報恩寺
第56回 京の冬の旅
客殿(本堂)
元和9年(1623)8月、報恩寺を宿所としていた福岡藩初代・黒田長政が息を引き取った「最期の部屋」が残されており、また黒田長政とその父・黒田官兵衛(如水)の位牌が安置されている(但し現在の客殿は江戸後期の再建)。
鳴虎図(画像は看板より)
後柏原天皇から報恩寺に下賜された明代の作。豊臣秀吉が気に入って聚楽第に持ち帰ったが、夜になって絵の虎が鳴くので寺に返された、という伝説も生まれた。
原本の展示は1月16日までで間に合って良かったです。
他にも織田信長肖像画(賛は近衛前久)や豊臣秀吉肖像画などが展示されていました。
枯山水庭園
撞かずの鐘
平安時代後期の作とされ、室町時代には管領畠山持国が陣鐘として使用した。また豊臣秀吉も用いたとされる。
仁王像
山門が焼失した際、墓地の中央に立っていたことから、「墓飛びの仁王尊」と呼ばれている。
賀陽宮墓
後西天皇の第七皇女。
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