野村美術館
利休・剣仲・織部の時代 ―天正から慶長の書と茶陶―
期間:4 月22日(火)~6月8日(日)
前・後期拝見しました
能稽古消息 細川幽斎筆
幽斎の流麗な字で書かれた宛先不明の手紙。内容は忠興の息子(つまり幽斎の孫)が今まで能の稽古に来ていたが上手く出来なくて困ったとある。「大困天下一事」と大げさな表現をしているのが微笑ましい。
狂歌三首消息 千利休筆
利休七哲のひとり芝山監物宛で十月六日の日付がある。内容は八日に返すので茶壷を少庵に渡して欲しいと、三首の狂歌と共に記されていて利休と芝山監物の気安い間柄が窺えます。
消息 夏首十九日付 伊達政宗筆
政宗の署名が「羽(羽柴)越前守」とある事から政宗が越前守を名乗っていた1591年から1607年の間に書かれた書状で、古田織部宛。新茶の茶壷を長井(宇治の茶師)の所に取りにいくなら同行したい、と記している。
伊達政宗は茶の湯を織部に師事。伊達者の政宗とへうげもの織部は気が合ったのだろう。
亀甲竹一重切花入 千利休作
亀甲竹の古竹を用いて作られた花入。亀甲竹は孟宗竹の突然変異によって節間が交互に膨れたもので、この竹を用いた花入は他に見られないそう。今井宗薫が箱裏に「古竹一重筒 利休作」と書き、その宗薫より伊達政宗に譲られた。
その他に茶碗では、長次郎の黒楽「おそらく」・赤楽「獅子」に二代目長次郎の黒楽「山かげ」等の楽焼、黒織部茶碗・織部暦絵茶碗の織部焼が見られました。
全体としては利休・剣仲がメインで織部の影は薄かったです。
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