「千葉県でラーメン作りを生業とする職人達のストーリーP8」
千葉県市原市青葉台の高台にそびえ立つ一軒のラーメン店。
その名は「ラーメンちば宝来」
その創業は1983年(昭和58年)9月25日。昨年34周年を迎え、毎年恒例の100円ラーメンセールを実施。400食用意したラーメンはあっという間に売り切れ。35年目の営業も好調。地元市原市になくてはならない名店。
そこで創業者で現店主の天間一六さんの経歴を紐解いて見ましょう。
天間さんは学校を出てすぐ、千葉市中央区登戸の創業1866年(慶応二年)の老舗、和食、洋食、中華、喫茶、お弁当事業と食に関する総合デパート「西原屋」に就職。
ここで職人人生の基礎をみっちりと学びました。最盛期には成田空港の機動隊員の一日3000食のお弁当も作っていました。西原屋の創業以来の精神が「まごころの提供」、大量生産3000食のお弁当を毎日作っても、1品1品に心を込めて「味とまごころ」をお客さんに届ける精神、これが天間さんの職人としての「礎」となりました。
またその後、千葉県夷隅郡御宿町で人気の寿司店「かね八寿司(昭和43年創業)」でも4年間ほど寿司職人として働いたそうです。好奇心旺盛な天間青年にとって、伊勢海老やアワビなど房総の恵み、地魚をふんだんに使用した寿司の世界もまたお客さんを魅了する楽しい食の世界だったそう。
その後、ラーメンの世界に魅了されて、ラーメン店をオープン。
以来34年間超、ご夫婦で二人三脚、お子さんも生まれて、家族で厨房を、お店を守っていらっしゃいます。
2016年の秋の第六回千葉ラーメン選手権(蘇我のフェスティバルウォークにて開催)では見事に人気投票ナンバーワンで優勝、ロッキーも食べましたが、天間さんは青葉台のお店を休業してこの大会にかけていました。「えび香る豚骨魚介ラーメン」大会開催の3日間の内、2日間が悪天候に見舞われて、手や足がつってもラーメンを作り続けた天間さん、兎に角全力投球で、はたから観ていて涙が出るくらい感動しました。
2017年、昨年はご家族にとってハードラックの年。天間さんが6月のある日、朝起きたら、目まい、耳鳴り、吐き気に襲われて脳神経外科で診療のために臨時休業したり、女将さんが腰痛で入院、手術、そんな時でも天間さんは、お店を営業しながら家事もやり、女将さんの大好物を持ってお見舞いにも足繫く行きました。
【強固な家族の絆】
もう2代目もいるのだから、初代はそんなに無理をしなくてもと思いますが、「生涯現場主義」の天間さんは、倒れたら点滴を打てば良い、との不撓不屈の精神で常に前向きに仕事に取り組んでおられます。
今の夢は、「今よりももっと美味いラーメンを作って、お客さんの笑顔が見たい」そうです。
ラーメン屋さんをやっていて嬉しかったのが、常連のお客さんが天間さんの似顔絵を書いてくれたそうです。そこには「ラーメンばか」と書かれていて、全く自分はその通りで、その時ほど、ラーメン屋になって良かったと思ったことはないそうです。
2代目にかける言葉は、「良く自分のわがままを聞いてくれていると思います。少しでも向上心を持って1日を無駄にしない職人になってもらいたいです」との事。父子鷹、厨房でそのお姿が拝めるのも千葉県にはなかなかない最高のお店です。
ロッキーは深く思います、千葉を愛して、千葉のお客さんのために一生懸命に美味しいラーメンを日々作って下さる「千葉ラーメン職人」の皆さん。私たち千葉の食べ手はその「愛おしさ」をもっと知るべきであると。職人さんをもっとリスペクトするべきであると。
WE LOVE CHIBA RAMEN ☆
こんな坂、あんな坂。JR姉ケ崎駅のパチンコ屋さんでレンタサイクル。
チャリで、JR姉ヶ崎駅から、宝来に到着。この日はちょうど3・11、震災の日。災害時に人力でが教訓。
1日限定6食、京ガモ狙い!
こちらも大変魅力的。
創業35年目、それにしてもメニューが豊富です!
半ちゃんラーメンも良いですね。今はこういう手間暇を惜しまないお店が減りました。
次回はこちらをいただきたいですね。
天間さんのサーブで限定のラーメンが着どん!
特製の京鴨ラーメン。
豪華絢爛。
麺はもちろん自家製麺、京鴨100%のスープにぴったり。
NASAの水と、京鴨だけで取った出汁。
なかなか。
ぷりぷり~車海老のワンタン。これは贅沢の極み!
低温調理チャーシューも、天間さんにかかれば、あっという間にできますね。
2年前の「泡ラーメン」のクオリティの高さにも驚きましたが、職人さんは、ちょっとしたヒントで、簡単にコピーしてしまうんですね。
とにかく、まだまだ天間さんのお店に通わないと!
ご馳走様。
これがその似顔絵。