SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1003 「戦国の九州と武雄」

太宰府天満宮を後にし、西鉄→甘木鉄道→JRで次の目的地武雄温泉駅に到着。
駅の名前のとおりここは温泉が有名だそうですが、目的地とは線路を挟んで逆方向の為、今回は見送りました。

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武雄市歴史資料館
今回の目的地はここ。図書館と併設で、あわせて「エポカル武雄」と呼ぶらしいです。

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特別企画展「戦国の九州と武雄~後藤貴明・家信の時代~」
戦国武雄を領した後藤氏と戦国九州についての企画展で、なんと無料!でした。

後藤貴明像
木造。貴明は大村純前の実子であったが、有馬晴純の子純忠が養子として大村氏の家督を継ぐと、天文14年、武雄領主後藤純明の養子とされた。この事が原因なのか貴明は永禄6年頃から再三大村攻めを行っている。大村・有馬・龍造寺と争う一方で松浦・大友とは連携していたが、最終的には龍造寺隆信に服属し隆信三男家信を養子に迎えている。天正11年8月2日死去。50歳であった。木造は、その五年後に実子家均により造像されたもの。
国崩し大砲(複製)
ポルトガルのインド総督から大友宗麟に贈られた。天正14年島津軍の丹生島城攻撃時に宗麟はこの国崩しで対抗している。
立花道雪肖像画
立花宗茂肖像画
共に大友氏家臣として活躍。宗茂は高橋紹運の子であったが、道雪に請われ養子となった。どちらも頑固そうな顔をしています。
島津貴久肖像画
島津義弘肖像画
貴久は僧侶のような格好で椅子に腰掛けている。肖像画はやや斜めを向いているものが多いが2人とも正面を向いている。
紫革威鎧(残欠)
兜の錣の一部で所用者は不明ながら島津の紋が付いています。
龍造寺隆信肖像画
「五州二島の太守」と呼ばれていた。肥満体の姿で描かれている。
熊毛兜
大友軍が龍造寺隆信を攻めた今山の戦いの際、勝利した龍造寺軍の鍋島直茂が大友方の武将より分捕ったと伝えられている。
他に鍋島直茂、鍋島勝茂、龍造寺政家、松浦隆信、豊臣秀吉等の肖像画等が展示されていました。
初見のものが多く収穫のある展示会でした。
この日はこの後伊万里に移動。夕食に伊万里牛(ウマイ!)を食べて就寝。次の日に備えました。

翌日に続く。
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