酬恩庵
一休宗純が晩年を過した事から通称一休寺と呼ばれています。
少年一休像
一休宗純より少年時代の一休さんとして馴染み深い。
一休宗純墓所
後小松天皇の落胤とされている為、この墓所は宮内庁が管理しています。
方丈庭園
松花堂昭乗・佐川田喜六・石川丈山の合作とされています。
一休寺 春季宝物特別展
期間:3月15日(金)~5月31日(金)
一休宗純肖像画
無精髭を生やし、通常は沓床に置かれている沓を履き右足を左膝で組む。更に左脇に朱鞘の大太刀を添えている。なんとも僧侶らしからぬ姿で描かれている。
一休宗純墨跡道号頌 「葉室」
一休が飼っていた雀が亡くなった際に与えた道号を書いた一休の直筆。「葉」の文字の草冠の部分を二羽の飛ぶ雀の形にしているのが実に洒落ている。実はこの雀が亡くなる前年にも雀を飼っていてそちらにも道号を与えているが、これはまた別の機会に。
青磁鉢
一休が愛用していたとされる中国製の鉢。
一休宗純 遺偈
遺偈とは禅僧が死ぬまぎわに残した言葉。一休の残したものは流石に彼らしいもので、「世界中で一休の禅が分かる者はいるか。虚堂とて半分も分からないだろう」と言った意味で一休が最も尊敬していた中国の僧虚堂智愚でさえも容赦ない。
珠光との関係から一休の書は後の茶人達に愛用されています。私も美術館で観る事がありますが、さて一休自身についてどれだけ知っているか?と考えると「一休さん」のイメージしか殆どない事に気がつきました。そんなこんなで一休が晩年を過し亡くなったこの場所を今回は訪れみたわけです。
なかなか強烈な人物ですが、雀に愛情を注ぐ姿などからは愛情の深さが見て取れます。
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