南アフリカでミルナーに仕えた若者たちは、1910年まで『ミルナーズ・キンダーガルテン(ミルナーの幼稚園)』と呼ばれました。
1909年から1913年にかけて彼らは英国の主だった属領や米国で、『円卓会議グループ』という、半ば秘密結社を組織し、現在も7ケ国で存在している事は既に紹介しました。
また彼らは、1910年にエイブ・ベリー卿の資金で創刊された影響力のある季刊誌『ラウンドテーブル』を通じて連絡を取り合い、1919年に主にエイブ・ベリー卿やアスター一族(タイムズの社主)から資金援助され、1920年に『RIIA:王立国際問題研究所(チャタム・ハウス)』がロンドンに設立され、翌年の1921年にアメリカのニューヨークに『CFR(外交国際問題評議会)』が設立されました。
大西洋を挟んでの、『RIIA』と『CFR』は姉妹組織という事が出来ます。 綺麗ごと抜きに言えば、RIIAは、世界を支配した大英帝国が19世紀に植民地経営を安定させることから発生した英国貴族の『円卓会議』に原点があります。私的な諜報機関ですが、英国女王を頂点に置いています。
すなわち、RIIA設立の目的は、イギリスの世界支配体制維持、そしてCFRは、急激な成長を続けるアメリカの支配と考えられます。
DS陰謀論の本丸FRB(アメリカ中央銀行)を分かり易く説明 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/1928f3096af970fb561f43a7179cfffb
今日、アメリカの政財界、外交政策・国内政策を牛耳っているのが、超党派(共和党・民主党)の『CFR』であり、『影のアメリカ政府』ともいわれています。
CFRについては、別途詳しく紹介したいと思っています。
CFR(外交問題評議会)とIPR(太平洋問題調査会)の設立
国際問題に関する同じような機関が、英国の主だった自治領やアメリカ合衆国で1920年から1927年にかけて相次いで設立されました。
1925年以後に『太平洋問題調査会(IPR)』という似かよった組織が、太平洋地域の12ケ国に設立されましたが、基本的には英国の各自治領に置かれた円卓会議グループと王立問題研究所との抱き合わせです。
カナダのグループの中核を占めたのは、オックスフォード在学時のミルナーの友人(アーサー・グレイズブルック、ジョージ・パーキンなど)で、南アフリカやインドでは『ミルナーズ・キンダーガルテン』の旧メンバーが中心となりました。
南アフリカではパトリック・ダンカン(卿)、B・K・ロング、リチャード・フィーザム、ドウーガル・マルコム(卿)、インドではウィリアム・マリス(卿)、ジェームズ・メストン(卿)、彼らの友人マルコム・ヘイリー(卿)等です。
オーストラリアとニュージーランドのグループは早くも1890年から1893年頃にレビュー・オブ・レビュー誌を通じてステッドにより集められていました。 1889年から1910年にはミルナーの意を受けたパーキンによって、1910年~1919年にはミルナーの要請を受けたライオネル・カーチスみよって集められました。
ロンドンタイムズの経営権を握り、英国の政府、メディア、大学に大きな影響を与えた円卓会議グループ
1889年以降、大英帝国の内政と外交政策で発揮されたローズ=ミルナーグループの権勢と影響力は、どれほど大げさに言っても誇張ではありません。
一例を挙げれば、このグループは1890年から1912年までロンドンタイムズの経営権を握り、1912年以降は(1919年から1922年を除いて)完全に支配下に置きました。
ロンドンタイムズは、1922年以降アスター家が社主となったので、ローズ=ミルナーグループは『クリブデン組』と呼ばれることが多くありました。
これはアスター家の邸宅、クリブデン館で集会が重ねられたことにちなみます。
1889年以降、新聞や雑誌がこのグループに支配され、影響を受けた例は多くあります。 彼らは多数の大学や帝国の内政および外交の要職に就いて影響力を行使しました。
例えば、オックスフォードのモンタギュー・バートン教授職、ロンドン大学のローズ教授職、チャタムハウス(王立国際問題研究所)のスティーブン教授職、アベリストウィスのウィルソン教授職などなど、これらはオックスフォードのローズ・ハウスと同様、影響力の発信地として重要でした。
米国に影響力を拡大させる円卓会議グループ
1884年から1915年頃、円卓会議グループ(1909年~1013年にかけて組織化)のメンバーは大英帝帝国を拡張し、それを連邦化するために活発な活動を繰り広げました。
アメリカ独立革命(1775年の武力衝突に始まり、1776年独立宣言、1783年のパリ条約)の失敗と1867年のカナダ連邦の成功から学んだ教訓を肝に銘じ、手始めに帝国内の統合可能な地域を連合させ、
次いでその連合全体と英国を合体させて、単一の連邦組織をつくりあげる事を考え、また可能な限り米国をこの組織体に組み入れようと企てました。
ローズとミルナーを中心とする秘密ネットワーク(円卓会議)が米国に影響力を拡大した様子を、『ジョージタウン大学』の『キグリー博士』と次のように呼べています。
ジョージタウン大学とキグリー博士 https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/e588ec6b5d1d6325d7f8de8f01524e64
『東部エスタブリッシュメント』と呼ばれることの多い、『円卓会議』のアメリカ支部は、米国の一時代の歴史に重要な役割を果たした。 1915年までに円卓会議グループは7ケ国に広まりました。
英国、南アフリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、インド、そして比較的結束がゆるかった米国(ジョージ・ルイス・ビア、ウォルター・リップマン、フランク・アイデロット、ホイットニー・シェパードソン、トーマス・W・ラモント、ジェリローム・D・グリーン、クリスチャン・サイエンス・モニターのアーウィン・D・カンハム)です。
