと言う所が良いと思います。医療の世界ではデータの再現性は実は一流と言われる雑誌の論文でもあまり高くありません。基礎医学のデータは70%、臨床医学では50%の再現性があれば良い方です。しかし物理や化学では100%の再現性が求められます。世界中の天文台から集められたデータで一つの真実に迫るということが普段やや再現性が緩んだ論文を見慣れている私には新鮮だったのかも知れません

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生きるということ

2018-06-08 17:54:37 | その他

 最近のブログへのコメントなどを踏まえて、やや漠然とした内容にはなりますが、自分が還暦を迎えたこともあり、「生きる」ということについての考え、意義などについてまとめておこうと思います。

 

人生は修行だと思う

 

 基本的に自分は仏教的な考えであり、人類が古くから自然と持っている「輪廻転生」の考え方が正しいと思います。一神教においては、人生は1回であり、神は死後審判を下して天国か地獄に行くということになっているようですが、どうも欧米の小説や映画を見ても「死後の世界はある」「輪廻転生がある」という前提で描かれた物が多く、しかもあまり異論なく受け入れられている所から「人生は一回きり」と本音では思っていない人が沢山いることが解ります。

 仏教的な考え方では、人間の今生は前世からの種々の業や因果によって規定され、現在の私は色、受、想、行、識の五蘊の統合による仮の姿(仮我)として認識されます。前世の五蘊は全く同じままで今生に引き継がれるというものではなく、種々の魂は交錯し得る物のようです(魂自体が複数あって一部が抜けると呆となる)。人間は徳を積む事で魂は次のステージに上がるものとされますが、罪を犯し、今生で償う事なく次ぎの人生に引き継がれる事もあるでしょう。

 

 罪を犯したにもかかわらず、償う事なく死んで行く者は、次の人生で黙々と徳を積む他ないと思いますし、罪を償う気さえない者は神からチャンスを与えられる事なく地獄行き(か人間界から追放=日本霊異記では畜生道、餓鬼道、地獄道の世界へ)となる「あはれ人」になってしまいます。今回の人生で夭逝するなど本懐を遂げる事なく不本意に終わる人も沢山おられますが、神は次の人生で今回果たせなかった夢を叶えるチャンスを与えて下さるだろうと思います。だから与えられたチャンスは活かして、大いに精進に励む事が「生きる」意義なのだと考えます。米国では優秀な若者が若い時は必死に働いて金を稼ぎ、四十代半ば以降は享楽的な人生を送るのが成功者の理想的人生だ、とする人生観を聞いた事があるのですが、私としては違和感を感じます。神は「優秀な才」をそのような人生を送るために与えたのではないだろうと。米国エスタブリッシュ達から何となくにじみ出る「軽薄さ」「あなた生まれてこなくても世の中困らなかったのでは?」のような感じはそのような人生観にあるのではないかと私は感じます。

 

 孔子の教えに三十にして「立つ」、四十にして「迷わず」、五十にして「天命を知る」とありますが、大体五十歳になれば、「今回の人生の意義、使命はこのような事だったのだろう」と理解して以降の生き方を定められるようになります。私も今回の人生は「一介の医師として可能な限り人の役に立つよう努力する(名誉、栄達、金銭ではなく)」というのが天命なのだな、と感じたのでそのように生きるのが自分にとって「徳を積む」ことになるのだろうと考えています。

 

清濁合わせ飲むということ

 

 社会の一員として生活してゆくには、必ずしも自分の理想や良心のままに全て事を運ぶことが許されないことがあります。最近社会で問題になっている組織の問題もそこに根ざしていると思います。所謂「おとなの対応」とか「組織の論理」という言葉で表現されているものです。また自分の利益のために必ずしも相手の利益にならない事を推し進める事もあります。これをどこまで許容するのか、というのは生きて行く上でかなり深刻な問題です。

 

 私は防衛医大出身ですが、大学当時はまだ反戦左翼全盛の時代で「自衛隊の存在」自体が許されない、といった雰囲気がありました。高校の同級生からも「人殺しのために医者になるのか」みたいな批判を受けましたし、ベトナム戦争で米軍が行った非人道的な事が取りざたされ、冷戦まっただ中の頃でもあり、将来自衛官になった時に米軍と共に戦場に行くような場合どのような心構えで行くか、といった事を真剣に大学の同僚達と話し合ったりしたものでした。森村誠一の「悪魔の飽食」といった731部隊の話も話題になっていました。そんな折、大学の倫理学の先生に「自分の本懐に沿わない命令を下された時にどうするべきか。」という問いを悩める青年達がぶつけました。

 先生は「日本には職業選択の自由がある。自分がどうしてもできない命令であれば職を辞するしかない。しかし少しでも意に添わなければ辞めるといった態度はよろしくない。自分が許容できない限界、red lineをはっきりと決めておきなさい。そこまで行かない命令は意見を言うのは良いとしても命令であれば最終的には従うのが社会人、組織人としての勤めだ。その覚悟で辞表は胸にいつでも用意しておきなさい。」と指導されました。これは自衛官のみならずどこの社会でも通用する至言であると思っています。このような指導をしてくれた倫理の先生を私は今でも最高の教育者であると尊敬しています。私は卒業後12年自衛隊に奉職して退職し、民間に移りましたが、red lineを超えたために辞表を提出する事態にその後も合わず勤務できたのは幸せであったと思います。

 

 還暦を過ぎて体力の衰えと共に長時間の手術などが耐えられなくなって来たことを痛感しています。しかし知識や経験を後輩に伝えたり、体力勝負でない治療を行う事はまだ可能だと思います。健康でいられる間、天命を果たすためにもう少し現職を続けて行きたいと思っています。

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10年ブログが続きました

2018-04-25 18:12:21 | その他

2008年4月27日に50歳でブログを開始してからいつのまにか10年が経過し、幸い大きな病気や事故もなく10年がすぎて、本日ブログアクセス数が40万、Viewも100万を超えていました。

検索などにかかったものを含めてどこまで皆さんに読んでいただいているかは不明なるものの、アクセス解析などを見ると、医療関係や他で展開されていないような考察をしている内容には古い物でもアクセスがあるようだと感心します。少なくとも医学における学会発表よりも発信した内容を読んでもらえる率が高いのでブログを書く「書きがい」があると今まで感じて来ました。

10年前と比べて年はとりましたが、自分が成長したかは不明です。一番最初に書いた文を読み返してみると「日本は何故戦争をしてしまったのか」というブログを始める上での長期的なテーマから入っていた事が解ります。書評ながら良い点を突いていたなあと思ったので備忘録的に再掲してみました。日本はまだ「囲い込まれた時代」には入ってはいませんが、米国・日本を含むマスコミの現状は危ない方向に向かっているようにも感じます。

(2008年4月27日再掲)

