中国の闇 (マフィア化する政治) 何清漣 著 中川友 訳 扶桑社2007年11月刊
アメリカの経済覇権にかげりが見え始めた現在(08年4月)、世界経済の機関車といわれる中国がこのまま破竹の進撃を続けられるのか、アメリカの経済失速とともに大きく衰退し、膨らみすぎた風船のように国内に溜まった格差や不良債権などの矛盾が一機に破裂して再度改革開放前の状態にまで後退してしまうのか、正確に予測できる人はかなりの中国専門家でもいないと思われる。オリンピックを前に中国は前代未聞の経済発展を見せている。一方でチベット問題と世界を回る灯火リレー、各地で繰り広げられる留学生らの異様な体制支援のパフォーマンスは世界の人々の中国を見る目を変えるに十分な効果があったと思われる。
中国の政治体制は「制度が腐敗しているのでなく腐敗が制度化している」と評されているが、毛沢東時代の文化大革命やそれらを絶賛する日本のメディアの印象が強い私には中国の官僚体制がそこまで腐敗しているということがにわかには信じられない。しかし著者は中国における政府行為の黒社会化(非合法組織との連携化)は1990年代の後半から本格化し、この10年ですっかり根付いてしまったと説明する。何故中国で非合法組織がはびこりやすいかというと、経済的豊かさを縦軸に人口を横軸においた「社会経済的地位指数」が先進国ではピラミッド型を作る(頂点の尖り具合はいろいろあるだろうが)のに対して中国では逆T字型を示していて、要は中間層がなく少数の大金持ちと大多数の貧民しかいないことが原因のひとつであるとしている。そして「政治的権力」を持つ者と「経済力」を持つ者が同一(つまり共産党員で官僚)であることは、「金を儲ける」ための「権力の行使」に非合法組織を使うことが容易であるといえるのである。都市部においては僅かながら中間層といえる人々が育ちつつある。しかし14億の全人口に占める中間層の割合はあまりにも少ないのであり、現在の中国指導者たちが「和諧社会による格差の是正と中間層の成長」を目指していると言っても権力層と一致している一部の金持ちの金を均等に国民に分けることなど考えておらず、現実には貧しい者が自分で稼ぐことで自ら中間層にあがることを妨げないという程度のことに見える。
著者は政府行為の黒社会化の実態を数多くの実例を示して説明している。その多くは実際に中国国内のメディアで報道されたものであり中国を脱出した著者の裏情報ではない。開発の名の下に農民たちの家や土地が公に示された一割にも満たない額で取り上げられ、途中の役人達が本来農民達に渡るはずの賠償金のほとんどを横領してゆく。立ち退きを拒否する者達を追い出すのも官僚の横領を中央に訴えようとするのを押さえ込むのも役人に雇われたやくざ者の「黒社会」であり、集団で訴える者たちには共産党直属の人民解放軍や武装警察といった権力が行使されるのである。
中国よQuo Va Disどこへ行くのか?というのは中国関連のニュースを見るたびに思うことである。計画経済が行き詰まって改革開放路線となり、政治は共産党独裁のまま経済だけ資本主義、「なれる人から金持ちに」という思いつきでしかない政策変更を行ってしまった中国。特権を持っている者が豊かになるという当たり前の結果が出ているにすぎない現在様々な矛盾や問題が表出してきている。日本も将来についてしっかりした骨格があるとは言えないが強大な軍事力は持たず、技術立国を目指し、国民は平均的に豊かで日本文化を大事にする北欧的な国になってゆくのが漠然とした目標である。中国はアメリカのような軍事力を背景にするアジアの覇権国を目指すのか(太平洋の半分をよこせといった中国海軍の司令官がいたな)。経済は工業中心なのか農業中心なのか、国内は日本や北欧のような福祉重視の貧富の差の少ない社会を目指すのか、アメリカ的な一攫千金社会を目指すのか。おそらく誰も答えられないのではないか。
