ロスチャイルド財閥-383 アメリカの歴史-29 移民問題 規制から制限へ
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国内で賄えるようになった産業労働力
一九ニ四年の移民制限法以後、アメリカへの移民流入は減少したが、アメリカ資本主義の労働力需要の問題はどうなったのであろうか。
合衆国は一九ニ〇年には人口規模が一国人を超えた。 すでに移民労働力を十分に蓄積しており、労働力を基本的に国内で調達できるようになっていた。 だから産業界も移民制限を阻止しなかったのである。
これに加えて、いくつもの要因が考えられる。 一つはアセンブリー・ラインに代表される技術革新である。 アメリカが繁栄を誇った『黄金の一九二〇年代』には、工業生産は四〇%増大したが、雇用の純増はあまりなかった。
技術発展のおかげで大量の移民労働力は必要でなくなっていたのである。
第二の要因は、膨大な農村人口が本格的に都市に移動し始めたことである。 アメリカの国勢調査で一九二〇年は、農村人口が都市人口が追い越した年である。二〇年代は農村不況の時代であり、六百万人の人口が農村から都市に移動し、農村人口はアメリカ史上初めて減少した。
また、第一次大戦中の労働力不足を契機に、南部農村黒人の北部工業都市への移動も始まっていた。アメリカも農民層分解によって都市労働力が形成される段階に入ったのである。
そして二〇年代には、移民制限法の枠外に置かれたメキシコからも大量の労働力が流入したのだった。
一九三〇年代の不況時代
一九三〇年代の大不況期には、移民の流入はさらに激減した。 アメリカに行っても仕事がなかったのである。 大部分の移民割当枠が充たされなかったばかりか、到着者数は五十三万人足らずで、出国者をわずかに上回るに過ぎなかった。
不況のどん底だった一九三三年には、移民の入国よりもヨーロッパへの帰国者の方が多かったほどである。 三〇年代から戦時中に書けて特徴的なことは、ユダヤ人を含めてファシズムの犠牲者がアメリカに移住してきたことである。
アルバート・アインシュタインの他、『一次元的人間』などで一九六〇年代の学生反乱に大きな思想的影響を与えることになる哲学者、ハーバート・マルクーゼ、ドイツの代表的思想家テオドール・W・アドルノ、政治思想家ハンナ・アレント、文豪トーマス・マン、指揮者のアルツーロ・トスカニーニ、作曲・バルト・バルトーク、神学者のポール・ティリヒなど枚挙にいとまがない。
しかし、ファシズムの犠牲者の避難所というアメリカのイメージは全面的に正しいわけではない。 というのも、当時のアメリカには難問受け入れ法はなかった。
だから入国を求める人々は、彼らの国についての移民割り当ての枠内に余裕がある場合、そして高度の才能のある者を別枠にした非割り当て移民の資格がある場合にだけ、入国を認められたのであり、多数の人々が入国を拒絶されたのである。
一九三九年連邦議会には、ドイツに住む二万人のユダヤの子供たちを国別割り当てを超えて救おうとする法案が提出された。
この計画が発表されると、何千という家族がその子供たちを養子にすると申し込み、クエーカー教徒はそのための奉仕活動を行うと申し出た。
しかし、議員たちは、様々な反対の声を上げた。 子供たちなのに不況で職がないとか、子供たちを親から切り離すのは悪いことだという意見まで出され、法案は通過しなかったのだ。
そして、これた二万人の子供たちは、ガス室で殺されることになったのである。
アメリカ人口構成における移民
一九二〇年代における移民制限から、一九六五年の新移民法制定までの時期は、流入した移民とその子孫がアメリカ社会に定着し、今日のアメリカの社会的構成の基盤が固められて言った時代である。
膨大な移民流入によって、アメリカはアングロサクソン中心の社会から、『民族のモザイク』とまで言われる『多民族社会』へと変貌していった。
移民と移民二世を合わせて『外国系』(フォーリン・ストック)と呼ぶが、その比率は一八七〇年の二八%から一九二〇年の三千六百三千六百六十万人)へと増大した。
一九二〇年の北東部の主要都市における外国系人口の比率は、ニューヨーク七六%、ボストン七三%、ピッツバーグ五七%だった。 まさに『他民族共住』のアメリカといわねばならない。
ごのんじのように、アメリカという国は、まず一~二万年前から我らの先祖縄文人がアメリカ大陸に渡り、一家帝国を創り、インディアンとして定住した。 一四九二年、コロンブスの新大陸(アメリカ)発見から、スペインから始まり、スペインの王様はハプスブルグ帝国(神聖ローマ帝国)のカール五世である。そして、その後は、ヨーロッパ列強のオランダ、フランス、イギリスの草刈場、植民地となっていた。
アメリカという国が世界覇権を握るのは、第一次世界大戦後の一九二〇年である。 これは鋭い嗅覚で第一次世界大戦開戦(1914-)を嗅ぎとったロスチャイルドが、代理人ポール・ウォーバーグをアメリカに送り込み、ロスチャイルドの下僕人のモルガン、ロックフェラー、ロックフェラーと婚姻関係になる共和党・上院議員のネルソン・オルドリッチらと私立の中央銀行(FRB)を、大戦一年前に創立してからである。
・DS陰謀論の本丸FRB(アメリカ中央銀行)を分かり易く説明
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1928f3096af970fb561f43a7179cfffb
・【解説】ポール・ウォーバーグ|アメリカ中央銀行・連邦準備銀行創設者
https://www.youtube.com/watch?v=RNRB0Frq-Vs&list=TLPQMTUxMjIwMjQHSVY66QVE7g&index=3
第一次世界大戦で大英帝国はアメリカに巨額の借金し、金世界覇権は大英帝国やフランスなどの欧州列強から、アメリカに移動しました。 そしてアメリカは『黄金の一九二〇年』の好景気を迎えました。
(アメリカの歴史シリーズ 関連資料)
・ロスチャイルド財閥ー354 アメリカの歴史ー13 イギリスからの移民
・ロスチャイルド財閥-382 アメリカの歴史-28 アメリカ歴史のダークサイド
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e5289fee1607bb74cb694de8ea18408c
・ロスチャイルド財閥-383 アメリカの歴史-29 移民問題 規制から制限へhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/cd6bf223b619e7071b35fcb55fed1eb1
・ロスチャイルド財閥-384 神王TV:世界のラスボスを暴露しました。ハプスブルク家の、歴史と裏話
https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/5b9c96a3cd0d583fb28b06dc50e33bff
・ロスチャイルド財閥-386 アメリカの歴史ー30 移民制限後の移民https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/eae412452e7ba12618ea12dfc7c2aeea