rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

Arad Ar234 B-2b Blitz Dragon 1/72

2023-03-11 18:05:27 | プラモデル

世界初の実用ジェット爆撃機アラドAr 234を作りました。第二次大戦末期に実用化されたターボジェットエンジンを搭載して、レシプロ戦闘機が追いつけないスピードでピンポイント爆撃を行う電撃戦的発想で計画された飛行機ですが、エンジンの実用化に手間取り、質の良い原材料が入手し難くなった大戦後半の状況で、画期的な爆撃機でありながら殆ど活躍せずに終戦を迎えました。本来爆撃任務よりも高速偵察機として期待され、後部胴体に2機のカメラを搭載したB−2型は1944年8月Kommando Sperling(つばめ部隊)に所属し、デンマーク、ノルウエー、英国本土などの偵察撮影に活躍しました。爆撃機は1944年12月にバルジの戦いの最中に橋梁の爆撃に使用されたり、1945年3月のレマゲン鉄橋の爆破に成功した事が有名です。

Ar234B実機と模型 エンジンの外側にあるのはRi-202離陸補助ロケットエンジンで離陸後切り離され、頭部に付いたパラシュートで回収される。

 

ガラス張りの機首に乗員1名を配置し、テーパー翼は肩翼配置として両脇にポッド型にユンカースJUMO004エンジンを吊り下げて整備交換を容易にしています。胴体はほとんどが燃料タンクで当時のジェットエンジンの燃費の悪さを反映しています。初期型は車輪も収納できず、スキッドと呼ばれる台車に乗った状態で離陸し、着陸はソリで行うという非近代的なものでしたが、さすがに実用的でないということでB型からは引き込み脚を装備しました。推力900kgのターボジェットエンジン2基を装着していましたが、500kgの爆弾を搭載して8.4tの全備重量で離陸は困難であり、離陸後に切り離し、パラシュートで回収するRi-202離陸補助ロケットをエンジンの外側に2機装着しました。着陸も尾部のパラシュート索が引かれて制動用パラシュートを開いて止まる方式でしたが、これは米軍のB−47爆撃機を初め、現在のジェット戦闘機にも狭い飛行場での着陸用に装備されています。初動はロケットでの加速が必要ながら構造の簡単なパルスジェットエンジンと異なり、ターボファンで圧縮空気を作るターボジェットエンジンは構造が複雑でターボファンの寿命も当時は短く、6時間毎に分解整備、20時間でエンジン寿命という厄介な代物でした。ターボファンを最初に機動するためのオートバイ用小型ガソリンエンジンが付いていました。最大速度は742km、航続距離は1,630kmで、武装は基本なしでしたが、高空を高速で飛翔していれば当時の戦闘機で追いつく事は無理でした。それでもMe262の様に連合軍爆撃機や戦闘機を畏れさせる活躍をしたため、以降のジェット機時代につながる重要な役割を果たした機体と言えます。

操縦席上に「とさか状」に突出するのはBZA1-B照準頭付きRF2Cペリスコープ、下方に突出するのがロトフェ7K爆撃照準機用窓 左翼下に突出するのはFuG25ロッドアンテナ

迷彩はライトグリーンとブラックグリーン(オリーブドラブという記載も)の標準的な迷彩としました。

模型は83年製造の香港ドラゴン製でハセガワが輸入元になっています。ハセガワ監修なので割と良い作りで整合も良く、透明部品も綺麗でした。しかしデカールは92年製と記載されていて模型自体中古ショップで袋売りだったこともあって劣化が酷く、国籍マークなどは他のモデルのものを流用しました。塗装はスミソニアン博物館にあるものなど参考にしてRLM82ライトグリーンと70ブラックグリーン、下面ライトブルーにしました。迷彩パターンはドイツ中型機の規定通りです。乗員は付いていないのですが、別売りのハセガワ製のジェットパイロットを改造して載せてみました。複座型の夜間戦闘機Me262Bと並べてみました。爆撃機と言いながら意外と小さい機体であることが解ります。

エンジン下に300L増槽を懸吊している。模型はSC1,000kgへルマン爆弾搭載状態。 同じユンカースJUMO004を搭載したMe262との比較、意外と小降りな機体であることが解ります。

コメント (3)
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