悪徳権力者を糾弾する言論を続ける著者は2001年に身の危険を感じてアメリカに脱出するのであるが、彼女が愛国者であることは間違いない。また愛国者であるからこそ著者も中国よどこへ行くという問いを発している。この本の第二部「強権統治下における中国の現状と展望」において中国の今後を強く案じている。今後繁栄し続けるか、崩壊するかの予測については種々の証拠をあげて「繁栄論の根拠が間違っている」ことと「社会権力構造が巧妙であることから容易に崩壊しない」という両方の結果を導いている。つまり繁栄が行き詰まりつつもしばらくこの状態が続くということであろうか。
著者の危惧することに目先の効く富を得た権力者たちが既に国を捨て海外に逃亡する準備を整えつつあることをあげている。この「政治からの退場メカニズム」と呼ぶ構造は、富を得た権力者が家族を海外に住まわせたり子弟を留学させて海外に拠点を設け、稼げるだけ稼いで、いざとなったらいつでも母国から逃げ出せる準備を整えていることを指している。ロサンゼルスの郊外にはすでにそのための居住区までできているという。私が米留中や日本において会った中国の留学生たちは本人達も優秀であったけれど、確かに皆共産党の幹部の子弟たちであった。
著者は今後の中国を「危機に満ちた長いプロセスをたどりながら紆余曲折を経て民主化が進んでゆくほかないであろう」と推測する。富を得た政治エリートは海外へ勝ち逃げするだろうが、民主主義のリーダーたる資質を持った愛国的指導者は踏みとどまって祖国のために頑張るかもしれないと期待する。公衆にとっては改革のコストを今払うか、子孫の時代に先送りするかの選択を迫られることになるだろうと結論付ける。著者は燦然たる文明の歴史を持つ中国が近代的な民主政治を孫文いらい100年たっても達成できない歯がゆさを憂い、ぜひ自分たちの時代に世界に誇れる民主国家に脱皮して欲しいと訴えている。私は彼女は真の愛国者であると思う。
アメリカの経済覇権にかげりが見え始めた現在(08年4月)、世界経済の機関車といわれる中国がこのまま破竹の進撃を続けられるのか、アメリカの経済失速とともに大きく衰退し、膨らみすぎた風船のように国内に溜まった格差や不良債権などの矛盾が一機に破裂して再度改革開放前の状態にまで後退してしまうのか、正確に予測できる人はかなりの中国専門家でもいないと思われる。オリンピックを前に中国は前代未聞の経済発展を見せている。一方でチベット問題と世界を回る灯火リレー、各地で繰り広げられる留学生らの異様な体制支援のパフォーマンスは世界の人々の中国を見る目を変えるに十分な効果があったと思われる。
中国の政治体制は「制度が腐敗しているのでなく腐敗が制度化している」と評されているが、毛沢東時代の文化大革命やそれらを絶賛する日本のメディアの印象が強い私には中国の官僚体制がそこまで腐敗しているということがにわかには信じられない。しかし著者は中国における政府行為の黒社会化(非合法組織との連携化)は1990年代の後半から本格化し、この10年ですっかり根付いてしまったと説明する。何故中国で非合法組織がはびこりやすいかというと、経済的豊かさを縦軸に人口を横軸においた「社会経済的地位指数」が先進国ではピラミッド型を作る(頂点の尖り具合はいろいろあるだろうが)のに対して中国では逆T字型を示していて、要は中間層がなく少数の大金持ちと大多数の貧民しかいないことが原因のひとつであるとしている。そして「政治的権力」を持つ者と「経済力」を持つ者が同一(つまり共産党員で官僚)であることは、「金を儲ける」ための「権力の行使」に非合法組織を使うことが容易であるといえるのである。都市部においては僅かながら中間層といえる人々が育ちつつある。しかし14億の全人口に占める中間層の割合はあまりにも少ないのであり、現在の中国指導者たちが「和諧社会による格差の是正と中間層の成長」を目指していると言っても権力層と一致している一部の金持ちの金を均等に国民に分けることなど考えておらず、現実には貧しい者が自分で稼ぐことで自ら中間層にあがることを妨げないという程度のことに見える。
