rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評 中国の闇 マフィア化する政治 何清漣 著

2008-04-28 23:27:37 | 書評
中国の闇 (マフィア化する政治) 何清漣 著 中川友 訳 扶桑社2007年11月刊

アメリカの経済覇権にかげりが見え始めた現在(08年4月)、世界経済の機関車といわれる中国がこのまま破竹の進撃を続けられるのか、アメリカの経済失速とともに大きく衰退し、膨らみすぎた風船のように国内に溜まった格差や不良債権などの矛盾が一機に破裂して再度改革開放前の状態にまで後退してしまうのか、正確に予測できる人はかなりの中国専門家でもいないと思われる。オリンピックを前に中国は前代未聞の経済発展を見せている。一方でチベット問題と世界を回る灯火リレー、各地で繰り広げられる留学生らの異様な体制支援のパフォーマンスは世界の人々の中国を見る目を変えるに十分な効果があったと思われる。

中国の政治体制は「制度が腐敗しているのでなく腐敗が制度化している」と評されているが、毛沢東時代の文化大革命やそれらを絶賛する日本のメディアの印象が強い私には中国の官僚体制がそこまで腐敗しているということがにわかには信じられない。しかし著者は中国における政府行為の黒社会化(非合法組織との連携化)は1990年代の後半から本格化し、この10年ですっかり根付いてしまったと説明する。何故中国で非合法組織がはびこりやすいかというと、経済的豊かさを縦軸に人口を横軸においた「社会経済的地位指数」が先進国ではピラミッド型を作る(頂点の尖り具合はいろいろあるだろうが)のに対して中国では逆T字型を示していて、要は中間層がなく少数の大金持ちと大多数の貧民しかいないことが原因のひとつであるとしている。そして「政治的権力」を持つ者と「経済力」を持つ者が同一(つまり共産党員で官僚)であることは、「金を儲ける」ための「権力の行使」に非合法組織を使うことが容易であるといえるのである。都市部においては僅かながら中間層といえる人々が育ちつつある。しかし14億の全人口に占める中間層の割合はあまりにも少ないのであり、現在の中国指導者たちが「和諧社会による格差の是正と中間層の成長」を目指していると言っても権力層と一致している一部の金持ちの金を均等に国民に分けることなど考えておらず、現実には貧しい者が自分で稼ぐことで自ら中間層にあがることを妨げないという程度のことに見える。

著者は政府行為の黒社会化の実態を数多くの実例を示して説明している。その多くは実際に中国国内のメディアで報道されたものであり中国を脱出した著者の裏情報ではない。開発の名の下に農民たちの家や土地が公に示された一割にも満たない額で取り上げられ、途中の役人達が本来農民達に渡るはずの賠償金のほとんどを横領してゆく。立ち退きを拒否する者達を追い出すのも官僚の横領を中央に訴えようとするのを押さえ込むのも役人に雇われたやくざ者の「黒社会」であり、集団で訴える者たちには共産党直属の人民解放軍や武装警察といった権力が行使されるのである。

中国よQuo Va Disどこへ行くのか?というのは中国関連のニュースを見るたびに思うことである。計画経済が行き詰まって改革開放路線となり、政治は共産党独裁のまま経済だけ資本主義、「なれる人から金持ちに」という思いつきでしかない政策変更を行ってしまった中国。特権を持っている者が豊かになるという当たり前の結果が出ているにすぎない現在様々な矛盾や問題が表出してきている。日本も将来についてしっかりした骨格があるとは言えないが強大な軍事力は持たず、技術立国を目指し、国民は平均的に豊かで日本文化を大事にする北欧的な国になってゆくのが漠然とした目標である。中国はアメリカのような軍事力を背景にするアジアの覇権国を目指すのか(太平洋の半分をよこせといった中国海軍の司令官がいたな)。経済は工業中心なのか農業中心なのか、国内は日本や北欧のような福祉重視の貧富の差の少ない社会を目指すのか、アメリカ的な一攫千金社会を目指すのか。おそらく誰も答えられないのではないか。

