スメタナ「わが祖国」より。
今日の午前中、仕事場でラジオがかかっていた。
ふいに、モルダウが始まった。すごく美しい旋律だった。
あれは、小学生か中学生のとき、音楽の縦笛の課題で「モルダウ」を吹いた。
あまりの美しい旋律に、笛を奏でることを本当に楽しく感じ、
旋律とは、人の息吹そのものなのだと思った。
それは、ピアノを弾いている時とは、またひと味違った音との一体感だった。
それ以来、モルダウがかかると全神経が耳に集中してしまう。
仕事でどんな真剣な話をしていても、「あ、モルダウだ」と条件反射。
同僚の女性は、音楽を楽しむとき、曲を聴いて絵のイメージが浮かぶかどうかが
好きな曲とそうではない曲の判断基準だと言う。
それは作曲者の思い描く絵ではなく、彼女自身の心象風景。
私は違って、音だけに集中できるかどうかが、好きかそうではないかの基準。
ある意味視界も、自分という身体のカラも、そして精神の境界すらなくなる世界、
ただメロディーにたゆたい、あたたかく、もわもわしていて、それでいて凛としている、
すべてが渾然一体となった世界。これが私にとって気持ちがいい音楽の世界。
そんな気持ちにさせてくれる曲のひとつがモルダウ。
聴いていると、とてもせつない気持ちになる。
今日は暖かかった。
うちの前の桜が、ほんの少し咲いた。
今日の午前中、仕事場でラジオがかかっていた。
ふいに、モルダウが始まった。すごく美しい旋律だった。
あれは、小学生か中学生のとき、音楽の縦笛の課題で「モルダウ」を吹いた。
あまりの美しい旋律に、笛を奏でることを本当に楽しく感じ、
旋律とは、人の息吹そのものなのだと思った。
それは、ピアノを弾いている時とは、またひと味違った音との一体感だった。
それ以来、モルダウがかかると全神経が耳に集中してしまう。
仕事でどんな真剣な話をしていても、「あ、モルダウだ」と条件反射。
同僚の女性は、音楽を楽しむとき、曲を聴いて絵のイメージが浮かぶかどうかが
好きな曲とそうではない曲の判断基準だと言う。
それは作曲者の思い描く絵ではなく、彼女自身の心象風景。
私は違って、音だけに集中できるかどうかが、好きかそうではないかの基準。
ある意味視界も、自分という身体のカラも、そして精神の境界すらなくなる世界、
ただメロディーにたゆたい、あたたかく、もわもわしていて、それでいて凛としている、
すべてが渾然一体となった世界。これが私にとって気持ちがいい音楽の世界。
そんな気持ちにさせてくれる曲のひとつがモルダウ。
聴いていると、とてもせつない気持ちになる。
今日は暖かかった。
うちの前の桜が、ほんの少し咲いた。