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2011 香川県立ミュージアム 語る武具


香川県は高松

香川県立ミュージアム

語る武具 ~ARMOUR & STORIES~
期間:10月24日(土)~12月6日(日)

刀 無銘 伝長義
南北朝時代、備前長船の刀工ながら正宗十哲のひとりとされる長義作と伝わる。
茎に金象嵌銘で「生駒讃岐守」と刻まれており、讃岐国高松藩2代・生駒一正が所持した。
刀 無銘 伝江義弘(号 芦葉江)
南北朝時代、越中の刀工・江義弘の作と伝わる。
号の由来は細川三斎が詠んだ「難波江のうどのの里に来てみればあしとは見えぬ義弘の太刀」より。
豊臣秀吉から小西行長が賜った言われるが詳細は不明。
太刀 銘 真守造
平安時代、伯耆の刀工・大原真守の作。
元は新羅三郎義光の佩刀。武田信玄・勝頼に伝わり家康の元へ。水戸藩・徳川頼房、光圀の後高松藩松平家に伝来した。
徳川綱吉の側用人・柳沢吉保は武田家の末裔を称しており、武田家ゆかりのこの太刀を松平家より借りだすが、なんと死ぬまで返さなかった。ようやく吉保の子・吉里から返却されたが、武田家の家紋「花菱紋」が入った鎺(はばき)が付いていたのだそう。
脇指 無銘 切刃貞宗
享保名物帳所載。南北朝時代、相模の刀工・貞宗の作と伝わる。
伝来は明智光秀、細川忠興、豊臣秀吉。秀頼の時、大坂の陣で焼身となったが徳川家康が下坂康継に命じ再刀させた。徳川秀忠の遺物として徳川頼房が賜り、高松藩初代の頼重へ伝わった。
なお素剣と梵字の彫り物は埋忠寿斎による。
太刀 銘 長光
鎌倉時代、備前長船の刀工・長光の作。
岩国城主・吉川家より金刀比羅宮へ奉納された。
紫糸威六十二間筋星兜
前立に鍬形と頭上までのびる大型の龍の立物が特徴的。
高松藩初代・松平頼重が金刀比羅宮へ奉納したもので、隠居後「龍雲軒」を名乗った頼重らしい立物である。
生駒親正所用 黒漆塗本小札萌黄糸縅二枚胴具足
前立は鍬形。兜・胴・袖・杏葉に生駒家の家紋「波引車」があしらわれている。
ただし兜鉢は親正の時代まで遡る事が出来るが、他は後補と考えられている。
生駒親正は信長・秀吉に仕えた武将。初代高松藩主。
色々威腹巻具足
幕末に活躍した高松松平家の一族である松平左近(頼該)所用の具足。
腹巻の金具の一部に楠木正成の「菊水紋」が用いられているのだが、実はこの腹巻は楠木正成所用と伝わるものを仕立て直し、兜・籠手などを新調して具足としたもの。
松平左近は尊皇派の立場をとり、楠木正成を敬慕し、自分と正成を重ねる思いをこの具足に表したのだろう。
総覆輪十二間筋兜
鉢の裏側に朱漆で「佐々木高綱」と記されており、源平合戦で活躍した武将・佐々木高綱所用と伝わる。
但し本品は平安末~鎌倉初期まで遡る品では無く室町時代の作であり、源平期の武将人気を表すものであろう。

失礼ながら行くまでは、それ程期待はしていなかったのですが良い意味で裏切られました。
豊富な資料を一気に拝見出来て非常に満足しました。
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