保阪正康著「昭和史の教訓」書評 朝日親書 07年2月刊

日本は何ゆえに無謀といえる太平洋戦争に突入していったのか。その疑問に自信を持って答えることができる日本人は少ないと思う。「軍部の暴走」、その理論的バックボーンになった「統帥権の干犯」、きっかけを作った「陸海軍大臣現役軍人制」これらは教科書的には理解することはできてもこの組み合わせがイコール真珠湾攻撃には結びつかない。日本が戦争に突入してゆく昭和10年台に我々日本人は何を考え、指導部はどのような国家戦略をもっていたのかを振り返り、反省を行い教訓をくみ取ることは未曾有の犠牲を払った戦争を繰り返さないために必須の作業になると思う。

保阪氏の視点は常に反省的である。しかしそれは戦前をすべて悪とする非生産的なステレオタイプの決め付けではなく、極めて理論的に原因や背景を考察し、当時の指導層である政治家や軍人に対するだけでなく、当時の一般国民にも鋭い自省を促している。それは現在一般人であるわれわれすべてが日本の将来についての責任を負っているという認識に基づくものであると言えるし、私も共感を覚えるところである。

昭和10年代の日本の状態を保阪氏は「主観主義」という言葉で表現している。主観主義とは自己中心的とか他者への思いやりがないということではなく、他者の立場に立って考えることがない、自分本位の考え方ということに近い。支那の中華主義や軍事力を全てとするパワーポリティクスでもない。保阪氏は主観主義の一例として皇紀2600年において作成された「皇国二千六百年史」の存在をあげている。これは当時の日本国民から広く募集されて政府編集の上で刊行された日本古来からの天皇中心の歴史をまとめた史書で「天皇の神格化」がこれにより完成したと評されている。

明治維新までは天皇は存在したものの庶民の間で天皇は神として崇められていた訳ではなく、また明治の激動期においても天皇は国家の主権者ではあったが神ではなく、明治政府をきりもりしていた元勲達にとって天皇は国におけるひとつの機関つまり昭和初期においてまさに不敬として断罪された美濃部達吉の「天皇機関説」的な合理的考えで扱われてきたと言える。日本は昭和初期においてまさに「天皇の神格化」を行うことによって天皇および直轄する皇軍について議論することを禁止されてしまうのである。

この主観主義に基づく天皇の神格化は国家のあり方についての議論を封じ、結果として広く国民が日本という国家のあり方、国家戦略を考えることも封じてしまうのである。その典型は「戦争の目的」「戦争の終着点をどこにおくか」を全く考えずに戦争に突入してゆくことに集約されてゆく。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリンなどの独裁者、英米などの民主国家においてもその指導者はそのときの国家目標、国家戦略というものを明確に持っていて国家の上層部はその戦略に従って仕事をしていたといえよう。しかし当時の日本においては、日中戦争を例においてもアジアの西欧からの開放とか五族協和といった漠然としたスローガンはあったものの具体的な到達目標のようなものはなかったといってよい。当時の軍は軍功を重ねて日本の版図を広げることが天皇に対する自らの忠誠、忠心の証となると考え、それが自らの存在価値を高めることであると信じていたのである。その行いに意見することなどありえないことであって神である天皇に尽くすことを否定することは許されないという形になってしまったのである。このやみくもに日本が版図を広げていった結果として、日本は米英から危険視され国際的に孤立してゆき、対米英戦争に突入することになったというのが結論である。

面白い指摘として、氏はこの本の中で対米英戦の終結目標についての当時の公式文書を紹介しているのであるが、それが当時の陸海軍の一課員が官僚の作文よろしくまとめた文がそのまま政府の公式文書になってしまい、最も大切な戦争の終結点、目標について政府の中枢においてろくに議論すら行われていないことが判明している。

保阪氏は「歴史への謙虚さとは何か」と題されたこの本の終章において、庶民の側からみた当時の状態を四つの枠組みで囲い込まれた時代と表現している。

四つの枠組みとは(カッコ内はrakitarou註)

1. 国定教科書による国家統制 (検定教科書ではなく、国が決めた選べない教科書)
2. 情報発信の一元化
3. 暴力装置の発動      (公的、非公的を問わず、体制に逆らうとひどい目にあうこと)
4. 弾圧立法の徹底化     (治安維持法のようなあからさまな物や人権擁護法のように紛らわしいのもあると思う)

である。この枠組みで囲い込まれて生活することを余儀なくされると人は体制に対する疑問を感じてもそれを発信したり自ら変えようとしたりできなくなる。この状態を保阪氏は「国家イコール兵舎」「臣民イコール兵士」と表現している。この四つの囲いは昭和初期のように一見文化経済が発展していて国民が豊かになっているように見えていても存在しえるのである。現在の中華人民共和国などこのよい例であろう。

現在の日本は幸いにしてこの四つの枠組みからは解き放たれていると思われるが歴史に対して常に謙虚であろうとするとき、いつまたこの枠組みが作られてゆくかを注意深く見つめる必要がある。天皇は神ではなくなったものの日本人の「主観主義」や「国家戦略の欠如」といった当時と同じ根本的欠陥は現在も変わっていないのだから。

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シンギュラリティの問題

2018-02-13 18:33:09 | その他

Singularityというのは、物理学の用語で私も説明されないと解らなかったのですが、現在のトレンドとして使われる場合は「人工知能のような物」の能力の向上がとめどなく進む時点が現れる時、という意味で使われるようです。

 

NHK出版新書513「人類の未来」2017年刊 で、発明家であり、google技術部門のディレクターとして活躍するRay Kurzweil氏のインタビューが紹介されています。それによると「コンピューターが進化するのは指数関数的であるから、近未来のある時点(singularity)でコンピューターはヒトを完全に超える存在になり、ヒトも進化してpost-humanになるだろう」と。

 

ヒトゲノム(遺伝子)の解析は、1%解析するのに7年かかったけれども、その後2-4-8-16%と1年で指数関数的に解析が進んで線形的には7年x100で700年かかる所が+7年で100%解析できてしまった。AIの能力も今までの開発年数よりも少ない未来にヒト脳の解析能力を遥かに超える微小コンピューターが開発されてしまうだろう、というのはあり得る事だと思います。

 

Kurzweil氏によると、singularityを超えることによって、人間社会に以下の2つの可能性が出てくると言います。

 

1)      創造力や感情を含めてヒトと同じ(以上の)能力を持ったロボットの出現(star trek next generationファンの人はデータやローアの完成形と言えば解るでしょうか)。

2)      ヒトにAIの機能を加え、一体化することで進化したsuper humanの能力を持つようになる。

 

1の方はSFなどで良く登場するヒト型ロボットなので理解しやすいと思いますが、2はサルの脳に進んだ前頭葉が付加されて、言葉や音楽などの創造性を持ったヒトが出現したように、現在のヒトの脳にAIを付加することによって現在のヒト以上の能力を持った人類を作るという意味です。例えば対面している人の思考による微細な電磁波をAIが読み取る事で他人の思考を読み取る能力を持つ人類(テレパス)が出現するとか(それが嬉しいかどうかは別ですが)です。

