エリザベス・ベントリー(1908~1963)
エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー4 独ソ提携の余波https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/b227cea69ab50121aadac3ce2128e2f4
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政府高官スパイ網のキーパーソン
1941年6月22日、ドイツは不可侵条約に反し、ソビエトに侵攻した。
これによって米国の態度は百八十度転換し、共産主義者の活動監視が緩やかになった。 ゴロスには、米国政府情報の収集にいっそう力を入れよとの指示が届いた。
この頃のゴロスは自身の体調の更なる悪化を感じていた。医学を学んだこともあり、心臓の病(動脈硬化症)が進行していることに気付いていた。
ゴロスは、ルーズベルト政権内の情報提供組織(ボランティアスパイ組織)から定期的にまとまった報告を受けていたが、これからの業務量は増えるばかりである。
彼の体力ではニューヨークからワシントンに定期的に出向くことが難しかった。
ゴロスは、自身の代理にベントリーを使いたいとワシントンのスパイ組織と交渉を開始した。
情報提供組織の元締めはネイサン・シルバーマスターという男で、戦時工業生産委員会に所属する経済政策専門官だった。
ウクライナ出身のユダヤ人で、ロシアのポグロム(ユダヤ人迫害)を避けて、家族で中国に逃げたこともあった。 ロシア革命時には、国内のボルシェビキに外国で印刷された革命文書を届けるなどした。
第一次世界大戦後、米西海岸に移住した。 1934年、サンフランシスコで大規模なゼネストが起きたが、首謀者サミュエル・ダーシーを支援したりもした。
シルバーマスターは目立たない行動を心掛けた。党員登録もしていない。 セントメリーカレッジ(サンフランシスコ郊外)で教職を得たことは『共産主義臭』を消すのに役立った。
・高市早苗、小林鷹之の正体がヤバすぎるhttps://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/144587dd96244c04bc4b6e1cc6435690
カソリック系大学に働く共産主義者はいるはずもなかったからである。 彼が農務省に職を得てワシントンDCに移ったのは、サンフランシスコゼネストからしばらくしてからのことである。 配属先は農業安定局であった。
シルバーマスターは、ソビエトシンパの政府高官をまとめたグループを組織した。 共産主義者は『同志』の匂いが分かるらしい。 共産主義社会を理想とし、ソビエトに役立つ情報は何でも提供したいと考える者ばかりであった。
組織の実務にはシルバーマスターの妻ヘレンも関与していた。 彼女の大叔父は、ポーツマスで小村寿太郎と激しい交渉(ポーツマス条約)を繰り広げたセルゲイ・ウィッテであることから分るように、旧ロシア貴族であった。
情報の受け取り役をベントリーに任せたいとの要請をネイサンは了承したが、ヘレンが警戒した。 FBIの工作員ではないかと疑った。
ゴロスの意向を明かされたベントリーは代役となることを決心した。 翌日、ヘレンによる『人物審査』にワシントンに向かった。 指定された住所()三五番街ノースウェスト五五一五番地に立つ邸のドアをノックすると四〇代の女性(ヘレン)が現れた。
風貌はロシア人というよりポーランド人に見えた。 ブラウンの長い髪を後ろで束ねていた。
広々とした居間での会話はぎこちなかったが、一週間後、シルバーマスターから彼女を伝達役にすることを了承すると知らせて来た。 ただヘレンの警戒は完全には解けていないようだった。
ベントリーは隔週でワシントンに向かい、シルバーマスターグループの収集した情報を持ち帰った。 同時にモスクワが要求する情報の詳細を伝えた。
独ソ戦以降、ボランティアスパイが激増した。 しかしゴロスらは採用には十分な注意を払っていた。 自身が有罪になった事件はつい『昨日』のことなのである。
ルーズベルトの実施したニューディール政策は、政府組織を肥大させていた。
その動きにヨーロッパの戦乱拡大が輪をかけた。 武器貸与法は英国だけでなく、ソビエトにも適用となった。 ワシントンの政府組織は使える人材を大量の採用した。
採用者のバックグランドチェックも甘くなった。 その杜撰さにゴロスも驚くほどであった。
ゴロスらが、新たに加入させた工作員にジュリアス・ジョセフがいた(一九四二年夏加入)。 ジョゼフは戦時動員委員会に属していたが、しばらくしてOSS(戦略情報局:後のCIA)に転属となった。
日本を担当する部局であったから、モスクワは米国の対日政策を手に取るように予知できた。
ジョセフの妻もOSSに採用され、映像部門にはお属された。 ここで製作される映像フィルムは意思決定のための資料として、統合参謀本部に提供された。
その内容もモスクワに漏れていた。もう一人の工作員レオナルド・ミンスは、父が米国共産党設立メンバーだったにもかかわらず、OSSのロシア語通訳に採用された。
独ソ戦は、米国共産党の懐を潤した。 寄付金が殺到したのである。
ボルシェビキ政府と最後まで戦い、敗戦後米国に移住した白系ロシア人移民さえも、祖国の危機を憂い米共産党に献金した。
集まった資金はチェイス・ナショナル銀行の貸金庫に溢れた。 ゴロスは、ワールドっツーリスト社を残したまま新会社U.S.サービス&シッピング社を設立した。
新会社は、なぜか外国政府エージェント登録も免除され、ワールドツーリスト社から離れていた顧客もこちらに移って来た。 売り上げも伸び、利益は米共産党の活動原子となった。
エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー6 筒抜けの米国政府機密https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/28ee1162ea1547543f9f93e65b71ab9c
に続く