今年も原爆忌が過ぎましたが、広島の原爆投下にあたる8月6日に非常に興味深い番組がNHKスペシャルとして放送されました。「決断なき原爆投下 ~米大統領 71年目の真実~」と題されて、NHKの番組公式サイトにおける説明として「アメリカでは原爆投下は、大統領が明確な意思のもとに決断した“意義ある作戦だった”という捉え方が今も一般的だ。その定説が今、歴史家たちによって見直されようとしている。 アメリカではこれまで軍の責任を問うような研究は、退役軍人らの反発を受けるため、歴史家たちが避けてきたが、多くが世を去る中、検証が不十分だった軍内部の資料や、政権との親書が解析され、意思決定をめぐる新事実が次々と明らかになっている。 最新の研究からは、原爆投下を巡る決断は、終始、軍の主導で進められ、トルーマン大統領は、それに追随していく他なかったこと、そして、広島・長崎の「市街地」への投下には気付いていなかった可能性が浮かび上がっている。それにも関わらず大統領は、戦後しばらくたってから、原爆投下を「必要だと考え自らが指示した」とアナウンスしていたのだ。 今回、NHKでは投下作戦に加わった10人を超える元軍人の証言、原爆開発の指揮官・陸軍グローブズ将軍らの肉声を録音したテープを相次いで発見した。そして、証言を裏付けるため、軍の内部資料や、各地に散逸していた政権中枢の極秘文書を読み解いた。 「トルーマン大統領は、実は何も決断していなかった…」 アメリカを代表する歴史家の多くがいま口を揃えて声にし始めた新事実。71年目の夏、その検証と共に独自取材によって21万人の命を奪い去った原爆投下の知られざる真実に迫る。」というものです。
ルーズベルトの突然の死亡(4選されて4ヶ月なので死ぬことは予期されていなかったと思われます)によって副大統領になって4ヶ月しか間がないハリー・トルーマンが大統領として終了間際の戦争の指揮を執る事になり、日本に対する原爆の使用についても大統領として全責任を負うことになりました。原爆の計画が極秘裏に始まったのが1942年ですから、ほぼ完成した状態で詳しいことを知らされずに原爆使用についての責任を持たされたのはやや気の毒な感じもします。番組によると広島・長崎の原爆はトルーマン大統領が決断する間もないうちに規定の方針の如く軍部の計画として使用されたとなっています。当初京都への第一弾の投下が強く主張されたのですが、軍がおらず、市民の無差別殺戮を行うことになるという理由で陸軍長官のスティムソンとトルーマンによって変更させられたということです。恐らく京都に訪問歴がある民間人のスティムソンにとっては古都の文化を灰に帰す事への躊躇もあったのではないかと思います。しかし戦後「戦争を早く終わらせるために原爆が必要だった。」という後付けの言い訳を考え出したのは原爆推進派のスティムソンであると言われており、トルーマンはその説を採用し続けた訳です。
この「原爆投下正当化論」というのも広く米国では信じられているものの、近年「本当にそうか」という議論がまっとうなエリート達の間では行われるようになってきており、ハーバードビジネススクールにおける授業でも論理的、倫理的妥当性についてまじめに議論がされるようになってきました。
私は以前から、周りが反対したにも関わらず「無条件降伏」というかつての戦争でありえなかった戦争終結条件をルーズベルトという非情な男が設定しなければ、原爆投下はなかったと思っています。そもそもルーズベルトの日本人に対する人種差別意識がひど過ぎます(日本人は劣等民族なので多民族と交配して民族自体を変えてしまえ、と言っている)。日本への原爆投下もルーズベルトにとっては既定路線であり、だからこそ軍人達は全力で原爆を開発し、前大統領の命令通りに出来上がり次第投下したというのが真相でしょう。
私は、ジョージワシントン以来の米国の慣例を無視した大統領連続3選という異常事態を固辞する「節度」をルーズベルトという腎不全で高血圧の「まっとうな判断力を失った人間」が持っていたならば、当時多くの米国人達が抱いていた「関係のない戦争に巻き込まれて死にたくない」という願いがかなったのではないかと思いますし、人類初の核兵器使用による無差別大殺戮という汚名を米国が着る必要もなかったのではと思います。トルーマンは核の軍事基地への限定的使用は考えていましたが、市民の無差別殺戮には反対でしたし、広島・長崎と続けて知らないうちに原爆投下による大殺戮がなされて慌ててこれ以上の核使用を中止する指示を出したほどです。
Wikipediaの「1940年アメリカ合衆国大統領選挙(ルーズベルト3選目)」の項を見ると、ルーズベルトは欧州で始まったナチスとの戦争に連合国として加担したがっていたのに対して、共和党から出馬した実業家のウエンデル・ウイルキーはルーズベルトの好戦的な姿勢を批判し孤立主義による米国の繁栄を強く訴えて多くの米国民から支持を得たと言われます。注目するべきは大統領選の得票数でルーズベルトが2700万票で54.7%であるのに対してウイルキーは2200万票で44.8%と僅差であるということです。得票数で僅差であっても選挙人の得票では449人対82人と大差がついてしまうのが米国の大統領選挙の特徴ですが、半分近くの米国民はウイルキーの孤立主義を支持していたことが解ります。
この状況、現在の米国大統領選に似ていないでしょうか。戦争大好き民主党のヒラリーが実業家で孤立主義のトランプに僅差で選挙戦を進めています。そもそもヒラリーは民主党の中での選挙でも得票数においてはサンダースに追いつかれる所を「特別代議員という高下駄」のお蔭で民主党候補になったようなものです。オバマ政権一期目の国務長官として、ヒラリーの政治手腕やアラブの春を演出してリビアやエジプトをボロボロの国家に貶め、ISにリビアでせしめた武器を供与して結果大量のシリア難民を作り出した業績は十分理解されているはずなのに、ここでヒラリーが大統領になればルーズベルトの三選目と同じ不幸が米国と世界にふりかかることが十分予想されます。
佐藤優氏は「世界史の極意」という本で「歴史的事件をアナロジーで認識して現在の問題を捉える」と提言していましたが、その説に従うとこのルーズベルトの3選と現在のヒラリー・トランプによる大統領選というのはその後に起こりそうな事を含めて極めて示唆に富む内容になると思われるのですがどうでしょうか。