もうあの震災から10年の月日が経った。
あの日、あの時の衝撃や不安は今でも心に強く刻まれている。
地震発生時、僕は車で東名高速を走行中だった。
あまりに大きな衝撃に路肩にすぐに車を止め、とてつもないことが起こっていることをすぐに認識した。
渋谷までは移動できたが、そこから道は動かず赤坂までの3キロほどが4時間。
歩道は徒歩で帰宅する人で埋め尽くされていた。
車のラジオから聞こえてくるあまりの状況。
何が起こっているかわからないまま、演奏予定だったかつてのレストラン・カナユニへ向かう。
周りの人の無事を確認し、街の人々の安心のために何があっても街から灯を消さないことを大切にしているカナユニに向かったのだ。
10年前のあの夜、未曾有の出来事が起こっている中で、カナユニでは素敵なエピソードがあった。
連絡の取れない中で、女性は浅草橋から徒歩で、男性はなんと越谷から自転車で、カナユニにやってきた。
女性の誕生日だったのだ。
会えることを信じて、2人は赤坂に向かったんだよね。
幸せを祝って奏でた音。
そして、祈りを込めて奏でた音、時間。
僕の音楽人生の中で、本当に大切な尊い時間だ。
あの日2人を祝って奏でさせていただいた僕の楽曲「橙」は、僕にとっても大切な楽曲になった。
震災後、南三陸町に伺い、演奏もさせていただいた。
移動中に南三陸町で見たピアノは、僕の心の中にずっと刻まれている。
被災地のあまりの状況に絶句しながら向かい、心に傷を負ったみなさまに僕は何を奏でればいいかギリギリまで深く考えながら奏でさせていただいた。
避難所での生活の中でも、子どもたちの笑顔は本当にかわいらしかった。
演奏後も子どもたちと一緒に遊びながら、「ずっと元気に奏でていくから、このポーズ見たらあの人もがんばってるんだ!がんばろう!って思い出してね!」と約束して写真に収めたのが、僕がいつも写真を撮る時にしているお決まりのポーズなんだ。
楽しんでもらいたくて、この時初めてこんなポーズしたんだよね。
あの子たちももうきっと大人になって、新しい今を築きあげているんだろうな。
(その時の写真、若い…笑)
今は出口がなかなか見えない昨年からのコロナ禍の中で、世界中の人々が日々不安と祈りとともに過ごしている。
でも必ず、太陽は昇る。
東日本大地震の復興も、コロナ禍も、まだまだ時間がかかることだけど、前を向いて、力を合わせて、一歩一歩進んでいこう。
音楽家である僕にできることは、やはり奏でること。
一人でも多くの方が笑顔になれるよう、大切に奏でていくことを、今日あらためて誓う。
東日本大地震で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申し上げます。
そして、全ての人に大きな笑顔が戻りますように。