世の中には冷静に考えれば「いんちき」や虚像であることが明確であるのに真剣に信用してしまい取り返しの付かない大きな誤りをしてしまうことがあります。占いを信じてつまらない物を買ってしまう程度ならば可愛いものですが、高価な壺やら現世利益を求めて高額な喜捨をしたり、カルト宗教に心酔したり傍目から見て何故いんちきに気づかないのだろうと不思議に思う事も多々あります。
医学においても明らかにいんちきな健康食品やエセ医療に高額な金をかける人達が後を絶たないのが現実です。西洋医学は自然科学の一分野であり、分析の科学です。個体は臓器からなり、臓器は組織からなり、組織は細胞からなるので、病気の治療は細胞にまで遡って考えられます。西洋医学がともすれば体の部分に対する対症療法と批判される原因もそこにありますが、西洋医学の信頼性はその科学的分析にあるといえるでしょう。
西洋医学が唯一絶対正しいものだとは言いません。個体を臓器に腑分けした時点でもとの個体とは違うものになってしまうのですから、その個体そのものの病気を見ているのとは違うことになってしまう。その点個体を個体のまま観察して診断を下す東洋医学の方がより病気の実体に近い場合もあります。しかし世の中にはこの西洋医学の衣をかぶった怪しげなものがたくさんあって、西洋医学の手法によって付けられるべき病名をそのまま用いてその分析手法と全く関係のない方法で診断したり治療したりするものもあるので素人は簡単にだまされてしまうのです。
東洋医学の話題が出ましたが、東洋医学は西洋医学とは全く異なる理論(前提)の上に診断、治療を行うもので、いたずらに西洋医学の理論をくっつけて補充しようという考えはありません。東洋医学を西洋医学的に解明することはかなり行われていますが、これはあくまで西洋医学的手法を用いているもので、西洋医学の一部です。よく患者さんに「漢方薬も効果がありますか。」と聞かれる事がありますが、正しい答えは「東洋医学に基づく疾患概念には効きます。」というものです。しかし東洋医学も同じ人間を扱う医療であり、疾患概念にはオーバーラップしているものもあるのでけっこうそのまま効いてしまう漢方薬もあるため「漢方がとても良く効く場合もあります。」と答えることにしています。
科学とはある前提となる「定理」があって、そこから合理的な論理の展開によって「結論」が導かれます。しかしこの「前提」がおかしいと途中経過の論理展開がいかに正しくても導かれる結論がおかしなものになってしまいます。オウム心理教のように「ハルマゲドンが来る」ことが前提ならば「ポアされてよかった」という結論になります。「資本主義が絶対悪」であれば歴史の必然は「原始共産制」に向かって突き進むことになります。世の中で、理論がしっかりしているようだけれど、結論がおかしいと思われるもの、何か怪しげなものを突き詰めてゆくと、「前提がおかしい」ことに気付きます。その怪しげな前提を納得させるために、世の中に既にある「権威」が利用されたり、超常現象を用いたり、人々の不安が利用されたりします。ねずみ講の場合は「儲けたい」という下心が利用されますね。
「自然科学が本当に正しいか」というのも実は怪しいものです。これは副島隆彦氏がよく理系人間を戒める時に言うことですが、自然科学もその前提となる定理が正しいとする範囲において、正しい論理展開によって導かれる結論が正しいということにすぎないのであって、日常生活上その定理があてはまる範囲がかなり広いから一般論として「自然科学は正しい」としているにすぎないのです。これが社会科学になると前提自体が沢山立てられるので正しい論理展開によって導かれる結論も「正しい結論」が沢山あることになります。経済学なども社会科学と自然科学の中間みたいなもので、様々な正しい結論が出されるようですがなかなか現実と一致しませんね。米国の金融工学という経済学などやはり金融で国家が成り立つという前提が100%間違っていたということでしょう。
我々は「合理的な論理の展開」には弱いものです。途中経過が正しそうだと間違っている結論を真実と思ってしまうことがあります。人間の健康を扱う医学においてはせめてこのような手法は使わないでいただきたいものです。
医学においても明らかにいんちきな健康食品やエセ医療に高額な金をかける人達が後を絶たないのが現実です。西洋医学は自然科学の一分野であり、分析の科学です。個体は臓器からなり、臓器は組織からなり、組織は細胞からなるので、病気の治療は細胞にまで遡って考えられます。西洋医学がともすれば体の部分に対する対症療法と批判される原因もそこにありますが、西洋医学の信頼性はその科学的分析にあるといえるでしょう。
西洋医学が唯一絶対正しいものだとは言いません。個体を臓器に腑分けした時点でもとの個体とは違うものになってしまうのですから、その個体そのものの病気を見ているのとは違うことになってしまう。その点個体を個体のまま観察して診断を下す東洋医学の方がより病気の実体に近い場合もあります。しかし世の中にはこの西洋医学の衣をかぶった怪しげなものがたくさんあって、西洋医学の手法によって付けられるべき病名をそのまま用いてその分析手法と全く関係のない方法で診断したり治療したりするものもあるので素人は簡単にだまされてしまうのです。
東洋医学の話題が出ましたが、東洋医学は西洋医学とは全く異なる理論(前提)の上に診断、治療を行うもので、いたずらに西洋医学の理論をくっつけて補充しようという考えはありません。東洋医学を西洋医学的に解明することはかなり行われていますが、これはあくまで西洋医学的手法を用いているもので、西洋医学の一部です。よく患者さんに「漢方薬も効果がありますか。」と聞かれる事がありますが、正しい答えは「東洋医学に基づく疾患概念には効きます。」というものです。しかし東洋医学も同じ人間を扱う医療であり、疾患概念にはオーバーラップしているものもあるのでけっこうそのまま効いてしまう漢方薬もあるため「漢方がとても良く効く場合もあります。」と答えることにしています。
科学とはある前提となる「定理」があって、そこから合理的な論理の展開によって「結論」が導かれます。しかしこの「前提」がおかしいと途中経過の論理展開がいかに正しくても導かれる結論がおかしなものになってしまいます。オウム心理教のように「ハルマゲドンが来る」ことが前提ならば「ポアされてよかった」という結論になります。「資本主義が絶対悪」であれば歴史の必然は「原始共産制」に向かって突き進むことになります。世の中で、理論がしっかりしているようだけれど、結論がおかしいと思われるもの、何か怪しげなものを突き詰めてゆくと、「前提がおかしい」ことに気付きます。その怪しげな前提を納得させるために、世の中に既にある「権威」が利用されたり、超常現象を用いたり、人々の不安が利用されたりします。ねずみ講の場合は「儲けたい」という下心が利用されますね。
「自然科学が本当に正しいか」というのも実は怪しいものです。これは副島隆彦氏がよく理系人間を戒める時に言うことですが、自然科学もその前提となる定理が正しいとする範囲において、正しい論理展開によって導かれる結論が正しいということにすぎないのであって、日常生活上その定理があてはまる範囲がかなり広いから一般論として「自然科学は正しい」としているにすぎないのです。これが社会科学になると前提自体が沢山立てられるので正しい論理展開によって導かれる結論も「正しい結論」が沢山あることになります。経済学なども社会科学と自然科学の中間みたいなもので、様々な正しい結論が出されるようですがなかなか現実と一致しませんね。米国の金融工学という経済学などやはり金融で国家が成り立つという前提が100%間違っていたということでしょう。
我々は「合理的な論理の展開」には弱いものです。途中経過が正しそうだと間違っている結論を真実と思ってしまうことがあります。人間の健康を扱う医学においてはせめてこのような手法は使わないでいただきたいものです。