前回に続いて出雲文化伝承館から
茶室「独楽庵」
「茶の湯の大成者、千利休の茶室「独楽庵」と「船越席」・「泰叟席」の三席が組み合わされた珍しい茶室です。大名茶人として高名な松平不昧公が、文化年間にこれを求めて江戸大崎の下屋敷に移し、自ら創案する三関三露の露地庭を添えて終生愛用した茶室。幕末の動乱で失われたが、当時の詳細な資料をもとに復元しました。」(現地案内板より)
外露地
中露地
中露地の腰掛待合、奥は砂雪隠
中露地と内露地の間にある中潜り
「中潜り」は古田織部の創始とされる門の一種
内露地
茶室「独楽庵」
三つの席が合わさった複雑な形の茶室。「独楽庵」の名は利休席の名称
「船越席」
三畳台目の席で客の出入口は躙口。船越伊予守永景は徳川幕府の下で作事奉行を務めた人物。織部・遠州に茶の湯を習った茶人でもある事から織部の流れを汲んだ茶室となっている。
「利休席(独楽庵)」
一畳台目向板の席、躙口の大きさが隣の「船越席」より大きい。豊臣秀吉の許しを請うて、名橋と謳われた長柄の橋抗3本を譲り受けて、宇治田原に建てた茶室。
「泰叟席(苔香庵)」
四畳、洞床の席、出入り口は貴人口となっている。裏千家六代泰叟好みとされる。
手水鉢
「泰叟席(苔香庵)」の部屋の中から手水を使う趣向となっている。
茶室、露地ともに復元したものですが、不昧の好みをしる絶好の場所ではないでしょうか。
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