現代語訳大乗仏典、中村元著、東京書籍刊。
中村先生の書く仏教の本が面白いのは、サンスクリット語の原典にさかのぼって、
改めて漢訳仏典との対比をしたり、西洋哲学との比較があるところだ。
インドで興った仏教が、はるかシルクロードをこえて、日本へいたった。
まず、仏陀という覚者がいた。
仏陀や弟子たちの言葉が、しだいに経典にまとめた。
多くの人が、不毛の砂漠をこえて、やがて中国へ経典を伝えた。
数奇な運命を生きたクチャの鳩摩羅汁をはじめ、
人生をかけてサンスクリット語から漢語訳した人たちがいた。
日本は遣唐使を派遣して、荒れ狂う海を渡り日本に経典を伝えた。
そして、20世紀の大学者が、原典であるサンスクリット語に回帰し、
西洋哲学との新たな対話の道をひらいた。
こんな哲学があるなんて、それだけで感動。
その仏教の経典の中でも、特に重要視されている「法華経」。
中村先生の文章は本当に素人にも馴染みやすく、
安心して、そして楽しみながら仏教のことばに触れることができる。
恥ずかしながら、「観音経」が「法華経」の最後の部分だと、
この本を読んで初めて知った。
鳩摩羅汁は、私がもっとも尊敬する翻訳者のひとり。
漢字が並んでいる姿を見るだけでも、美しいと思う。
そう。私が中国語を学ぶ最初のきっかけをくれたのは、
鳩摩羅汁の訳した経典だったと思う。
仏教は、妄信することをいさめている。
仏陀の言葉ですら、その意味をよくよく自分の頭で考えるように、と。
なぜなら仏陀は、聴く人の状態によって様々な表現を使っているから、
それが「いまの私」に合うとは限らない。
「法華経」が私の中で熟すには、この人生だけでは足りないだろう。
でも、この素晴らしいことばがある限り、それを熟考する時間を生きるのだから、
輪廻転生もまたよいではないか。
中村先生の書く仏教の本が面白いのは、サンスクリット語の原典にさかのぼって、
改めて漢訳仏典との対比をしたり、西洋哲学との比較があるところだ。
インドで興った仏教が、はるかシルクロードをこえて、日本へいたった。
まず、仏陀という覚者がいた。
仏陀や弟子たちの言葉が、しだいに経典にまとめた。
多くの人が、不毛の砂漠をこえて、やがて中国へ経典を伝えた。
数奇な運命を生きたクチャの鳩摩羅汁をはじめ、
人生をかけてサンスクリット語から漢語訳した人たちがいた。
日本は遣唐使を派遣して、荒れ狂う海を渡り日本に経典を伝えた。
そして、20世紀の大学者が、原典であるサンスクリット語に回帰し、
西洋哲学との新たな対話の道をひらいた。
こんな哲学があるなんて、それだけで感動。
その仏教の経典の中でも、特に重要視されている「法華経」。
中村先生の文章は本当に素人にも馴染みやすく、
安心して、そして楽しみながら仏教のことばに触れることができる。
恥ずかしながら、「観音経」が「法華経」の最後の部分だと、
この本を読んで初めて知った。
鳩摩羅汁は、私がもっとも尊敬する翻訳者のひとり。
漢字が並んでいる姿を見るだけでも、美しいと思う。
そう。私が中国語を学ぶ最初のきっかけをくれたのは、
鳩摩羅汁の訳した経典だったと思う。
仏教は、妄信することをいさめている。
仏陀の言葉ですら、その意味をよくよく自分の頭で考えるように、と。
なぜなら仏陀は、聴く人の状態によって様々な表現を使っているから、
それが「いまの私」に合うとは限らない。
「法華経」が私の中で熟すには、この人生だけでは足りないだろう。
でも、この素晴らしいことばがある限り、それを熟考する時間を生きるのだから、
輪廻転生もまたよいではないか。