rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

書評 日本辺境論

2010-07-04 01:29:54 | 書評
書評 日本辺境論 内田 樹 著 新潮新書2009年刊

2010年新書大賞とあり10年3月で12刷とあるのでかなり売れていて読まれているのでしょう。それは納得できます。著者の論の進め方は細かいことを言わず「ざっくり」していて解りやすい。「はじめに」で述べられているようにこの本の内容はどこかで聞いたことがあるような日本人論の寄せ集めなのですが、その集め具合と論旨の展開に著者なりのオリジナリティがあってしかも「ストンと腑に落ちる」ように納得してしまう解りやすさが人気の秘密のように思います。

全体を貫く「日本を辺境」たらしめる論旨の中心になる部分は、日本は常に外国(古くは中国、近代は西洋)を世界の中心であり日本より優れたものと決めつけて、自分を遅れた者、劣った者と規定した上で外国の文化を無批判に受け入れ、しかも自分に都合の良い所だけかいつまんで自分の物にしてきた、という主張です。そして日本の辺境ぶりは日本の欠点というよりも特徴として自分達自身が自覚した上で利点を多いに生かそうではないか、というのが著者の主張です。

第一章の「日本人は辺境人である」は他との比較でしか自国を認識できない日本人が明治以降なぜこのような歴史をたどってきたのかを「辺境人のメンタリティ」から解説しています。幕末に日本の列強にたいする劣位を強烈に意識して日露戦争までの間に洋才を取り入れ、第一次大戦後に五大国に列するまでになったのに自分の確固たる地位を列強の中で確保することなく戦争に勝ったロシアのやろうとしていたことをアジアにおいて忠実に再現してしまったためにロシア押さえ込みのために日本に味方していた列強を敵に回してしまい第二次大戦の失敗につながってゆくという辺境論としての解説も何か説得力があります。

第二章、辺境人の学び論は、良い悪いの検討をせずに無条件にまず何でも取り入れてしまう日本人の学びようは非常に効率が良いもので時に学ぶ対象である師の存在を超えることもあると解説します。

第三章の「機」の思想、は作用、反作用のうちで辺境人は反作用の方だけを異常に発達させた民族である、という趣旨なのですが、自分達が劣等であると認識しているうちは良いけれどもその認識が薄くなって危機意識が薄れてしまうと学ぶ力も自力を発揮するパワーも衰えてくる、つまり「ゆとり教育」が単なる「なまけ」という結果でしか現れないのだ、という解説がなされます。

第四章の「辺境人としての日本語」解説は、優位劣位、作用反作用の判断に重点をおかなければならない日本人の生活においては、その用いる言語は常に話者のどちらが上位者権威者かを決定づけるように構造づけられており、一人称だけでも相手に応じて様々な階層分けをして使い分けられるようになっている、そしてそれを外国語訳することは不可能であると解説しています。テレビの討論番組においてもしばしば問題点の議論がなされることなく、話者のどちらが権威。上位の立場を取れるかが議論されているだけのことがあると言われるとなるほどと感じます。東京都知事の記者会見とか、某自民党の元大臣の討論番組での発言など良い例かと思いましたし、医者の世界でも学会の質疑応答に単に「俺が言っていることだから正しい」みたいなレベルの低い討論しかしない人がいることを思い浮かべなるほどと思いました。

この本の結論は、DNAに刻み込まれたどうにもならない辺境性に落胆することなく、これで得をすることも多いのだから良く自覚した上で得する場面では多いに辺境人に徹しようよ、という明るい結論です。小生としてはこの結論に賛成です。
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