 

以下は私の感想ですが、1については実現できそうで実はできないのではないか、と考えています。ある特定の能力(囲碁とか運転とか物作り)についてAIがヒトを超えるのは現在すでに達成されていますが、全てにおいてヒトを超える事は不可能ではないかと思います。その理由は「ヒトは好い加減」だからです。理系の問題には答えが一つしかありませんから、コンピューターは答えを出す事が得意でしょう。しかし文系の問題は答えが一つではありません。「仏教とキリスト教、君はどちらを信ずる?」という問いに人間以上の優れた答えを出すロボットはいないと断言します。勿論設定によってはAIがいろんな答えを出す事は可能ですが、「解答不能」を含めて万人が納得する優れた答えなど出しようがありません。だから全ての分野で「失敗も犯すし、好い加減に物事を決めてしまえるヒト」を超えるロボットなど存在し得ないと私は思うのです。

 

一方で2については、私は実現可能ではないかと考えます。将来、人類は言語を介さず思考の概念のみで異国人同士が会話する事が可能になるかも知れません。VR(virtual reality)の技術は現在もかなり進んでいますが、視覚障害のあるヒトがカメラの映像を直接脳内にAIの力で神経伝達するといった事は実現性がありそうです。惑星間旅行ができるほど代謝を落として寿命を伸ばせるヒトとか、個人のゲノム解析から自由に必要な臓器を作成して使うとかも実現可能と思われます。

 

ということで私は2についてはシンギュラリティが起こりそうだと考えています。

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知性の韜晦を真に受ける愚昧

2017-02-14 13:35:16 | その他

有名なテレビドラマの「刑事コロンボ」はぼろぼろのコートを着てうだつの上がらなそうな刑事コロンボが「ウチのカミサンがね、・・」などと言いつつセレブで上から目線の犯罪者達を理詰めで追いつめて行き、最後はギャフンと言わせる人気シリーズでした。米国の刑事物なのに銃を撃つシーンは皆無(一応持っているが<当たりゃしない>と本人談)というのも良い所でした。

 

さて、相変わらず批判の多いトランプ大統領ですが、未だにメディアでは「トランプ氏を政治の素人」「知性が足りない」とバカにした上での論評が絶えません。人をバカにして自分が考える枠内の人物であると決めてかかる事程、対決してゆく上で危険なことはありません。実社会で十年以上それなりに揉まれていれば、「相手を見下して油断する事の危険性」あるいは「己の方がはるかに愚かであったことが後で解って恥じ入る危険性」は学習し理解してゆくものです。だからメディアなどで「政治家の知性の韜晦」を真に受けてバカにして上から目線で論評している批評家を見ると「その批評家自身が愚昧・三流である」という印象しか私は受けません。きっと本人にそのようにアドバイスしてくれる友人もいないのでしょうし、自分は賢いと勘違いしてしまっている「その程度の人達」には何を言っても無駄なのかも知れません。

 

私は興味ありませんが2チャンネルなどでの論争やネットの掲示板、ブログコメントなどにも時々「自分が超越的に賢い」と勘違いした「上から目線」の書き込みがあって面食らうことがあります。まあ実社会に出て活躍したことがない人か、精神疾患に伴う薬剤の影響で自己万能観に陥っている場合もあるので深く追求しないことにはしていますが。

 

トランプ大統領ですが、共和党の代表選の段階からメディアの性質を知悉してその愚かさを逆手に取って金をかけずに自分を売り込み、クリントンとの大統領選においても敵に湯水のように金を使わせて結局自分を好悪織り交ぜて売り込むことに成功してきました。この「何をするか解らない」というイメージを大統領になってからも大いに活用していることが伺えます。日本などは首相が虎の子のGPIFの資産143兆円の1/3にあたる50兆円を米国のインフラ整備に投資しますよという土産を持ってゴルフをしに馳せ参じて満面の笑みで迎えられたのは報道された通りです(直接投資は否定してますが、債券などを経由して遠回しに使われることになるのでしょう)。代わりにトランプ大統領は「日米同盟は固い絆」「尖閣は日米安保の防衛範囲」という今までと何も変わらない原則を述べたのみ。しかもその前日習近平国家主席と長時間電話会談を行って恐らく「明日安倍が来るから尖閣は安保の同盟範囲と言うぜ!」という話はしたに違いありません。習近平氏としては最終的には南シナ海や台湾との「一つの中国問題」で「いずれどこかで折り合いを付ける」という希望的観測をトランプと話をしたことで感触を得たのでしょう。日本の尖閣の事など中国全体の外交問題においてはどうでも良い事であり、トランプに尖閣について言及することを了解して恩を売る位「何もしないことで利を得る」という中国古来からの最高の勝ち方に過ぎません。トランプもそれで50兆円もらえれば言う事無いでしょう。

 

トランプ氏は「何をするか解らない、知性の韜晦を装う強面で最初脅して、後から少し譲歩することで相手を喜ばせて大きな利を得る。」という作戦で米国国内においても反対派を翻弄しており、対外的には中国も慌てさせているのが実体と思われます。日本のメディアの政治経済評論は当たらないし底の浅い下らない物ばかりですが、トランプをバカにして論評するような三流評論家はそろそろ退散した方が良いと思います。また問題発言などに対する抗議デモを報ずるのも良いですが、抗議している人達の背景や「どうして欲しいのか」(実はグローバリズムの推進だったりする)事もしっかりと追求して報道してほしいものです。

 

NHKのニュースウオッチ9に対しては辛口のコメントが多くなりますが、先日もfake newsについての報道で、「自分達メディアの報ずる真実と政府が発表する内容が異なると政府がfake newsを自ら流すことになる」などとメディアが絶対的な真実を報じているという思い上がりの勘違いのコメントをキャスターが述べていてこれまた「唖然」としました。メディアが真実を追求する姿勢は大切ですが、「我々が報道している事が絶対真実なのだ」などという思い上がりは禁物のはずです。常に「真実は他にあるのではないか、」という謙虚さをメディアが持っていて初めて我々はメディアを信用しても良いかもと思えるものです。小保方さんの件をノーベル賞級の大発見と持ち上げたのはNHKです。その後の展開、そして放送倫理にもとる特集を組んで報道したのもNHKです。「恥を知り、謙虚になれ」「2チャンネルの勘違い上から目線野郎達と同じではないか」とあのキャスター達を見る度に思います。

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物理音痴の理系に雑誌Newtonの特集が解りやすい

2016-04-05 19:15:22 | その他

雑誌Newtonは昭和56年からある古い雑誌ですが、たまに興味があると買ったりしていました。今年の2月にアメリカ重力波観測装置LIGOが遂にアインシュタインの最後の宿題と言われていた重力波の測定に成功したというニュースがあったことで感心を持ったのですが、雑誌ニュートンで重力や分子間力といった基本的な力について解りやすく解説した特集がありました。

 