悪徳権力者を糾弾する言論を続ける著者は2001年に身の危険を感じてアメリカに脱出するのであるが、彼女が愛国者であることは間違いない。また愛国者であるからこそ著者も中国よどこへ行くという問いを発している。この本の第二部「強権統治下における中国の現状と展望」において中国の今後を強く案じている。今後繁栄し続けるか、崩壊するかの予測については種々の証拠をあげて「繁栄論の根拠が間違っている」ことと「社会権力構造が巧妙であることから容易に崩壊しない」という両方の結果を導いている。つまり繁栄が行き詰まりつつもしばらくこの状態が続くということであろうか。

著者の危惧することに目先の効く富を得た権力者たちが既に国を捨て海外に逃亡する準備を整えつつあることをあげている。この「政治からの退場メカニズム」と呼ぶ構造は、富を得た権力者が家族を海外に住まわせたり子弟を留学させて海外に拠点を設け、稼げるだけ稼いで、いざとなったらいつでも母国から逃げ出せる準備を整えていることを指している。ロサンゼルスの郊外にはすでにそのための居住区までできているという。私が米留中や日本において会った中国の留学生たちは本人達も優秀であったけれど、確かに皆共産党の幹部の子弟たちであった。

著者は今後の中国を「危機に満ちた長いプロセスをたどりながら紆余曲折を経て民主化が進んでゆくほかないであろう」と推測する。富を得た政治エリートは海外へ勝ち逃げするだろうが、民主主義のリーダーたる資質を持った愛国的指導者は踏みとどまって祖国のために頑張るかもしれないと期待する。公衆にとっては改革のコストを今払うか、子孫の時代に先送りするかの選択を迫られることになるだろうと結論付ける。著者は燦然たる文明の歴史を持つ中国が近代的な民主政治を孫文いらい100年たっても達成できない歯がゆさを憂い、ぜひ自分たちの時代に世界に誇れる民主国家に脱皮して欲しいと訴えている。私は彼女は真の愛国者であると思う。
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書評 日中戦争 殲滅戦から消耗戦へ 

2008-04-28 00:43:20 | 書評
小林英夫著  講談社現代親書2007年7月刊

2007年は日中戦争開始から70年目の節目の年だそうだ。日本は現在でも南京の虐殺や中国侵略時における贖罪意識について中国から追及されている。その立場は常に「責める中国」と「謝罪する日本」という図式であり、希に日本が中国のチベット侵略の非について口にしようものなら「お前何勘違いしている」とばかりに「ぼこぼこに殴られる」のを覚悟しなければならない(とマスコミも政治家も国民も暗黙の内に思っている)。丁度学校における苛められっ子がたまに反論しようものならさらに酷い仕打ちを受けるようなもので、漫画どらえもんで口答えをしたのび太が「のび太のくせに生意気だ」という理由でジャイアンに殴られるのと同じであると戦後生まれの日本人は感じている。

2007年の70年前の1937年、7月7日は蘆溝橋事件勃発の日である。我々歴史に疎い戦後生まれの人間にとって、日中戦争の始まりは蘆溝橋事件であるという事は理解していても実感として掴み難い。なぜならその前の満州事変は日中戦争に入らない(ここまでは批難の対象外?第一次大戦のチンタオやその後の山東出兵とか)というのがどうも理解しにくいように思うからである。しかし台湾からの友人と話した時も彼らは歴史上蘆溝橋事件を日中戦争開始と習ったと言っており、日中共同の認識としてこれは正しいのだろうと思われる。

太平洋戦争の呼び水となった日中戦争が何故行われたのか、日本は何を目的に、どのような心構えで戦争に突入していったのかというのは誠に興味深い所であり、前の保阪正康氏の「昭和史の教訓」においても最も知りたいところであった。亜細亜近代史の研究家である小林英夫氏の日中戦争(殲滅戦から消耗戦へ)は日中両国の本戦争におけるスタンスの違いを分りやすく見事に解説している。

一言で言えば、日本は強力な軍事力をもって短期決戦で決着を付ける殲滅戦思考であり、中国は弱兵であるが長期消耗戦に持ち込んで相手の疲弊したところで最終的に勝ちを取る消耗戦思考である、という事である。また直接戦闘にかかわる戦力や軍備を生み出す産業力を「ハードパワー」、国家戦略や宣伝、外交力などを「ソフトパワー」と表現し、日本は前者は強いが後者は弱く、中国はその逆であると分析している。重要な点は当時の日本にはこの分析はなく、中国の蒋介石総統は的確にこの分析を行った上で、彼の戦略にどおりに戦争が行われていったことにある。

