昨夜の渋谷JZ bratでの今井亮太郎メジャーデビューCD発売記念LIVE-ピアノ・サウダージ-、超満席のお客様の中、本当に素晴らしいライブになりました!
ありがとうございました!
感謝でいっぱいのこのライブのことをはじめ、本当にたくさん書きたいことがあるのだけど、大成功に終わったこのライブのレビューはまたあらためてゆっくりと書くとして、おれにとってどうしてもその前に記さなければならないことがあります。
私事で本当に恐縮なのだけど、JZ bratライブのお礼やこれからの今井亮太郎を綴っていく上でやっぱり触れなければならないことなので記します。
先日1月12日に、おれの音楽を最も理解してくれて、おれが最も尊敬する父 今井洋一が永眠しました。心不全での急死で62歳でした。
前日までとても元気で、本当にまさかの、今でも信じられない出来事でした。
JZ bratライブの前々日、前日の1/14、15と、親父の葬儀をとりおこない、おれは喪主として親父を送りました。
父の突然の逝去という現実を前に、JZ bratでのCD発売記念ライブも正直やるかどうか、というよりもやれるかどうか迷ったけど、このライブを最も楽しみにしていたのが親父だったし、プロフェッショナルとは何かについてとても厳しい親父だったから、親父のためにも、そして今井亮太郎の音楽を待ってくれている素晴らしいたくさんの方たちのためにも、今井亮太郎を支えてくれているたくさんの素敵な方たちのためにも、この新しい船出のライブを予定通り開催しました。
おかげさまで本当に素敵なライブになって、心から、本当に心から感謝です。
おれが大学3年の時、普通の大学に進みながらピアノの仕事が増えていたおれは、ピアノの道でこのまま生きていきたい、と大学まで行かせてくれた両親にお願いをしにいった。
いつも温厚で優しい親父は、とても厳しい顔と厳しい口調でおれに言ったんだ。
「生半可な道じゃない。亮太郎がもし少しでも手を抜くことがあるなら、即やめさせる。それはしっかり心に入れておけ。それから目に見える結果を常に持ってきなさい。プロフェッショナルは経過ではなく、結果が全てだから。」
そして、
「がんばりなさい。亮太郎が結果を出し、手を抜かない限りは応援するから。」
と言ってくれたんだ。
おれはここからプロフェッショナルとは何かを常に考え、そして「結果」を大切にするようになった。
おれにとってはとても大切な言葉で、この親父からの厳しくもありがたい言葉があったからこそ、今日まで一歩一歩この道をしっかり歩めていると思う。
親父は小学校の教諭から、平塚市の教育委員会を経て、小学校の校長までつとめた人で、長い時間教育に熱く携わってきた。親父の教育が認められて、いろいろなところに講演でも呼ばれていたな。
一度だけ聞きに行った親父の講演。「命のつながり」の大切さを情熱的に語る親父の姿と、魅力的な語り口の親父の話を食い入るように見聞きするお客様の顔を、思い出すよ。
親父の人徳なんだろう、親父の葬儀にも二日間で600人くらいの方が駆け付けてくださった。とても盛大な葬儀だったよ。たくさんの方が来てくださり、おれも献奏をして、華やかなことが好きだった親父を、喪主として盛大に送ってやれたのだけはよかったのかな。
この数日間、親父と関わったたくさんの人とお話をしたけど、どの人もみんな「お父様には、本当にお世話になって、穏やかで優しくてたくさん話を聞いてもらったんです。」「今井先生にはいろいろ優しく教えてもらいました。感謝でいっぱいです。」と涙ぐみながら話してくれて、本当に親父はたくさんの人から愛された人徳のあった人だったんだな、ということをあらためて実感したよ。
1/9に発売させてもらったおれ今井亮太郎のメジャーデビューアルバム『ピアノ・サウダージ』。
このCDの発売を最も喜んでくれたのが親父だった。
おれの音楽の最も大きな理解者で、時には厳しいアドバイスもされるけど、いつも的を得ていて、ライブに来てくれれば踊ったり手拍子したり、おれの音楽を誰よりもまず最初に楽しんでくれた。
この一年くらいで、なんとなく親父と話していて、やっと音楽家として親父にちゃんと認められたような気がしてたんだ。
実際、たくさんの人にそう話してくれていたみたい。
そんな親父は、CD『ピアノ・サウダージ』の発売をとても喜んでくれて、『ピアノ・サウダージ』の発売記念LIVEである昨夜の1/16JZ bratを早くから予約してくれてとても楽しみにしてくれていたんだ。
おれの父 今井洋一。
息子のおれが言うのも変だけど、めちゃくちゃカッコいい親父だった。
おれよりも100倍はモテた。
どこに行ってもその人柄と笑顔で誰からも愛され慕われてた。
温厚で底なしに優しくて、でも情熱的で、スイッチが入ると眉間にシワを寄せながら熱く語った。
スポーツマンだったのに、音楽や美術が大好きで、洋服もこだわって、オシャレなオヤジだった。
ちょっとお茶目でおっちょこちょいで、ニコニコしながら少しの背伸びをする、かわいらしい男だった。
