SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

1106 長野県立歴史館 「武士の家宝 かたりつがれた御家の由緒」

今回からは長野。
JRで篠ノ井駅まで、そこからしなの鉄道に乗り換え屋代駅。

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長野県立歴史館
1994年の開館。「科野の里歴史公園」内にあります。

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春季展「武士の家宝 かたりつがれた御家の由緒」
期間:5月28日(土)~7月3日(日)
「初公開となる「依田家史料」を通して、江戸時代の武士の家宝の実体を紹介します。」

依田信蕃所用 金紙采配
徳川家康より拝領した采配。本能寺の変後に三河へ帰国途中の家康が信蕃に出陣を指示した書状と共に送ったとされる。

依田信蕃は元武田家家臣。織田信長により武田家が滅亡すると徳川家康の計らいで一時身を隠していたが、本能寺の変により織田軍が撤退し空白地帯となった旧武田領を巡る徳川・上杉・北条の争い(天正壬午の乱)では徳川方として挙兵。武田旧臣への調略や北条氏相手の戦いで功績をあげるが1583年に岩尾城攻略中に敵方の銃弾を受け死亡する。享年36歳

依田信蕃所用 金銀象眼短筒
砲身に雷神の絵が施されていている。真田昌幸を北条方から味方に引き入れた功により徳川家康より拝領。
徳川家康判物(天正十年)
徳川家康が依田信蕃に対し佐久・諏訪両郡を与えるとした知行宛行状。当時の家康は信濃での戦を有利に進めるために、信濃国衆に対しかなり破格の知行を約束している。
松平康真所用 剣形前立付筋兜
前立は三鍬形で中央に剣形を配す。徳川家康より康真が拝領の品。

松平康真は依田信蕃の次男。徳川家康より松平姓と「康」の字を賜る。1590年に兄松平康国が亡くなると家督を継ぎ上野藤岡城主となる。しかし1600年に小栗某を口論の末殺害する事件を起こし改易される。後に家康の次男である結城秀康の家臣となり加藤康寛を名乗る。子孫は福井藩家老芦田家。

芦田(依田)信守所用 猩々毛束
武田信玄より信守が拝領した唐の頭(深紅色)。信守は依田信蕃の父。武田信玄の家臣として各地を転戦し最後は遠江二俣城で没している。
北条氏直所用 黒漆笛(一節切)
北条氏直の所持品が芦田(依田)家に伝来したのかは不明だそう。北条家の遺品は少なく、更に氏直となると稀ではないでしょうか。

天正壬午の乱の書籍を最近読んで依田信蕃二興味を持った私には実にタイムリーな企画。天正壬午の乱で一瞬の光を放った信蕃の姿を確認できたような気がします。

それでは屋代から次の場所へ。
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