以前、旅行で石和に宿泊したおり甲斐国二ノ宮美和神社へと参拝しました。
つい先日は、一ノ宮浅間神社へ。
ならば続いて訪れるべき神社は、やはり三ノ宮玉諸神社 必然な流れで参拝して参りました。
以前同名の玉諸神社(甲州市塩山竹森)へ参拝していますが、こちらは周辺に水晶の採掘鉱があったことから「玉類信仰」で生まれた神社と考えられており、三ノ宮玉諸神社とは、直接は関係がありません。
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中央本線酒折駅より徒歩15分ほど
甲府市国玉町を流れる十郎川と濁川との合流ポイントの東側に位置しています。
二の鳥居 神社の門前にあるので一の鳥居と思いきや
実は、二の鳥居です。では一の鳥居はどこ?
案内板にある青沼通りまでは、ここから500mほど南の位置になります。
化粧瓦で葺かれた稚児柱
それぞれ神社によって特徴があって興味深いです。
三の鳥居
現在の扁額
三の鳥居が明治期に建て直される以前にかかっていた勅額(扁額)です。
國玉大明神と書かれています。
勅額の案内板
拝殿 神社の向きは南
境内はさほど広くはありませんが、全体に掃き清められており清々しい気分になります。狛犬はおりません。
舞殿
本殿
祭祀:國魂大神命(大国主神)
由緒: 社記によると日本武尊東征の御帰路、酒折の宮に滞り国中の反乱を鎮められて、景勝の地に国玉神を祀られたに始まるといふ。又、一つの珠を埋め上に杉一株を植ゑられたが、後にこれを玉室杉と称し玉諸の名起るとも伝へてゐる。桓武天皇延暦十六年神位従五位上を賜り、淳和天皇の天長三年従三位を賜り、清和天皇の貞観五年官幣を賜り勅願所ともなって、延喜式所載の式内社に列せられた。武田氏も代々祈願所として崇敬を深めたので、天正十年には滅亡の兵火にかかり焼失したが、慶長十四年再建家康より神領六拾壱石三斗余を寄進され、代々の将軍も朱印状を賜り甲州三の宮と崇敬された。又、板垣村御室山にありいつの頃かこの地に御遷座ともいふ。天長の頃より一宮、二宮、三宮と共に竜王村三社明神まで水防祭に神幸されたが、いつしかそれも絶えて久しいが平成十六年より関係者の協力により復興している。大正十一年十二月県社に列せられ、境内に秋葉神社、五条天神社を祀り、年と共に古社の風格を備へてきてゐる。(山梨神社庁より)
鬼板の造りが特徴的です。大棟には山梨の神社で良く見る武田菱ではなく葵の御紋があります。
もうひとつこの本殿には他では見られない特徴があります。
本殿 案内板にもあるように、本殿の後方に屋根を支える二本の柱があります。
通常本殿は、権現流造りで正面手前に向拝が設けられ左右に向拝柱があるのは理解できますが、後方は特に柱を用いる程の支えはいらないはずです。
☞参考リンク:神社建築の細部名称
説明文では、ここから北へ1.5Kほどの位置にある酒折山(御室山)の頂上にある元宮(山宮)への遥拝門との事です。
境内裏手にある小祠群
【マップ】
【参考】
以下は、以前訪れた酒折宮へと参拝した際の記録です。(撮影:2014-11)
御室山 酒折山、月見山といろいろな呼称で呼ばれています。
奥宮の位置が描かれた地図(以前訪れた酒折不老園塚古墳の案内図より)
こちらは、酒折宮の古宮跡(酒折天神)
第二磐座あたり この先に、玉諸神社の奥宮石祠があるものと思われます。
玉諸神社拝殿跡(山梨県甲府市善光寺)(出典:Googleストリートビュー)
御室山山頂までは、北へ直線距離で15キロほど
【おみゆきさん】
ここには男性がおしろいや頬紅をほどこしピンクの女性ものの着物て神輿を担ぐ奇祭がある神社としても有名です。水難防除がその始まりと伝えていますが今年は、三年ぶりに開催されたそうで、ローカルニュースでも取り上げられていました。
「おみゆきさん」の起源は、今から約1200年前の平安時代、825(天長2)年に淳和天皇(じゅんなてんのう)が勅使を遣わし、釜無川の水難を防ぐため旧一宮町(笛吹市)の一宮浅間神社、旧御坂町(笛吹市)の二宮美和神社、甲府市の三宮玉諸神社に命じて水防祈願祭を行わせたのが始まりだといわれています。文献的には、武田信玄が弘治3年(1588)、浅間神社神主にあてた社勤条目の中に初めて「御幸」という記載が登場しているということです。(こちらより一部抜粋)
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