雲跳【うんちょう】

あの雲を跳び越えたなら

マスターベーションにおける男の純情

2006-06-14 | 雑記
若い頃は、想像だけでいくらでもオナニーが出来たものだ。それが最近では体力、気力、想像力に衰えが生じてきている事実は悔しいが、否めない。
それでも性欲が無くなったわけではない。エロエロ妄想ならそんじょそこらの若い奴らなどには負けないくらい淫らで耽美な世界を構築できる。
などと粋がって思いを巡らしていたところ、そう言えば自分は本気で恋した人や、とても綺麗で恋をするには畏れ多く、憧れるだけで遠くから見つめているだけの女性などをネタにしてコイたことがない。それはやはり、オナニーという行為に対して羞恥、虚脱、背徳、そういった忌まわしい想いが付きまとってしまうせいであろう。
いや、ここでワザワザそんな小難しい理屈をこねるのはよそう!要するに私は私の最も愛する者を私自身の欲望(抑棒?) によって汚すことなど出来ない小心者なのである。
しかし、ひとたびランクを落とせば、まさに鬼畜の如き勢いで街ゆく女性たちを視姦し、妄想の中であられもない姿にさせ、晩の餌食と為す。
そんな底無し変態性欲者の私だが、やはり一等好きな人では、コカない。きっとこういう男性は多いと思うので、これを『男の純情』と呼んでも差し支えはないであろう。
ところが、もし、その好きな人なり憧れの人なりのヌード写真でも手に入ろうものなら、私はその全精力をもってして、カラカラになるまでコキ続けるであろうことは、必至である。

結局、『男の純情』など、その程度のモノでアル。
コメント (10)
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