SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1305 いのちのたび博物館 北九州市の宝もの

今回は北九州

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スペースワールド

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北九州市立いのちのたび博物館

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春の特別展 「北九州市制50周年記念 北九州市の宝もの」
期間:4月20日(土)~6月16日(日)
「市民から募集した写真資料をはじめ、希少種の自然史標本や市内企業の所蔵資料等を展示し、これまで北九州市が歩んできた50年を振り返り、北九州が誇るさまざまな自然や文化を未来に伝えます。」(公式より)

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カバ(全身骨格)
今回の展示は歴史文化財以外にも動物の剥製から北九州を発祥とする企業の紹介まで様々。TOTOからはウォシュレット!まで展示してました。

もちろん歴史関係も充実。

小笠原忠真所用 毛抜威胴丸具足
忠真が大坂夏の陣で着用したと伝わる具足で兜に槍疵、胴に血痕らしきものがある。1735年徳川吉宗にお披露目された。
小笠原忠真は松本藩主・秀政の次男。大坂夏の陣最後の決戦で父・秀政と兄・忠脩が相次いで亡くなり忠真が後を継いだ。明石藩10万石を経て、1632年細川家が熊本に加増転封されると代わって小倉(15万石)に入った。
小笠原秀政所用 浅黄威胴丸具足
忠真の具足と同じく小笠原家の菩提寺である小倉の福聚寺蔵。
小笠原秀政は徳川家康の家臣。信濃飯田藩主を務める。大坂夏の陣では奮戦するも重傷を負い間もなく死去した。
小笠原氏は源頼朝に従い軍功を重ね有力御家人となった。室町時代には信濃守護を務めるが戦国時代には武田信玄と争い一時没落するも、秀政の父・貞慶が織田信長に接近し信濃に所領を得ると本能寺の変後は徳川家康の家臣となり近世大名への足がかりを掴んでいる。
小笠原忠脩所用 藤色威本小札胴丸具足
忠真・秀政と同じく小笠原家の菩提寺である小倉の福聚寺蔵。
小笠原忠脩は秀政の嫡男。大坂夏の陣には当初秀政・忠真のみが出陣予定であったが幕府に無断で出陣する。本来であれば何らかの処分を受けるところだが徳川家康はその勇気を評価して参陣を許している。もっともこれは忠脩の母親が家康の孫娘(松平信康の娘)であった事がひとつの理由であるらしい。
この甘やかしが忠脩戦死の結果を招いたのだから家康としては痛恨時であった事は間違いない。
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