そもそもエネルギー不滅の法則というのがあるのに常にある重力は作用した後どうなってしまうのか、磁力は目に見えないのにその強さの違いはどのように物質に異なって作用しているのか、といった事は気にしなければどうということはありませんが、きちんと説明しろと言われると困ってしまう事柄です。

 

今回ニュートンスペシャル2号連続企画と題されて2016年4月号と5月号で物質を形作る素粒子と反物質について、重力、電磁気力、素粒子を結びつけて陽子や中性子を作る強い力、素粒子や電子をやり取りする弱い力の4種類の力について解りやすく解説されていました。

 

この特集を読んで何に感心したかというと、スタートレックなどのSFの世界で描かれていた反物質エネルギーエンジンや、物質転送などの技術もかなり実際の最先端の科学で解って来たこれらの理論に基づいて考えられていた事、ニュートリノとか最近のノーベル賞における話題がどの辺りの発見についての事であったかが解った事です。

 

反物質などというのは空想上の物かと思っていたのですが、エネルギーが質量に変わる時に物質と反物質が対で生成される(加速器で)とか、病院で日常的に診断に使っているPETは反物質(陽電子)を見ているといった説明は非常に興味深いものでした(良く知りませんでした)。

 

物質を構成する素粒子には質量を持つ素粒子と力を伝える質量を持たない素粒子がある(下図)、これらは交互に移行しあえると考えるのが「ひも理論」であり、質量のある素粒子はヒッグズ粒子(見つかっていないがそこら中に充満している)とぶつかるので光速で移動することができないが、力を伝える素粒子は質量がないのでヒッグズ粒子と衝突せずに光速で移動できる、というのは面白いと思います。前回のブログで紹介したコメディ「Big bang theory」の主人公シェルドン・クーパーが研究しているのは「ひも理論」ですし、スタートレック・ネクストジェネレーションで人を空間転送する際、一度素粒子まで分解して質量のないエネルギーに変えて波として相手方の装置に送って再度質量のある素粒子に復元して人に戻すという作業を瞬時に行うということになっていて、「転送開始」の指令は原語では”energize”(エネルギー化せよ)であるというのが理解できた時には成る程と膝を打ってしまいました。

   

  Star trek next generationの転送室

まあ半可通はすぐ襤褸が出てしまうのでこれ以上は書きませんが、重力などのエネルギーを伝えるしくみはこうなっていたのか(いると考えられている)と感心し、時々読み返してみようと思う雑誌の特集でした。

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新規顧客増を第一優先にするビジネスモデルの限界

2015-03-11 23:51:20 | その他

携帯電話やインターネット、古くは新聞などの情報関連産業においては、新しい顧客をいかに獲得するかが重用視されてきました。特に携帯電話などの新しい情報メディアが普及して行く過程においては、どの会社が市場を独占するかによって将来にわたる安定した企業運営が約束されるということもあってある程度説明がつく仕方のない事であったと思います。

 

しかしメディアが一通り普及してしまい、しかも日本のように若者の人口が減少傾向にある社会において、新規顧客の獲得を第一優先にしたビジネスモデルは結局ゼロサム、つまり自社の顧客を増やすことは他社から顧客を奪うことによってしか達成できない事態になってきます。そもそも携帯電話やインターネットの環境をわざわざ変えるというのは余程の事情がないかぎり普通の生活を送っている人はしないものです。何故なら普通の人にとって情報というのは情報そのものに価値があるのであって、情報を得る手段自体には重要性がないからです。

 

どの会社の情報を得る製品も性能において大差がない、ということになると、後は「売り」となるのはパッケージングやセットで割安感を出す事くらいしかなくなります。実際現在行われている各社の競争はそんな内容です。だからそのような状態で新規顧客を他社から奪うには突然電話などをかけて相手があまり理解できていないうちに自社の製品に乗り換えてもらうように仕向ける「半ば詐欺まがいの勧誘」くらいしか手がなくなります。

 

実は私も最近NTTの光回線を使ったフレッツ光のインターネットとネット電話からニューロ光というso-net系列のネット回線に変更したのですが、ある日突然「お宅様はNTTの光回線とネット電話をご使用でしょうか。」という電話がかかってきて「これからニューロ光というものになります。すると情報伝達速度は遥かに速くなって費用も今までよりも安くなります。」というので私はNTTの光回線が自動的にそのような仕様に変更になるものと思って話をきいていたのですが、最後になって「プロバイダーも今までの所からso-netに変えていただきます。」と言われて何かおかしいとやっと気づいた次第でした。私はNTTの光回線を長年使って来たのですが、最近フレッツから借用しているルーターの調子が悪く、頻繁にコンピュータ端末を認識しなくなって設定しなおしを余儀なくされたりしていたので、サービスに頼んで交換などしてもらおうと思っていたということもあり、「他の会社に乗り換えて全部新しいのになるのならそれでも良いか」と考えて乗りかかった船にそのまま乗ってしまうことにしました。しかしNTTは止めるとなると2年割りというのを中断することになって、これは2年間に一月のみ解約金を払わずに解約できるけど、それ意外の23ヶ月は罰金のように解約する顧客から違約金を取れるというこれも詐欺のようなシステムであることが解りました。プロバイダーの方も14年間も使っていたのに止めるとなると面倒な手紙のやり取りをしなければならず、しかも使っていないのに翌月まで使用量を払い続けるシステムになっているという詐欺システムであることが解りました。

 

要はこの手の情報産業というのは、「顧客は金をむしり取る相手」としか考えておらず、「気持ちよく長く使っていただく」という発想は皆無なのだとよく解りました。現在電話もインターネットも新しく問題なく使える状態になったので良いのですが、コンピュータ関連の知識について比較的詳しいと自負している私でさえいろいろ理解して設定するのにそれなりの時間が必要であったことを考えると、器械に疎いお年寄りなどでは全くどうして良いかも解らないうちにいろいろと変えられてしまって金だけあれこれ取られるという事態になりかねないと思いました。

 

もともと昨年の5月から携帯NTTドコモのシェア低下を受けてNTTグループが光回線を他事業者に卸売りをすると発表したことから、独立したサービスプロバイダがソフトバンクやKDDIと組んでドコモと光の組み合わせに対抗するパッケージを仕掛けて来たのかな、といろいろと調べていくうちに解ってきました。通信事業というのは維持費やインフラの新規構築にも多大な金がかかるものであることは理解できます。だから新規獲得の時点では金銭的に様々な特典を与えるけれども、一度獲得した顧客からは継続して料金をきっちり払ってもらわないと運転資金にも困窮する結果になりかねないものだろうと素人的にも思います。しかし日本のように人口がもう増えない社会においては、他社の顧客を詐欺まがいの勧誘で奪い合ったり、長年使ってくれた顧客から懲罰的な解約金を収奪したりする行為は「不正義」であり、「日本的な商習慣の良心」に反する行為であると断言せざるを得ません。「産めよ増やせよ」のグローバル企業ならばその経営方針は「顧客の増加を第一優先」にすることでしょうが、日本国におけるまっとうな企業の基本方針は長く使ってくれている顧客を大事にし、長く使ってくれる顧客へのサービスを優先することではないかと思われます。長期継続使用してくれている顧客には年に一度くらいは「問題なく使用できているか」ご機嫌伺いの手紙などを送る(問題があった場合の問い合わせ先など付けて)。使用状況によって割引のコースなどを提案する。など費用をさほどかけなくても長期に安定して使ってくれる顧客を大事にする方法はいくらでもあると思われます。拙宅にはNTTからもプロバイダーからも一度もこのような連絡はありませんでした。しかも古い資料では解約などの問い合わせ先も既に変更になっていました。

