EF24-105mmF4L
今日はホテルのチェックアウトの日。さて、今日の宿泊はどうしよう?と朝考えるが、鍵を無くしているので考えがまとまらない。ツェルマットにもう一泊するかどうか。それもこれも鍵が見つかるかどうかに懸かっているのだが、もしも宿を手配するなら体力があるうちのほうが良い。ヘトヘトになって宿を探すのはとても苦しいことを私は経験上知っている。・・・なんてことを駅へ向かう途上で考えていた。まぁ、考えていても答えは出ない。とりあえず今日は動き回ることになるだろう、という事を覚悟していた。差し当たって荷物になるリュックが邪魔である。泊まるにせよ、鍵が見つかった後ツェルマットを発つにしろ、まずはこの重いリュックをなんとかしないといけない。そこで、リュックを駅のロッカーに入れることにした。カメラだけを首からぶら下げて、まずは軽装になった。
さて、その後すぐさまツェルマットのゴルナーグラート鉄道のキップ売り場の窓口に行った。そして窓口の人に、紛失物はないかと尋ねた。ダメ元での質問である。これで「無い」というならば、もう一度昨日のコースをなぞるしかない。窓口の人はこう答えた。「あるが、何を落としたんだ?特徴は?」と。この言葉ですこし光明が見えた。・・・だが、落し物を駅で預かるというのは珍しいことではない。問題は私の鍵がそこにあるかどうかだ。電車内で忘れたのなら、届けてくれる可能性はあるだろうが、外で落としたらそれも難しいだろう。仮に電車内で落としたとしても、始発のツェルマット駅にすべての紛失物が集められるようなシステムになっているのか?そんな事を考えながら、私は自分が落とした鍵の特徴をこう説明した。
「車の鍵だ・・・、そしてそれには金庫の鍵もついている。他にも倉庫の鍵もついている。」
金庫の鍵だ、と、私が言った時に、窓口の人は「オーー」っと同情の声を上げたのを私はよく覚えている。そう、事は深刻なのだ。そして窓口の人は「ちょっと待っていてくれ」と言い、奥に向かって歩いていった。
さぁ、審判の時である。この時間は本当に長く感じた。私は答えながら、頭の中では昨日のコースをどうなぞるかを既に考えていた。
しばらくして窓口の人が戻ってくる。その手には・・・なんと、見覚えのある鍵の束が握られているではないか!そう、あったのだ。駅に届けられていたのだ!
私は嬉しさのあまり、思わず「そうだ!それだ!!!」と叫んでしまった。窓口の人にお礼をいうと、その人も私の表情が異常に嬉しいことに気づいたようで、同じように素晴らしい笑顔になって、「そうか、そうか、よかったな」と言ってくれたのである。
この結末は、奇跡と言っても良いかもしれない。結局、嬉しさのあまり、どこでこれが落ちていたかについては聞かず仕舞いになってしまったので、今でもその場所については分からないのだが、おそらくは電車の中ではあるまい。確実に屋外である。それを観光客の誰かがおそらく届けてくれたのだろう。西洋人の凄いところは、こういうことをほとんど皆がやってくれることである。
かくして、前日の午後9時に発覚した事件は、翌日の午前8時には解決した。おかげでこの後の旅も、士気が下がることもなく続けられる。まさに幸運というべきである。もしも、私が鍵の紛失に気づくのがあと1、2日遅れていたら、もっと厳しいことになっていただろう。その場合は、ツェルマットをおそらくは発っていただろうから、また戻ってこなければならないし、鍵の落とした可能性のある場所も、もっと領域が広がっていて、場所を特定できなかったかもしれない。また、仮に昨日のハイキングの途中で気づいたとしたらどうだろうか?その場合は、ヘトヘトになりながらも、来た道を引き返して、延々と探し続けていたに違いない。その場合、体力はボロボロになり、おそらく翌日にも疲れを引きずることになったかもしれない。結果的に、私は最高のシチュエーションで鍵を紛失したことに気づいたわけだ。速すぎず、遅すぎず・・・である。
午前8時に解決。この事実は、なにか今日一日が、ボーナスタイムかのような錯覚を私に起こさせた。つまり、いきなり自由に使ってよい日になったのだ。もしも窓口で見つからなければ、半強制的に昨日のコースをなぞることは決まっていたのだが、それが一気になくなった。
さて・・・急に、やるべき事がなくなった。今日はどうしよう?・・・という贅沢な悩みが沸いてきた。思いがけないフリーな時間が手に入ったので、今日はマッターホルンの麓まで行って、そこで半日ブラブラとハイキングすることにした。目指す目的地はシュヴァルツゼー(黒い湖)である。
(写真は、紛失した鍵を取り戻した後に撮ったもの。ツェルマットのゴルナーグラート始発駅である。この日は日本人の団体さんが多く、ご覧のように写真の中に写っている黒髪の人達は、すべて日本人である。)