本の中にある、1938年の蒋介石対日言論選集からの引用で、日本と中国の長所短所の分析を蒋介石がいかに的確に行っていたかがわかる。

<日本側の長所>
こざかしい事をしない
研究心を絶やさない
命令を徹底的に実施する
連絡を密にした共同作業が得意
忍耐強い

<日本側の短所>
国際情勢に疎い
持久戦で経済破綻を生ずる
何故中国と戦わねばならないのか理解できていない

<中国側の長所>
国土が広く人口が巨大である
国際情勢に強い
持久戦で戦う条件を持っている

<中国側の短所>
研究不足
攻撃精神の欠如
共同作戦の稚拙
軍民のつながりの欠如

蒋介石は日露戦争後に4年間日本に留学して日本の陸軍士官学校で学び日本軍の中で生活した経験があるから日本及び日本軍の長所短所を実に的確に把握していたのである。私がこれを長く引用したのは蒋介石のこの日本分析が現在の日本にもそのまま当てはまると思われるからです。それに引き換え中国側の短所は現在かなり改善されているように思うのは私だけでしょうか。日本は第二次大戦の教訓から何も学んでいないのではないか。

殲滅戦、消耗戦という視点で興味深いのは圧倒的なハードパワーを持った現在のアメリカとイラクゲリラの関係、現在の中共とチベット独立派の関係、当時のソ連とアフガンゲリラの関係が重なって見えることです。そういえばベトナム戦争においてもアメリカは圧倒的軍事力を持ちながら消耗戦でやられて金本位制を保てなくなって何とか戦争を敗けで終わらせたニクソンが経済も四苦八苦していたのを思い出します。

著者は日中戦争の実態を庶民の立場から紹介する目的で1953年に中国吉林省の関東憲兵隊司令部跡地で発見された当時の郵便検閲をの結果をまとめた「検閲月報」を紹介引用している。日中戦初期から後期に分けて日本人、中国人、その他外国人の手紙を検閲して、反日抗日的内容、厭戦反戦的内容、軍機密に係わるもの、親日的内容、流言飛語、銃後の民心に係わる戦争の実相を示す物など例をあげて紹介している。この章で印象深かったのは、どれを紹介するかという点で著者のバイアスが入る事は否めないとしても、検閲月報に書かれていることは真実であると考えられることから、特に銃後の民心に係わるとして削除された中国人殺戮の模様や村落からの物資略奪の模様が中国が「日本の戦時中の悪行」として批難している多くの内容と合っていることです。勿論、南京虐殺や100人切り問題や日本の悪行の代表として喧伝されているものの多くは事実以外の誇張が含まれていて多分に政治的意味によって脚色されているとは思います。しかし極限状態の戦場において日本軍は何も残虐なことや悪い事はしていないなどということはあり得ないということがこの検閲によって削除された内容を知る事で理解できます。

日本はうまくいった満州事変の如く華中にも日本支配の及ぶ地域か中国全体に親日的な政府を簡単に造れるだろうと目論んで戦争に突入し、蒋介石の消耗戦戦略にまんまと乗せられて中国奥地への泥沼の戦いに導かれてゆきます。途中早く戦争を終結させようと汪兆銘に傀儡政権を造らせますが近衛内閣の蒋介石への態度が二転三転で結局親日的な汪政権にも不誠実な対応しかできず、ついには欧米を蒋介石の側に付かせてしまい太平洋戦争が始まる事になります。この辺の経緯において、戦前日本は民主国家でなく軍事独裁国家ということになっているのですが、では明確な国家戦略を描いて独裁の指揮をとっていたのは誰なの?と聞いてみたくなります。天皇でもなく、転々と変わる首相でもない、陸海軍の首脳も百花総覧いろんな考えの人がいる。ただ「血気盛んな若手」とか「統制派・皇道派」に代表される「空気」があってそれに逆らわないように物事が決定されていったに過ぎないのではないかと思ってしまいます。

今の日本はしっかりした国家戦略を持っているのでしょうか。独裁はいけませんが、民主的に選ばれたリーダーは日本の進む道を明確に示しているでしょうか。日本の経営が、誰が決めたか分らない「空気」に反しないような選択肢をただ選んでいるだけであるとすれば、これまた日本は戦争から何も学んでいないということになると思います。
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