 

「お得意様」という言葉は江戸時代の商人達が贔屓にしてくれる顧客をありがたがって呼んだ呼称と思われますが、田舎者でなり上がりの米国グローバル企業には存在しない概念だと思います。今日本の情報産業に必要な精神は「お得意様」を大事にすることではないかとこの1−2ヶ月の我が家における顛末を経験して感じる所でした。

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英国空軍博物館探訪記

2014-10-23 19:26:05 | その他

ベルリンに訪れた際に郊外にあるドイツ空軍博物館を探しながら見学に行った記録をブログに残した所、コンスタントに検索して見ていただいているようなので、航空ファンには有名ではありますが、今回訪れた英国空軍博物館についても記しておこうと思います。

 

行き方はRAF museumでググると当該博物館のホームページにも比較的詳しく出ているのですが、ロンドンに始めて行く日本人はヒースロー空港でまずロンドンにどう行くか迷ってしまうのでそこから解説しようと思います。

 

地球の歩き方を含むどのガイドブックにもヒースロー空港からロンドン市街に安く行く方法が具体的に書いてありません。英国航空を含む日本からの便は大抵第5ターミナルに到着します。第5ターミナル自体がABC3つのブリッジに分かれていてBCに到着するとメインのAブリッジまで何と電車に乗って向かいます。大きな空港では米国のアトランタ空港なども到着してから荷物を受け取るまでに電車でターミナル内を移動する必要がある場合があって面食らうことがあるのですが、その辺の説明がガイドブックにはありません。

 

第5ターミナルのAブリッジに行くとバス、電車、タクシーなどの乗り場があります。料金が高い指定席の特急電車(1ポンドは実質200円で20ポンド以上、ロンドンまでは20分程度で到着)は第5ターミナルの地下から出発しますが、通常料金(10ポンド)で行ける電車は1.3.4ターミナルが集まるセントラル駅に行かないと乗れません。ターミナル間は無料のシャトルバスが走っていることになっているのですが、「必要な時は携帯電話で呼べ」と停留所に書いてあって普通の旅行者では使い物になりません。私はここで諦めてバス乗り場からタクシーで市内に向かったのですが、夜で渋滞がないにも関わらず市内までタクシーで90ポンド(チップこみ)もかかってしまい、家内と二人分といってもタクシー代2万円はかなり痛い出費でした。ガイドブックにはタクシーで40-70ポンドなどと書いてあって二人分の特急料金とあまり変わらないように見えてしまうのですが大嘘です。絶対電車を使うべきでしょう。

 

帰国する段になってやっと理解できたのですが、実は、第5ターミナルの地下に電車についての案内係の人がいて、料金の高いヒースローエクスプレスでなく、ヒースローコネクトに乗りたいと言えばその切符が買えます。第5ターミナルからコネクトに乗れるヒースローセントラル駅まではエクスプレスに乗って3分程度ですが、この移動は無料で改札もありません(これがガイドブックには書いてない)。やって来たヒースローエクスプレスに黙って乗ってセントラル駅に行って、ここからヒースローコネクトに乗り換えれば実質15分位の違いで市内のパディントン駅まで行けます。ヒースローコネクトは車内に改札が回ってくるので無賃乗車はできない仕組みになっています。エクスプレスとコネクトの違いは東京で成田に行きたい時に京成スカイライナーに乗るか、成田行きの特急(普通料金)に乗るかの違いと同じといえば分かりやすいでしょう。地下鉄でヒースロー空港から(第5ターミナルからも乗れる)市内に行く手もあるのですが、ゾーン別料金でコネクトとあまり変わらなくなる上に時間が1時間以上かかるので大きな荷物を持って移動する上でお勧めではありません。逆にロンドンからヒースローの第5ターミナルに行くにはパディントン駅からコネクトに乗って終点のセントラル駅で降りると同じホームにエクスプレスが直ぐにやってくるので無料でそれに乗って第5ターミナルまで行けば良いのです。

 

ロンドン市内からRAF museumまでは日本で地下鉄に乗り馴れていれば迷う事はありません。日本のsuicaに相当するタッチ式のプリペイドカードであるoister cardを空港の駅ででも購入して(市内の駅ではクレジットカードでないと購入できない、カード代5ポンドとデポジット5ポンドずつ入れるので数日ならば20ポンド分くらい入れておけば市内どこでも行けます。帰国する時はヒースローの第5ターミナル駅で係の人に残額cash backを頼めばカード代の5ポンドも含めて返ってきます)地下鉄に乗るのが一番便利です。例えばパディントン駅からであれば、緑色のDistrict lineに乗って2駅目のNotting Hill Gateで赤いCentral line東行き(East bound)に乗り換え、6駅目のトテナムコートロードで黒いNorthern lineのEdgeware行きに乗って12駅目が目的地のColindaleです。既に地下ではなく、地上を走っています。出口は一つしかなく、出た所の道路に「RAF museumこっち」という看板が立っているので指示通りに歩いて行くと10分位で博物館の建物と入り口が見えます。バスに乗る必要はありません。ベルリンのドイツ空軍博物館に比べればとても分かりやすい場所です。

 

館内は勿論無料、お子様向けには4Dビジュアルゲーム体験のような施設もありますが、第二次大戦の飛行機ファンであれば端から見て行くだけで十分にお腹いっぱい珍しい飛行機を眺める事ができます。

  

入り口で迎える定番ハリケーン milestone of flightと呼ばれるハンガー

スピットファイアやハリケーン、P-51ムスタングといった定番の飛行機から、B-17, B-24, ランカスター、モスキート、ハインケル111といった往時のスター達。フェアリーバトル、ライサンダー、ブレニムなどイギリスならではの飛行機や嬉しいのは昔プラモデルを作ったAirspeed OxfordやAvro Anson沿岸哨戒機などの本物がさりげなく陳列されていたことです。

      

