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エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー6 筒抜けの米国政府機密

2024-10-25 11:33:28 | 世界史を変えた女スパイたち


エリザベス・ベントリー(1908~1963)

 

 

エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー5  独ソ提携の余波https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/014e1509b554cf588a8a0f3ce5803f3e

からの続き

 

 



筒抜けの米国政府機密

ルーズベルト大統領とヘンリー・モーゲンソー財務長官(ユダヤ系)は極めて親しかった。 ルーズベルトは、政策全般について、つまり何事につけてもモーゲンソーに相談した。

モーゲンソーがたびたび外交問題に口を挟み、コーデル・ハル国務長官を苛立たせたのもこれが問題だった。 モーゲンソーは農業経済学を学んだが成績は芳しくなかった。

 

経済に疎いモーゲンソーの右腕になった男がハリー・デキスター・ホワイト(シルバーマスターグループの一人)だった。 ホワイトの提案書はモーゲンソーを通じてたちまちルーズベルトの手元に届いた。ホワイトは実務上の政権ナンバー3

であった。

 

疑似対日最後通牒(ハルノート)の原案を財務省』のホワイトが書けたのはこれが理由である。 ホワイトには優秀なアシスタントが就いていた。 ウィリアム・ウルマンである。 

1908年ミズーリ州に生まれ、ハーバード大学ビジネススクールでMBAを取得(1935年)した。 卒業後、ニューディール政策の中心機関となる全国復興庁(NRA:National Recovery Administration)に採用された。 しばらくしてシルバーマスターと知り合った。

ウルマンとシルバーマスター夫妻は「馬が合った」らしく、共同名義で邸を購入している(1938年)。

1939年にはホワイトのアシスタントに採用され、二年後には筆頭格までに昇格した。 ベントリーがウルマンを知ったのは、ワシントンDCへの隔週の出張が始まってからすぐのことであった。

 

痩せ形で身長は平均的。 ヒトラー風のちょび髭で白髪をきれいにわけていた。 喘息もちで咳止めスプレーをいつも手にしていた。 モスクワ(NKVD:KGBの前身)は、ホワイトそしてウルマンの政府内での立場をよく理解しており、彼らがもたらす情報の価値を高く評価していた。 そのこともあって、独ソ戦以降には彼らへの情報要求のレベルが格段に上がった。

米政府要人の対ソ観(注:ポーランドやフランスには英国に亡命政権を作っていた)との密約の有無と内容、英米秘密協定、外国政府への借款詳細。 あらゆる分野での情報を求めてきた。 同じ要求を何度も繰り返すこともあり、ウルマンが憤ることもあった。 

 

ベントリーは、シルバーマスターの邸で、彼の下に集まった大量の情報を整理しなくてはならなかった。 

カーボンコピーを利用して持ち出された重要書類の仕分け、ウルマンが重要会議などの内容を記憶に頼って作ったメモ書きの速記筆写。 作業の合間にはヘレンの作るロシアンティーで疲れを癒した。 この頃にはヘレンの警戒は解けていた。 ベントリーはそうした書類を編み袋の中に隠してニューヨークに持ち帰りゴロスに届けた。

 

モスクワが求める情報の増加で、『手作業』では対応できなくなると、スパイたちは重要書類そのものを持ち出してきた。 それをウルマンが写真に撮り、原本は翌朝早く元のファイルキャビネットに戻された。 当初は三十五枚撮りフィルム四、五本の量で、現像もウルマンが行っていたが、四〇本ほどの量になってくると、未現像フィルムをそのままベントリーに渡すことにした。

それらはゴロス経由でソビエト大使館に渡り館内のラボで現像された。 ベントリーは次にように自慢している。

 

「軍事関連情報に加え、財務省に届けられるあらゆる情報が集められた。 OSS、国務省、陸海軍のレポートが主だったが中には司法省関連の者もあった。 米政府内で起きていることを何もかも把握できた。 もちらんホワイトハウス内の動きもつかめた。 米国政府内部の高官でも我々以上の情報を持っているものはいなかったと思う」

 

隔週のワシントン出張も、ルーチン化して順調な作業が続いた。 しかし半年ばかりした頃、重大な事件が起きた。 ベントリーがシルバーマスター邸をいつものように訪れると、シルバーマスターはソファーに沈み込んで頭を抱えていた。 彼はこの頃、戦時経済委員会(Board of Economic Warfare)に転属になっていたが、彼の上司にシルバーマスター解雇要求書が届いたのである。

発信者は、陸軍G2(陸軍情報局)を担当するジョージ・ストロング将軍だった。

 

そこには、「FBI・ON1(海軍情報局)およびG2の収集した証拠からシルバーマスターは共産主義者であることが判明した。 直ちに解雇を求める」と書かれていた。

 

「やつらは全てを知っている。おそらく俺を絞首刑にできる証拠も持っている。 解雇の前に辞職するしかない」 と落ち込むシルバーマスターをベントリーは必死で力づけた。

「あなたは共産主義者ではありません。 ただの進歩主義者です。 そう言って戦うのです」。 ほどなくしてモスクワからも同様のアドバイスが届いた。

 

 

不思議なことに暫くすると、陸軍次官ロバート・パターソンから解雇要求の撤回が伝えられた。 ホワイトを筆頭とするシルバーマスターグループのメンバーがそれぞれの影響力を駆使し、撤回を勝ち取ったのである。

ただ、職場は戦時経済委員会から農務省に戻された。 事件の収拾でシルバーマスターグループの情報収集活動は再び活発化した。 

 

武器貸与法による各国別武器分配計画といったハードな情報に加え、ホワイトハウスは蒋介石夫人・宋美齢を嫌っていると強化を求めるスピーチを行っていた。

 

 

 

エリザベス・ベントリー:赤いスパイクイーンー7  NKVD(KGBの前身)との確執とゴロスの死

に続く

 

 

 


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