rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

Lavochikin LA-5 1/72 ITARELI

2020-01-05 17:03:23 | プラモデル

1982年頃製造されたイタレリ製(後タミヤ模型が販売した時期あり)のラボーチキンLA-5を作りました。ソ連製の戦闘機はあまりプラモデル界では人気がなく、ポリカルポフI-153やI-16、Yak戦闘機位しか見当たらないのですが、それは塗装や部隊の詳細が冷戦期には西側であまり紹介されてなかった歴史があるからと思われます。その中ではLa-5の模型は貴重なものと思います。ソ連機はI-16もこのLa-5もそれぞれ1万機近く大量に製造され、実戦に投入されたのですから名機と言ってよい物と思いますし、様々な塗装のバリエーションがあったものと思います。

これはLa-5の発展型のLa-7

La-5は大戦初期に導入されたLagG-3の改良版で、LagG-3が防御能力を高めた単葉機で水冷1,100馬力エンジンを搭載したものの非力で操縦性能が悪く「ラッカー塗装の棺桶(頭文字がLAGG)」とまで揶揄されて評判が悪かったのに対して、1,700馬力空冷エンジンに換装し、種々の改良を施したため、ドイツ空軍のメッサーシュミットと互角に戦える戦闘機として多くのエースを産み出したと記録されています。

それでも機首が大きく張り出していて離陸時などは前がほとんど見えない状態であったと思われ、広いソ連だからこそ使いこなせた機体のように思います。

La-5 43年頃グレーの2色迷彩    I-16も旧型機でドイツ機の恰好の餌食となるものの1万機の生産を誇り、大戦前半の戦線を支える力となった

古い模型ながら老舗のイタレリのモデルは整合も良く、モールドも明瞭で出来上がりも綺麗です。デカールは古くなって色褪せが目立つ感じでしたが使用可能でした。塗装は説明書と異なるのですが、2000年初版の大日本絵画オスプレイ・ミリタリーシリーズ「第二次大戦のソ連航空隊エース」を参考にして上面は濃淡ブルーグレーの迷彩、下面ライトブルーにしました。一世代前のI-16と並べてみました。

ドイツ空軍は100機200機撃墜のエースを主に東部戦線で多数輩出しましたが、ソ連では万単位で多数の航空機が作られていたから結果的に戦争自体には勝つことができなかったのでしょう。一方で共産主義体制は命令一下、国を挙げて生産力を軍事に集中する権力を行使できたものの、戦争が終わってみるとそれを民生の充実に振り向けることはできず、結局大量の無駄な軍備を生産し続けることになり、50年後のソ連崩壊に行き着く事になったと思うと時代と状況でどのような権力構造が社会に必要か考えさせるものがあります。

コメント
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