1541年海野平で武田信虎・村上義清・諏訪頼重の軍と海野棟綱軍が合戦を行った。海野軍は敗戦、棟綱に従っていた真田幸隆も真田の地を追われた。
それから10年後武田晴信(信玄)に臣従していた幸隆に旧領復帰のチャンスが訪れる。1550年10月宿敵村上義清の属城戸石城攻めで武田軍が大敗(戸石崩れ)。その難攻不落の城を幸隆は調略をもって乗っ取りに成功する。これを境に武田軍を二度も破った村上義清の勢力は後退、やがて上杉謙信を頼って越後に落ち延びていった。これにより幸隆は真田の地に復帰する、真田一族隆盛の始まりである。
上田、朝起きて最初に向ったのは。
「真田幸村公騎馬像」
何回見ても良いですねこの像は。持って帰りたいくらいです。置く場所がありませんが・・・
真田町に向いました。
「真田氏発祥の郷」
真田氏記念公園内にある石碑。
「池波正太郎書」です。
左から幸村・幸隆・昌幸、真田三代のレリーフ。
更に進みます。坂道が続いています。
「真田氏歴史館」
松代の真田宝物館は展示品は多いものの江戸期松代藩中心、上田市立博物館は仙石・松平家と一緒ですが、ここは真田オンリー。戦国真田に浸れます。NHK時代劇「真田太平記」で使用された昌幸・信幸・幸村の甲冑等が展示されています。丁度訪れた時期には特別に、安智羅像が展示されていました。この像は幸隆あるいは幸村の姿をうつしたものと云われています。
隣接する「真田庵」という名の休憩所でおはぎを食べようと思ったのですが、調理担当の人がまだ来てないとの事。残念無念。
「真田氏館跡(御屋敷公園)」
昌幸が上田城を築く以前の真田氏居館。
「真田本城」
別名「松尾(新)城」。真田氏館とセットになる城と考えられます。
本城からの眺め。真田の町が一望できます。朝早くで寒かったのですが清々しい気分になりました。
「長谷寺」
松代に移るまでの真田家菩提寺。石造りの門が印象的です。
長谷寺にある幸隆夫妻と昌幸のお墓。
「山家神社」
真田氏とも縁のあるこの神社は、平安期にはすでに建立されていたそう。
「古城緑地広場」
「歴史の丘」と名づけられた場所には真田氏の発祥から大坂の陣までの流れを表すモニュメントがあります。
「信綱寺」
幸隆の長子で長篠の戦いで戦死した信綱、その位牌所として昌幸が建立したお寺です。
宝物殿があり、信綱所用の血染めの陣羽織と鎧等が展示されています。
信綱寺にある信綱夫妻と昌輝(幸隆次男)のお墓。
真田の町を後にします。なんだかいい感じの町で離れがたかったです。
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