
「らーめんの駅」オープン記念特集エピソード3(プレオープン日)
4月15日午後12時20分
丁度地下二階の元、けやきが入っていたスペース、更に言うと、元「すみれ」が入っていたスペースに「らーめんの駅」が入っています。
真新しい純白の暖簾には、真ん中に「駅」の文字、左右には「純連」と「すみれ」の文字も書かれています。
ご家族3人で仲良く手を取り合って開いたお店である事が、良~くこの暖簾で分かります。
我々は、味噌と、しょう油と、塩の3つの食券を持ってすぐに店内のテーブル席へ。
つづく・・・
補足:
ラー博タイムスより・・「純連・すみれ 店名の謎」
昭和39年(私が生まれた年、東京オリンピックイヤーですねw)の開業当時は「純連」と書いて、「すみれ」と呼びました。
しかしオープンして月日が経ち、看板の「すみれ」というふりがなが取れてしまい、いつしか本当の屋号を知らないお客さんが「じゅんれん」と呼ぶようになったそうです。
その後、札幌屈指の繁盛店になった「純連」でしたが、昭和57年、明子さんの股関節亜脱臼という持病により、突然店を閉める事になりました。
しかし明子さんは諦める事が出来ずに、1年間のブランクの後、昭和58年「純連」を再開させました。この時ほとんどのお客さんが「じゅんれん」と呼んでいた為、「すみれ」とは呼ばず、「じゅんれん」の屋号で再開する事になったそうです。
その後、長男の教愛さんが「じゅんれん」でお店を継ぎ、平成元年、三男の伸宜さんが「すみれ」の名でお店をオープンさせたんだそうです。
そう考えると、大変深~~い、真実のラーメン・ストーリーですね。
ラーメンと言う食べ物は、「人生」そのものです!
4月15日午後12時20分
丁度地下二階の元、けやきが入っていたスペース、更に言うと、元「すみれ」が入っていたスペースに「らーめんの駅」が入っています。
真新しい純白の暖簾には、真ん中に「駅」の文字、左右には「純連」と「すみれ」の文字も書かれています。
ご家族3人で仲良く手を取り合って開いたお店である事が、良~くこの暖簾で分かります。
我々は、味噌と、しょう油と、塩の3つの食券を持ってすぐに店内のテーブル席へ。
つづく・・・
補足:
ラー博タイムスより・・「純連・すみれ 店名の謎」
昭和39年(私が生まれた年、東京オリンピックイヤーですねw)の開業当時は「純連」と書いて、「すみれ」と呼びました。
しかしオープンして月日が経ち、看板の「すみれ」というふりがなが取れてしまい、いつしか本当の屋号を知らないお客さんが「じゅんれん」と呼ぶようになったそうです。
その後、札幌屈指の繁盛店になった「純連」でしたが、昭和57年、明子さんの股関節亜脱臼という持病により、突然店を閉める事になりました。
しかし明子さんは諦める事が出来ずに、1年間のブランクの後、昭和58年「純連」を再開させました。この時ほとんどのお客さんが「じゅんれん」と呼んでいた為、「すみれ」とは呼ばず、「じゅんれん」の屋号で再開する事になったそうです。
その後、長男の教愛さんが「じゅんれん」でお店を継ぎ、平成元年、三男の伸宜さんが「すみれ」の名でお店をオープンさせたんだそうです。
そう考えると、大変深~~い、真実のラーメン・ストーリーですね。
ラーメンと言う食べ物は、「人生」そのものです!