次回はシュヴァルツゼー。
今日はホテルのチェックアウトの日。さて、今日の宿泊はどうしよう?と朝考えるが、鍵を無くしているので考えがまとまらない。ツェルマットにもう一泊するかどうか。それもこれも鍵が見つかるかどうかに懸かっているのだが、もしも宿を手配するなら体力があるうちのほうが良い。ヘトヘトになって宿を探すのはとても苦しいことを私は経験上知っている。・・・なんてことを駅へ向かう途上で考えていた。まぁ、考えていても答えは出ない。とりあえず今日は動き回ることになるだろう、という事を覚悟していた。差し当たって荷物になるリュックが邪魔である。泊まるにせよ、鍵が見つかった後ツェルマットを発つにしろ、まずはこの重いリュックをなんとかしないといけない。そこで、リュックを駅のロッカーに入れることにした。カメラだけを首からぶら下げて、まずは軽装になった。
さて、その後すぐさまツェルマットのゴルナーグラート鉄道のキップ売り場の窓口に行った。そして窓口の人に、紛失物はないかと尋ねた。ダメ元での質問である。これで「無い」というならば、もう一度昨日のコースをなぞるしかない。窓口の人はこう答えた。「あるが、何を落としたんだ?特徴は?」と。この言葉ですこし光明が見えた。・・・だが、落し物を駅で預かるというのは珍しいことではない。問題は私の鍵がそこにあるかどうかだ。電車内で忘れたのなら、届けてくれる可能性はあるだろうが、外で落としたらそれも難しいだろう。仮に電車内で落としたとしても、始発のツェルマット駅にすべての紛失物が集められるようなシステムになっているのか?そんな事を考えながら、私は自分が落とした鍵の特徴をこう説明した。
「車の鍵だ・・・、そしてそれには金庫の鍵もついている。他にも倉庫の鍵もついている。」
金庫の鍵だ、と、私が言った時に、窓口の人は「オーー」っと同情の声を上げたのを私はよく覚えている。そう、事は深刻なのだ。そして窓口の人は「ちょっと待っていてくれ」と言い、奥に向かって歩いていった。
さぁ、審判の時である。この時間は本当に長く感じた。私は答えながら、頭の中では昨日のコースをどうなぞるかを既に考えていた。
しばらくして窓口の人が戻ってくる。その手には・・・なんと、見覚えのある鍵の束が握られているではないか!そう、あったのだ。駅に届けられていたのだ!
私は嬉しさのあまり、思わず「そうだ!それだ!!!」と叫んでしまった。窓口の人にお礼をいうと、その人も私の表情が異常に嬉しいことに気づいたようで、同じように素晴らしい笑顔になって、「そうか、そうか、よかったな」と言ってくれたのである。
この結末は、奇跡と言っても良いかもしれない。結局、嬉しさのあまり、どこでこれが落ちていたかについては聞かず仕舞いになってしまったので、今でもその場所については分からないのだが、おそらくは電車の中ではあるまい。確実に屋外である。それを観光客の誰かがおそらく届けてくれたのだろう。西洋人の凄いところは、こういうことをほとんど皆がやってくれることである。
かくして、前日の午後9時に発覚した事件は、翌日の午前8時には解決した。おかげでこの後の旅も、士気が下がることもなく続けられる。まさに幸運というべきである。もしも、私が鍵の紛失に気づくのがあと1、2日遅れていたら、もっと厳しいことになっていただろう。その場合は、ツェルマットをおそらくは発っていただろうから、また戻ってこなければならないし、鍵の落とした可能性のある場所も、もっと領域が広がっていて、場所を特定できなかったかもしれない。また、仮に昨日のハイキングの途中で気づいたとしたらどうだろうか?その場合は、ヘトヘトになりながらも、来た道を引き返して、延々と探し続けていたに違いない。その場合、体力はボロボロになり、おそらく翌日にも疲れを引きずることになったかもしれない。結果的に、私は最高のシチュエーションで鍵を紛失したことに気づいたわけだ。速すぎず、遅すぎず・・・である。
午前8時に解決。この事実は、なにか今日一日が、ボーナスタイムかのような錯覚を私に起こさせた。つまり、いきなり自由に使ってよい日になったのだ。もしも窓口で見つからなければ、半強制的に昨日のコースをなぞることは決まっていたのだが、それが一気になくなった。
さて・・・急に、やるべき事がなくなった。今日はどうしよう?・・・という贅沢な悩みが沸いてきた。思いがけないフリーな時間が手に入ったので、今日はマッターホルンの麓まで行って、そこで半日ブラブラとハイキングすることにした。目指す目的地はシュヴァルツゼー(黒い湖)である。
(写真は、紛失した鍵を取り戻した後に撮ったもの。ツェルマットのゴルナーグラート始発駅である。この日は日本人の団体さんが多く、ご覧のように写真の中に写っている黒髪の人達は、すべて日本人である。)
次回はシュヴァルツゼー。