著者は政府行為の黒社会化の実態を数多くの実例を示して説明している。その多くは実際に中国国内のメディアで報道されたものであり中国を脱出した著者の裏情報ではない。開発の名の下に農民たちの家や土地が公に示された一割にも満たない額で取り上げられ、途中の役人達が本来農民達に渡るはずの賠償金のほとんどを横領してゆく。立ち退きを拒否する者達を追い出すのも官僚の横領を中央に訴えようとするのを押さえ込むのも役人に雇われたやくざ者の「黒社会」であり、集団で訴える者たちには共産党直属の人民解放軍や武装警察といった権力が行使されるのである。
中国よQuo Va Disどこへ行くのか?というのは中国関連のニュースを見るたびに思うことである。計画経済が行き詰まって改革開放路線となり、政治は共産党独裁のまま経済だけ資本主義、「なれる人から金持ちに」という思いつきでしかない政策変更を行ってしまった中国。特権を持っている者が豊かになるという当たり前の結果が出ているにすぎない現在様々な矛盾や問題が表出してきている。日本も将来についてしっかりした骨格があるとは言えないが強大な軍事力は持たず、技術立国を目指し、国民は平均的に豊かで日本文化を大事にする北欧的な国になってゆくのが漠然とした目標である。中国はアメリカのような軍事力を背景にするアジアの覇権国を目指すのか(太平洋の半分をよこせといった中国海軍の司令官がいたな)。経済は工業中心なのか農業中心なのか、国内は日本や北欧のような福祉重視の貧富の差の少ない社会を目指すのか、アメリカ的な一攫千金社会を目指すのか。おそらく誰も答えられないのではないか。
悪徳権力者を糾弾する言論を続ける著者は2001年に身の危険を感じてアメリカに脱出するのであるが、彼女が愛国者であることは間違いない。また愛国者であるからこそ著者も中国よどこへ行くという問いを発している。この本の第二部「強権統治下における中国の現状と展望」において中国の今後を強く案じている。今後繁栄し続けるか、崩壊するかの予測については種々の証拠をあげて「繁栄論の根拠が間違っている」ことと「社会権力構造が巧妙であることから容易に崩壊しない」という両方の結果を導いている。つまり繁栄が行き詰まりつつもしばらくこの状態が続くということであろうか。
著者の危惧することに目先の効く富を得た権力者たちが既に国を捨て海外に逃亡する準備を整えつつあることをあげている。この「政治からの退場メカニズム」と呼ぶ構造は、富を得た権力者が家族を海外に住まわせたり子弟を留学させて海外に拠点を設け、稼げるだけ稼いで、いざとなったらいつでも母国から逃げ出せる準備を整えていることを指している。ロサンゼルスの郊外にはすでにそのための居住区までできているという。私が米留中や日本において会った中国の留学生たちは本人達も優秀であったけれど、確かに皆共産党の幹部の子弟たちであった。
著者は今後の中国を「危機に満ちた長いプロセスをたどりながら紆余曲折を経て民主化が進んでゆくほかないであろう」と推測する。富を得た政治エリートは海外へ勝ち逃げするだろうが、民主主義のリーダーたる資質を持った愛国的指導者は踏みとどまって祖国のために頑張るかもしれないと期待する。公衆にとっては改革のコストを今払うか、子孫の時代に先送りするかの選択を迫られることになるだろうと結論付ける。著者は燦然たる文明の歴史を持つ中国が近代的な民主政治を孫文いらい100年たっても達成できない歯がゆさを憂い、ぜひ自分たちの時代に世界に誇れる民主国家に脱皮して欲しいと訴えている。私は彼女は真の愛国者であると思う。