こうしたグループは、相互訪問や議論、事情に通じた匿名の季刊誌『ラウンド・テーブル』を通じて歩調を合わせました。 この雑誌の創刊号は、大部分がフィリップ・カーによって執筆されたことが、1910年11月に発覚しています。
JP・モルガン、ロックフェラー等の米国超富豪が、ローズ・ミルナーの秘密ネットワークに加入
円卓会議グループの幅広い活動資金を当初から支えていたのは、セシル・ローズの仲間や彼の信奉者が管理するローズ信託基金でしたが、他にもビート・ブラザーズ、エイブ・ベーリー卿、1915年以降アスター家といった裕福な閨閥が資金を捻出していました。
1925年以降の資金拠出は裕福な個人、財団、カーネギー・ユナイテッドキングダム・トラストといった国際銀行関連企業、JPモルガン、ロックフェラー家、ホイットニー
一族の関連法人、ラザード・ブラザーズ、モルガン・グレンフェル商会の共同経営者たちでした。
英米ネットワーク同盟の形成
この組織の根幹は、ニューヨークのモルガン銀行からロンドンのラザード・ブラザーズに率いられた国際金融資本グループに及ぶ既存の金融協力体制に沿って成長しました。
ミルナー自身は1901年、ロンドンのモルガン銀行から10万ドルという桁外れの年収を提示され、ロンドンからニューヨークの父のところに戻るJPモルガンJr.の後任として3人の共同経営者の一画に加わって欲しいと要請されましたが、断っています。
その結果、E・C・グレンフェルにお鉢が回り、モルガンのロンドン支社はモルガン・グレンフェル商会となりました。 その代わり、ミルナーはミッドランド銀行前身であるロンドン共同出資銀行など多数の官立銀行の総裁におさまりました。
彼は英国きっての政治金融権力者に上り詰め、弟子たちを国内の重要ポストに戦略的に配置しました。
例えば、ロンドン・タイムズ編集長、オブザーバー編集長、ラザード・ブラザーズ理事長、閣僚を含むさまざまな行政ポストなどであります。 政治、大型金融取引、オックスフォード大学やロンドン大学、定期刊行物、公務員、非課税財団の中に着々と枝が広がっていったのです。
円卓会議グループの米国支部を機能させる
1914年の大戦末期、このネットワークの大幅な組織拡大が必要になりました。 再びその役を担ったライオネル・カーチスは、英国と全自治領にある円卓会議グループの活動拠点を構築しました。
『王立国際問題研究所』(RIIA)というこの前線組織の中核は。各地に潜んでいる『円卓会議グループ』でした。
ニューヨークのそれは、『外交問題評議会』(CFR)として知られる少数精鋭の『米国円卓会議』グループとつながるJPモルガン商会の前線組織でした。
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米国の組織は多数のモルガン専門家に牛耳られており、なかでもラモントとビアはパリ講和会議に出席して、ミルナー・グループが集めた英国の専門家グループと親密な友好関係を結びました。
事実、王立国際研究所と外交問題評議会の当初の計画はパリで寝られました。 王立国際問題研究所の評議会は、カーチスの尽力によってセント・ジェームズ・スクエアをはさんでアスター家の向かい側にあるチャタム・ハウスに本拠を定めました。
そして外交問題評議会の理事会はそれ以降、当初の特質を維持しています。
1960年までチャタム・ハウスでの評議会は、次第に減っていくミルナー・グループによって牛耳られ、有給の幹部メンバーはほとんどがライオネル・カーチスの代理人でした。
長年(961年まで)、ラウンド・テーブル誌は、オーモンドヤードにあるチャタム・ハウスの敷地内で密かに編集され、電話線はチャタム・ハウスの配電盤から惹かれていました。
強力な秘密結社ニューヨーク支部
ニューヨーク支部は、モルガン銀行関係者によって仕切られていました。
例えば1928年には、『外交問題評議会』は、ジョン・W・デービスが理事長、ポール・クラバスが副理事長で、他の13人の理事にオーウェン・D・ヤング、ラッセル・C・レフィンゲル、ノーマン・デービス、アレンダレス、ジョージ・W・ウィッカーシャム、フランク・L・ポーク、ホイットニー・シェパードソン、イザヤ・ボーマン、ステファン・P・ダガン、オットー・カーンが含まれていました。
歴史上この評議会は、ビア、リップマン、シェパードソン、ジェローム・グリーンといった米国円卓会議と結びついていました。
(関連情報)
・ロスチャイルド財閥ー314 オックスフォード大学 ジョン・ラスキン教授
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・・ロスチャイルド財閥ー315 セシル・ローズ
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・ロスチャイルド財閥-316 ミルナーの幼稚園(ミルナーズ・キンダーガルテン)と
RIIA(王立国際問題研究所:チャタムハウス)、そしてCFR
(外交問題評議会)https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/ee01568e16f99b3bcf4d11dca2c56926
・ロスチャイルド財閥-317 英連邦を拡大し、アメリカを取り込む円卓会議グループ
・大英帝国の繁栄の秘密、古代パンゲア大陸と石炭https://blog.goo.ne.jp/renaissancejapan/e/08feb47657a98e4d58ff244607a14ff4
(おまけ)
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