モスキート、oxford、ブレニム、ハインケル111爆撃機達

渋々のサンダーランド飛行艇とかワルラス飛行艇といったファンにとってたまらない物が見れたのも、一生にそう何回も来れる所でないだけに「来て良かった」感がありました。

ワルラス(seagull)隣にサンダーランドも

実はイギリス中西部のCosfordにもRAF museum分館があってかなりの数の飛行機が陳列されているのですが、さすがにちょいとイギリス旅行に来た外国人が行ける所ではないのが残念です。Focke Wolf190の単座機(Hendonにあるのは複座型)とかカタリナ飛行艇などの魅力ある機もあるのですが、多くはミュンヘンやベルリンの博物館でも見れるものなので、やはりロンドン(Hendon)に行きさえすれば十分堪能できるように思います。

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台湾が熱い

2014-06-22 23:35:55 | その他

休暇を利用して台湾旅行に行ってきました。基本的にはパック旅行だったのですが、懇意にしている台湾のドクターに名所を案内してもらったり、最近の各種情勢について意見交換などできたことが収穫でした。亜熱帯の台湾が暑いのは当たり前ですが、人々や社会の勢いが「熱い」という表現が合っているように思ったのでこの題名にしました。以下紀行文というよりも、いくつかの論点に分けて今回の旅行で感じたことをまとめてみます。

 

これは観光地として訪れた九扮にある湯婆のモデルになった茶屋(一人千円位で美味しい茶が飲める)

1)      台湾は本当に親日か

結論から言えば親日であることは間違いありません。滞在中「日本統治時代」という文言はよく耳にしましたが、それが酷い物であったという話はありませんでした。あくまで是々非々であって、都市整備や文化の面で大きな進展があったことは評価されていますし、台湾古来の文化を迫害したという話も聞きません。ホテルの近くの公園には日露戦争時に工作員として活躍し、後に台湾総督になった明石元二郎の墓石も鳥居とともに残され碑が立っていました。反日国家ならば考えられません。

日本からの観光客や経済の交流が高く評価され、歓迎されています。これは朝鮮半島においても同じはずなのですが、後に述べる考え方などの違いで向こうでは事実が曲げられてしまうのでしょう。

戦後は日本の支配から国民党の支配に支配者が代わり、やっと民主化を経て現在のほぼ自主的民主的な政体に進化したと捉えられています。勿論現在でも台湾を中国の一部とみるか、大陸とは別の国家と考えるかで意見が分かれる所ですが、異なった意見が共存できる政体というのが真の民主主義であって、民度が進んでいるとも言えます。国力は劣りますが、共産中国よりも明らかに優れた存在(国家)であると感じます。

 

2)      台湾の人々の考え方、生き方

(1)外見よりも中身で勝負 

台湾のビルや建物はかなりボロいものが多いのですが、中は比較的奇麗にしていることが多いです。これは生き方にも反映されていて外を飾ることよりも内心を磨くというか実をあげる事の方を重視します。その点は日本人のエトスと共通するものがあると台湾の人も言ってました。また朝鮮の人達が「外面や見栄を内面の実よりも重視する」こととは正反対である、という点も日台共通の認識であることが種々話しているうちに確認されました。

 

(2)歴史を直視する現実派 

日本統治時代に後藤新平が作ったと言われる東京駅に似た大統領府は日本を向いており、その北側にある蒋介石記念堂は大陸を向いていて風水を無視していると言われています。その中間には国民党が統治した時代に台湾に元からいた人々を虐殺した記念碑が公園にあり、毎年追悼の式典が開かれるそうです。軍事政権時代の済州島虐殺をなかったことにしたり(慰安婦の連行の舞台ということになった)、天安門事件をなかったことにするどこかの国と違い、台湾の人達は歴史を直視していると言えます。それは現在の台湾が正式な国家として国際的に認められていないという厳しい現実に対処するには、あらゆる事実をごまかさずに認めて「今後の最善」を求めるために検討する必要性から出た知恵とも言えます。あくまで一つの中国にこだわるか、現実的な二つの中国でゆくかは結論が出ていません。一つの中国にこだわるということは、現実問題としては大陸に飲み込まれることを意味します。私の台湾の友人(外省)は大陸統合派で強い中国が望ましいという考えです(大陸からの軍事侵攻はあり得ないという考えでもある)。

 

(3)遠い将来よりも現在に生きる 

殆どの日本人は100年後も日本は存在すると考えています。だからわざわざ外に出て行かず家に籠っていても生きて行けると漠然と考えています。台湾の人は現在の状態がモラトリアムであることは十分に承知しています。だから外国に出る事(移住して消滅しない他国の国籍を取得することも含む)、外国語を学ぶ事、世界で通用する富を得る事に非常に積極的です。私の友人も日本と米国に留学し(日本語は話せませんが)、大陸にも友人がおり、子供も積極的に世界旅行をさせて将来は広東か上海に移住を考えているということでした。依って立つ国がないことの漠然とした不安というのは日本人には理解できない感覚だと思われます。台湾の人達は仲間や友人を非常に大事にします。私も彼にとっては緩いネットワークの一部で今回の訪台でも大事にしてもらった印象ですが、台北大学医学部を出たエリートの彼のネットワークは強力で、財テクから実業家や政治家までかなりの仲間がいるようでした。世界一の高層ビルである台北101(101階509m)(ビルジュドバイは建設中なので公式には101が一番)の86階にある高級レストランのオーナーが彼のネットワークの一人で、私と家内はそのレストランの上級席で日本と台湾の国旗をテーブルに飾ってもらって夕食を共にすることができました。(支配人の挨拶付きでこちらが恐縮でしたが)

 

世界一高い台北101ビル

3)      国家をどう考える?

上でも触れたように国家をどう考えるかは微妙で複雑な問題です。書店で中華民国の地図を購入すると、下に示すように中華民国の版図は台湾島だけではなく、モンゴルからチベットまでを含みます(さすがに沖縄を入れることは止めたようだ)。懸案になっている西沙諸島や尖閣も領土に含まれます。蒋介石(中正)記念堂や忠烈祠では中華民国建国の犠牲になった人達を讃えて対共産党との戦いにも最大の感心を払っている(故宮博物館は中国人で満員ですが、こちらには中国人旅行者は来ない)のですが、現実的に地図通りの版図を実現するような政策を長期的な視野に基づいて採って行くかというと否であり、現在男性に2年間課されている徴兵の義務も大学生(実質的な大学進学率はほぼ100%と言われ、大卒は学歴にならないそうだ)は9ヶ月に短縮され、5年以内には志願制に移行する予定だそうです。つまり「戦争(大陸進行)はしない」ことを前提に今後の政策が決められていて、国民もそれを「良し」としているのです。それは当然中国共産党政府も理解しているはずであり、双方が損をしない形で将来うまく取りまとめる(米露が納得するような形で)つもりだと理解するのが普通です(この辺の腹芸は中国人の最も得意とするところか)。だから私の友人も大陸が武力で責めて来ることはないと断言しているのです。

 

