茶道資料館
開館35周年記念秋季特別展「茶の湯の名碗」
期間:10月10日(金)~12月7日(日)
前後期拝見しました
井戸茶碗 宗及井戸
枇杷色の美しい井戸茶碗で形は有楽井戸に似るがやや腰が細い。昨年、根津美術館で拝見した宗及井戸とは別の茶碗で、あちらは青みが強く大ぶりであったがこちらは正統派か。
徳島藩蜂須賀家に伝来し近代には文豪川端康成が愛用した。
井戸茶碗 石州井戸 銘 しののめ
箱蓋表に片桐石州が「志のゝ免」と金字と書き、箱に張られた料紙には「東雲は照葉も曇る紅の空」の句が書かれている。濃い枇杷色の井戸茶碗で銘もこの色を意識したものだろう。
堺の水落宗恵が所持し後古田織部、石州と伝わった。
瀬戸黒茶碗 銘 小原木
筒形で胴は縦に幅広く箆削りをしている。全体光沢のある黒釉で覆われているが一部分だけ三角に掛け外しているのが効いている。銘は京都大原(小原)の「黒木」とよばれる薪の色から。
箱書きは利休筆と伝わる。利休所持後幾人の手を経て現在は表千家不審菴所蔵。
赤楽茶碗 銘 白鷺 長次郎作
長次郎初期の作品とされており、かなり他の茶碗とは異なる姿をしている。筒茶碗の様にすくっと高いが腰は張らず穏やかな曲線を見せる。下部は透明釉が風化して白濁色になり銘はここから採られているのだろう。
色絵鱗波文茶碗 仁清作
黄白地に青・緑さらに金彩で鱗文を大小描いている。これだけなら幾何学的で均整のとれた優品であるが、これに口縁から高台付近まで緑釉を流し掛ける事によって名碗へと昇華されている。
金森宗和が箱書き。金沢藩家老・本多家に伝来した。
千利休消息(山門の文)
11月22日付 有馬則頼宛。天正17年(1589)に書かれた書状。
応仁の乱で焼失した大徳寺山門は連歌師・宗長が秘蔵の「源氏物語」を手放して資金を調達し再建されたが単層であった。天正17年は利休の父親の50年忌にあたる。利休はそこで上層部を寄進し、父の追善供養を営む事に。50回忌は12月8日だが、どうも建設が遅れていたようで焦った利休は茶の湯の弟子にあたる有馬則頼に人足20人を手伝いによこすよう依頼している。
山門は12月5日無事に落慶法要が行なわれ、8日には亡父の50年忌を営む事ができた。
この山門上層には利休の功績を称え、利休木造が置かれた。これが後に利休の死に繋がっていくとは当時誰にも分からなかった事でしょう。
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