嫁さんが突然、今日が何年の何月なのかわからなくなった。明日の予定もわからない。何度も同じことを聞いてくる。認知症か脳梗塞かと思った。
— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2019年3月8日
実は一過性全健忘という病気で、数時間で回復したが、その間はただただ恐怖。10万人に数人がかかり、通常は一生に一回しかならないという。
脳って不思議。
作家の百田尚樹氏の奥様が“一過性全健忘症”との診断を受け、その時の模様を少し前にツィートや虎ノ門ニュースで語られていましたが、今思うと自分の亡き母親も記事の症例とは違った病状(せん妄)ではありましたがその時の絶望感は、半端なくこの記事で読んで思い出してしまいました。
まだ、自分が独り身で母親とマンションで二人暮らしだった頃。妹は、近所のアパートを借りて一人暮らし。
なんてことは無い日常 朝7時に起床し、朝食を摂り母親に送り出されながら7時45分に出勤 そんな毎日の繰り返し。
とある日 その日常が母親の異変で非日常となってしまった。
いつも朝5時位には起きる早起きの母親が今朝に限って起きていないのである。
出勤時間になっても起きてこないので、具合が悪いのかな?と、思いつつも母親を起こしに行ったら布団から起き上がってはいたのだがあきらかにいつもの顔とは形相が変わっていた。
“おまえは誰だ!”みたいな怪訝そうに自分の顔をみつめている。
その視線には、全く生気が見られず遠くを眺めているかのよう。
急いで、やはり出勤前だった妹へ連絡「お袋の様子がおかしい!」と、呼び出し一緒に母親にいろいろと問いかけてみる。
返ってくる答えはトンチンカンで上の空。やはり妹の顔を見ても誰だか分からないようで反応がない。
これはいわゆる「アルツハイマー」とか言う認知症では?と、二人でいよいよ事の重大さを意識しだした。
すぐにかかりつけの病院に行って診てもらおうとも思ったのだが、診てもらったところで認知症が改善するはずもないしテレビの特集番組などで見た「認知症患者の介護」には、結局家族が頑張るしかないと言った潜入感もあり今まで介護など経験したことがない我々は、今後の事を考えると「絶望感」と「恐怖心」で、頭がいっぱいになっていた。
それでも、何か刺激を与えれば何か思い出すのでないかと、冷水やお茶を飲ませたり唯一の嗜好品だった「タバコ」を点けて渡すも無反応で一吹もせず。
まず、まともな会話が出来ない。目は開けているのだが虚空をみつめ夢を見ながら言葉にならない何かをつぶやいているような状態。
とりあえず反応はするので、耳は聞こえているようだった。
とりあえず食事を摂らせるためお粥を炊いて食べてもらおうと思ったが箸がうまく握れない。お茶碗もまともに持てない。幾度かは食べる素振りはするのだが、口に粥を含むと飲み込めないのかそのまま、口元からこぼしてしまう。
まるで、赤子に戻ってしまったかのようなふるまいで二人して大いに落胆したのを覚えている。
とりあえず子供に食べさせる要領で、スプーンでお粥を口に運び半分まで食べさせた。
困ったのが下の世話。
当初自分は、気づかなかったのだが昼過ぎに布団が濡れていたのに妹が気づく。
布団と履いていたパジャマのズボンがグッショリ。無意識のうちに粗相をしてしまったようだ。
妹は、慌ててドラッグストアまで走り大人用紙パンツを購入し、なれない様子で懸命にパンツとズボンを履き替えさせていた。
その夜「これからどうする?」と、兄妹会議
当時まだ介護保険制度が制定されていない時代で頼れる親戚などもいないので、とにかく「自分らで何とかしなければ」と、自分は覚悟を決め「会社を辞め母親の介護に専念する」と、妹に宣言。
自分の決断があまりにも即決だったので、今思うと不思議なくらいなのだが妹も出来る限り頑張る。二人で協力しながら介護していこうと言う結論となった。
今夜は妹が付き添うと言うので自分は、妹の住むアパートで仮眠をとる事に。
ベッドに入ってからも出来る限り二人で頑張って、時を見て施設に入居できたらいいな。とかこれからの具体的なプランなどいろいろ考えていた。
ウトウトと仕掛けた夜の11時頃。
妹から朗報が届く
お母さん治ったみたい!!
と、連絡が入る。
急いで、歩いて5分ほどにある実家に戻るとコタツに座りキョトンとしている母親がいた。
開口一番 “お前!今日仕事は!?”
眼差しもしっかり自分に向けられている。
思わず涙が溢れ出た。
なんでも、その日の記憶は全く思い出せないそうで、気づいたら夜になっていたとの事だった。
母親のその後は、特に目立った意識障害の症状も再発せず普段と変わらぬ生活を送っていた。
その後 肺気腫を患い酸素吸入器のお世話になる身障者となり自宅で介護保健制度を最大限に活用させていただきヘルパーさんに自宅に入ってもらっていろいろとお世話をしてもらっていた。
晩年は胃がんで入院となったのだが高齢で進行が遅かった事も幸いして特に治療らしい治療も行わず早々と退院。
そのまま病院側とヘルパーさんの取り計らいで介護施設に優先的に入所する事が出来た。
その後結婚した妹夫妻の住む自宅近くのホスピタルへ転院。多臓器不全を患い76歳の生涯だった。
母親が施設にお世話になりながらも、存命中に結婚の報告が出来たのは、何よりの親孝行だったかなと思っている。
しかし、人生の岐路となるであろう場面で、すぐに決断出来たのは自分にとって大きな収穫だった。
今後自分の人生の中で重大な事項が発生したとしても、困難は必ず乗り越えられると確信している。
「せん妄」とは、高齢者に比較的多く見られる特有の病気らしいですがその発症するメカニズムなどは未だ良く解明されていないそうで、突然発症し数時間か数週間において症状は続き、その病状は認知症と似ており意識障害を伴うそうです。
一般に周囲の環境からの何らかのストレスなどがその一因子と考えられているそうですが、特に決まった予防法や治療法なども無く専門医のメンタルアドバイスが必要とされます。
今思うと母親は、長年ヘビースモーカーだったせいで、肺気腫を患い充分な酸素が確保出来なくなってそれが一時的な、意識障害を引き起こしたのでは無いかと思っています。
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