中華民国全図、中正記念堂と忠烈祠の衛兵交代式

4)      国際情勢の見方

種々話をする中で、日々変化しているイラク問題に触れました。私が「米国はアルカイダに時々資金援助をして問題を大きくしているよね。」と言うと「時々ではなくていつもnot sometime, always!」と切り返されてしまいました。世界におけるユダヤ資本による経済の動かし方などについても殆ど私が普段ブログで言及している内容に相違ない認識であり、台湾エリート達のネットワーク内での国際情勢についての認識は非常に現実的であり、私の認識は世界のエリート層の常識として「まっとう」だったのだなと安心した次第。厳しい国際情勢や経済の動きの中で台湾の人達が生き残って行くための情勢分析の大切さや厳しさを改めて感じました。

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世の中にある2種類の真理

2014-04-10 18:34:43 | その他

最近よく感ずる、世の中には2種類の真実があるな、という話です。一つは時代、社会、或は生物の範囲を超えて動かせない真実というもの、もう一つはある決め事の上に成り立つ真実というものです。

 

以前自然科学について論考した時に帰納的真実と演繹的真実に触れましたが、その分類もこれに関連していると言えます。つまり後者は前提に基づいて導かれた結論が、前提が正しく、論理展開が正しければ自動的に正しい結論になるというものです。

 

解りやすく言うと、誰も否定しようがない絶対的真実というのは、生物はいつか死ぬとか、食べなければ腹が減るとか、太陽は東から昇るといった事実で、犬猫にいたるまでこれを否定することはできません。しかし1+1=2というのは10進法でそう決めたから2になったに過ぎません。約束事の上での真理です。100円という通貨もその価値を皆が認めるように決めたから通用するのであって、江戸時代に持っていって通用するものではありませんし、犬に上げても餌を分けてくれるものでもありません。水に火をくべると沸騰しますが、沸騰する所までは絶対的な真実ですが、100度で沸騰するかどうかは決め事の上での真理でしかないと言えます。

 

真理・真実に2種類あるのは言われてみると当たり前のように思いますが、世の中で真理について議論する場合、この二つが混同されている場合が実に多いと思います。例えば宗教上の真理というのは後者の典型的なもので、信じている人にとっての真実でしかありません。

 

この絶対に動かす事ができない真実を「レベル1の真実」、約束事に基づく真実は「レベル2の真実」と呼ぶ事にします。レベル1の真実に対しては、人も動物も場合によっては命をかけて対処します。餓えや自然との戦いにおいては殺し合いをすることも厭わないことは、人も動物も古代人も一緒です。しかしレベル2の真実について殺し合いまでしてしまうのは現代人だけではないかと思います。動物は宗教戦争などしませんし、金や土地、資源を巡る戦争、殺し合いも経済観念というものを持ってしまった現代人だけが行う所業です。まあ決め事の上での真実で殺し合いまでしてしまう事が「ヒトのヒトたる所以」であるとも言えますが、それが本当に賢い所業とは必ずしもいえないように思うのです。つまり「決め事」を変えてしまえば殺し合いにならないのならば「決め事を変える」事の方が正しい選択だろうと。

 

医療においても、動かせない真実に対する医療と決め事に基づいた上での医療というのがあります。怪我をした、感染した、腫瘍ができた、といった事態に対する医療はうまく対応すれば死なずに済むものです。しかしコレステロールを下げれば心筋梗塞や脳梗塞にならない、というのは統計的な真実に基づく医療であって、コレステロールが正常でも梗塞は起きますし(むしろその方が多い)、コレステロールの薬を飲んだからといって死なずに済む訳ではありません。絶対的真実に基づく医療を「レベル1の医療」、決まり事に基づく医療を「レベル2の医療」に分けるとすれば、多くの急性期疾患や救急医療はレベル1の医療となり、予防医療と言われるものはレベル2の医療になります。しかし医療においては動かせない真実に対する医療と決まり事に基づく医療を区別して考えようとすることに抵抗があり、「レベル1の医療のみを保険診療の対象にしよう」などと言うと猛攻撃を受ける事になり、どちらの医療も混同して考えることを要求されます。医療者が大変でリスクの高い医療はレベル1の医療であり、医療者は楽で薬屋さんや業界が儲かる医療はレベル2の医療だからです。

 

本来レベル1の真実に基づく揉め事に対応するために、便宜的に人間は種々の決め事を作って対応してきたと言えます。しかし知らず知らずの内に、レベル2の真実も動かす事ができないレベル1の真実と混同してしまい、結果的に悲劇的な結末を招いてしまっていることが日常多いように感じます。「真実・真理(と言われているもの)を疑うという姿勢は大事だ」とある講義で話したので備忘録として記しました。

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雪の靖国神社

2014-02-12 20:51:16 | その他

何かと話題の多い靖国神社ですが、日本人にとっては神道の意味合いから、戦犯合祀の有無で神社そのものの貴賎が変わる訳ではないと私は考えています。だからお参りする時には単純に日本の将来のためを思って命を落としていった英霊達に感謝する気持ちでお祈りをする事にしています。

 

去る2月8日に都内で研究会があったのですが、油断しているうちに大雪で電車が止まってしまい、帰宅できなくなりました。幸いホテルが取れたので一泊して、翌日も当分交通が麻痺状態ということなので雪の靖国神社と皇居を散策してきました。

 

朝10時台にも関わらず参拝客用の通路は雪かきがなされていて、周囲へ広げられている最中であり、作業をしている人達(ボランティア?)に「お疲れさまです、失礼します」と声をかけながら通りました。非常に閑かで凛とした空気の中でお参りを済ませ、北の丸公園から竹橋の方へ滅多に見られない皇居の雪景色を眺めて散策し、交通が回復した午後に家に帰りました。雪と共存する北桔橋門とか北の丸公園の池など、画像の解像度は今ひとつですが携帯写真に撮ってみました。

 

靖国神社と言えば「A級戦犯合祀」が世界的に問題にされています。東京裁判でA級戦犯とされた人達がいなければ日本は戦争することはなかった、などと単純に考えている人は歴史について、まともな思考能力がある人ならばいないと思われます(ドイツの場合はヒトラーがいなければあのような戦争にならなかった可能性は高いと思いますが)。数多くの戦争開始の責任を問われるべき人達の代表としてA級戦犯とされる人達は処刑されて、後の人達はいちいち「お前は戦争中どうしていたのだ」と戦後追求されなくてもよくなった、と考えるとA級戦犯の人達は戦闘で犠牲になった人同様、戦後に戦争のために犠牲になった人と考えられる訳です。しかしそれが正しかったかどうかは別として、自国・他国に対する「戦争責任のけじめ」という形で犠牲になったのですから、他国から靖国に合祀され、そこに「政治指導者が参拝」するのはけしからんと言われるのならば「再度分祀もやむなし」ではないかと私は思います。申し訳ないと思いますが、戦後の日本人が心置きなくお参りできるように、靖国に行けない事も含めてA級戦犯としての犠牲なのかなと。

 

島田裕巳 著 「なぜ八幡神社が日本でいちばん多いのか」 GS幻冬舎文庫326 2013年刊 を読むと、日本の神道というものの伝統や考え方の柔軟性といったものが非常に良くわかります。例えば日本の草創期にあたる古事記・日本書紀に出てくる神は327柱しかおらず、日本中にある神社に祀られている神の多くはその後の歴史的な経緯で作り出された神々に過ぎず、日本に一番多い八幡神などは朝鮮由来の神であり、仏教の弥勒菩薩とも一緒になっていたりとかします。狐の化身としての稲荷神も渡来人の秦氏との関係や空海や東寺との関係が深いことが解ります。靖国神社の歴史はかなり浅く、誰が祀られるかといった事は時に応じて柔軟に決めて行けばよいというのが私見です。もともと神道というのはそのような柔軟なものであり、だからこそ日本人から神道を取り上げることが不可能なのだと感じます。「神と仏、どちらが上か」という乱暴な問いにも修行しないとなれないから「仏が上」、みたいな解説がなされていて神道の柔軟性をよく表していると感心します。

 

神道には他の宗教のような「教典」がなく、従って修行もない、修行や儀式をするための「社殿」も本来は必要がなく、山や石が祀られる本体であったりする。その分、日本人の生活に密着して歴史上絶える事なく存在し続けたのであり、修行による悟りや死後の極楽浄土を目指す仏教とは性格が異なる現世的なものだと感じます。神道における神は現在生きている人達に影響を与える存在なのだと考えると、現在生きている人達の都合で神の方もあちこちに移動してもらっても良いのではないかと思います。建物が古くなったから遷宮も行われる訳ですし、各地の祭りも災いを治めるために始められたものが多いのです(祇園祭や葵祭りも)。

 

誰もがそれぞれの思いで好きなように神社仏閣にお参りできるというのが真の信教の自由だと思います。それを実現するのも政治の仕事かと思います。

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Vancouver 2013.9滞在事情

2013-09-17 00:52:56 | その他

国際学会出席のために1週間ほどカナダのバンクーバーに行ってきました。9月に入って珍しく30度近い日もありましたが、日本と違い乾燥しているので、外にいても比較的快適で観光を楽しむ事もできました。学会における最新泌尿器科情報の備忘録は別の機会にして、滞在中に向こうのメディアなどから感じたシリア情勢についての感想と、福島の核汚染について向こうの人たちが感じている状況を接する事が出来た人たちからの感想から記します。

 

バンクーバーはカナダの東海岸最大の都市で、イチローのいたマリナーズがありアマゾンとかマイクロソフト、スタバなどの発祥で景気の良い米国シアトルよりも少し北にあります。もともと英国人が多かった場所ながら最近は中国人、インド人が多く、日本人は2%位のようです(観光客としては日本人多い)。メディアなどの日常文化はほとんどアメリカですが、物価は高めでその分治安は良好、ホームレスもニューヨークほど多くなく、夜でもあまり怖くありませんでした。

連日テレビのトップニュースはやはりアメリカのシリア攻撃がいつ始まるか、であり、オバマが長時間生で国民に演説をした様子とか、それを受けて賛否両論メディアが討論をしたり、世論調査をしたりした数字が日替わりで登場して飽きさせませんでした。オバマが議会を説得して攻撃をはじめようとしていた時にはバンクーバーの市内でも写真に示すように戦争反対のデモが起きていました(Hands Off Syriaと叫びながら市の中心につながるセンター街を行進する人たち。こちらが手を叩いて賛意を示すと向こうも笑顔とVサインで答えてくれました)。

現在米露の会談でシリアの化学兵器を第三者で共同管理する方向でまとまりつつありますが、先週の段階ではアメリカはシリア攻撃を強行したい思惑であったので、アサド大統領のテレビ出演やプーチンの意見表明もテレビで紹介されていましたが、討論会においては「シリア政府は一線を超えた(倫理的に許されないから懲罰が必要)」「シリア政府側が化学兵器を使った事はアメリカ政府の情報筋が確認した」の2点を繰り返し主張することで、武力行使への慎重論を黙らせようとする意図が明白でした。上院議員の慎重論派は、限定的な武力行使をしても効果が不明で、しかも内戦を治める目処も立たない、事を主張するのですが、「政府側が化学兵器を使った確実な証拠がない」事を主張するとアサドやプーチンの主張を取り入れることになり、しかもアメリカ政府の情報を否定することになるので分が悪く、苦しい展開のようでした。それでも世論調査、議員への事前調査でもアメリカの参戦には否定する国民が多いためにオバマも強行はできない情勢と思われました。

Time誌(下図)によると、シリアの化学兵器は本来イスラエルの核兵器に対抗するために各地に分散して用意されたものである、ということなので、米国(イスラエル)としてはイスラエルが優位性を保つためには、化学兵器をシリア政府が自由に使えない状態にさえなれば良いという結論になります。だから米露の共同管理に実効性があって、シリア政府が独自に化学兵器を使えなくなれば、米国がシリア内戦に介入する目的は達する事が出来ると考えられます。従って現在その方向でまとめているのではないかと思われます。

 

カナダ滞在中に2020年の東京オリンピック開催が決まった事は、もう一つの滞在中の話題でしたが、こちらはカナダのメディアでは15秒くらいしか紹介されませんでした。むしろレスリングが競技に残ったというほうが大きく報道されていました。決定前に福島の核汚染水漏出が問題になっていたので、学会の懇親会などの席で諸外国から来た人達に東京における開催と核汚染についての感想を聞いてみたのですが、懇親会という場もあるとは思いますが「安倍首相もunder controlと話していたよ。」とか「東京と福島はかなり離れているから大丈夫でしょ。」といったプロパガンダ通りの答えが返ってきたのには、普段外国のメディアの方が核汚染には神経質と思っていたのでやや拍子抜けでした。「現実には日本はfar eastだし、そこで起こっている事はそんなに注目されていないよ。」という感想が正直な所なのだろうと思いました。「大丈夫」と強弁することもあのような場合は効果があるのだな、と却って感心した次第でした。

観光バスのドライバーなどにも地震(vancouverも地震が多い由)、津波による瓦礫の漂着、汚染水の拡散などについても感想を聞いてみたのですが、「日本もカナダも海によってつながっているのだから被害を共有することは仕方がないよね、こちらも地震が多いからお互い様だよ。」という理解あるお言葉。外交辞令もあるでしょうが、そう言ってくれる人達のためにも後始末は責任をもってやらないといけない、と新たに思いました。

 

どうでも良い情報ですが、観光の参考として、天気が良ければグラウスマウンテンは行ってみる価値あり、waterfront駅でロープウエーの切符を買うと往復無料のバスがあります。計3−4時間あればキャピラノ吊り橋もついでに回れます(両方で80ドル位かかる)。食事はチェーン店ですがシャングリラホテル裏手にある「The Keg」のディナー照り焼きステーキセットが何店か回った中では一番値段と味の面(チップ込み50ドル位)でおすすめでした。(写真はビクトリアに行く途中のフェリーから撮った幻想的な風景)

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