親父の周りではみんなが笑顔になる。時には厳しいけど、厳しさの中には優しさが溢れていて、そんな親父がおれは大好きだった。
親父が長年携わってきた教育関係の仕事の仲間、教え子、ご近所の方、友人、親戚、行きつけのお店、おれの周りの人たちにも、その情熱と生き様で、たくさんの人の生き方に大きな影響を与えてきたとても立派な人だった。
親父と一緒に飲む時間がたまらなく好きで、親父とそんな深くゆっくり飲める時間は母が亡くなってからの約二年半だけだったけど、男二人でよく飲みに行った。
親父と二人でよく笑い、二人で涙も流し、情熱的に語り合いながら杯を交わした。
親父の、誰にでも優しくて穏やかでロマンチストで情熱的な世界観は、まさにおれ今井亮太郎の求める音楽そのものだった。
母がくれた溢れんばかりの愛とカラフルでハッピーな世界、そして父のその世界とこそが、おれとおれの音楽を創ってくれたんだ。
おれの両親はこのたった3年足らずの間に二人とも呆気なくこの世からいなくなってしまったけど、おれの音楽の中には間違いなく親父と母さんがいる。
悲しみはそんなにすぐは癒えないだろうけど、親父と母さんの生き様を、メッセージを、しっかりと心に刻みながら、これからの毎日を親父と母さんのように周りの人たちを笑顔にできるような自分になって、一歩一歩、丁寧に真摯にしっかりと歩んでいきたいと思う。
昨夜のJZ bratでのライブ、親父と母さんがおれを産んでくれた誕生日を、素晴らしい仲間たち、素晴らしいスタッフ、素晴らしいみなさまに囲まれて、素晴らしい場所で、大好きなピアノを奏でることができて、大きな幸せを心の深いところから感じながら音を綴ってました。
親父、母さん、おれをこの世に産んでくれて、本当にありがとう。
最高の両親に育てられて、おれは幸せです。
親父、母さん、本当にありがとう!!!!!
おれ、がんばるね!
昨年、父マランドロとともに。
ありがとうございました!
感謝でいっぱいのこのライブのことをはじめ、本当にたくさん書きたいことがあるのだけど、大成功に終わったこのライブのレビューはまたあらためてゆっくりと書くとして、おれにとってどうしてもその前に記さなければならないことがあります。
私事で本当に恐縮なのだけど、JZ bratライブのお礼やこれからの今井亮太郎を綴っていく上でやっぱり触れなければならないことなので記します。
先日1月12日に、おれの音楽を最も理解してくれて、おれが最も尊敬する父 今井洋一が永眠しました。心不全での急死で62歳でした。
前日までとても元気で、本当にまさかの、今でも信じられない出来事でした。
JZ bratライブの前々日、前日の1/14、15と、親父の葬儀をとりおこない、おれは喪主として親父を送りました。
父の突然の逝去という現実を前に、JZ bratでのCD発売記念ライブも正直やるかどうか、というよりもやれるかどうか迷ったけど、このライブを最も楽しみにしていたのが親父だったし、プロフェッショナルとは何かについてとても厳しい親父だったから、親父のためにも、そして今井亮太郎の音楽を待ってくれている素晴らしいたくさんの方たちのためにも、今井亮太郎を支えてくれているたくさんの素敵な方たちのためにも、この新しい船出のライブを予定通り開催しました。
おかげさまで本当に素敵なライブになって、心から、本当に心から感謝です。
おれが大学3年の時、普通の大学に進みながらピアノの仕事が増えていたおれは、ピアノの道でこのまま生きていきたい、と大学まで行かせてくれた両親にお願いをしにいった。
いつも温厚で優しい親父は、とても厳しい顔と厳しい口調でおれに言ったんだ。
「生半可な道じゃない。亮太郎がもし少しでも手を抜くことがあるなら、即やめさせる。それはしっかり心に入れておけ。それから目に見える結果を常に持ってきなさい。プロフェッショナルは経過ではなく、結果が全てだから。」
そして、
「がんばりなさい。亮太郎が結果を出し、手を抜かない限りは応援するから。」
と言ってくれたんだ。
おれはここからプロフェッショナルとは何かを常に考え、そして「結果」を大切にするようになった。
おれにとってはとても大切な言葉で、この親父からの厳しくもありがたい言葉があったからこそ、今日まで一歩一歩この道をしっかり歩めていると思う。
親父は小学校の教諭から、平塚市の教育委員会を経て、小学校の校長までつとめた人で、長い時間教育に熱く携わってきた。親父の教育が認められて、いろいろなところに講演でも呼ばれていたな。
一度だけ聞きに行った親父の講演。「命のつながり」の大切さを情熱的に語る親父の姿と、魅力的な語り口の親父の話を食い入るように見聞きするお客様の顔を、思い出すよ。
親父の人徳なんだろう、親父の葬儀にも二日間で600人くらいの方が駆け付けてくださった。とても盛大な葬儀だったよ。たくさんの方が来てくださり、おれも献奏をして、華やかなことが好きだった親父を、喪主として盛大に送ってやれたのだけはよかったのかな。
この数日間、親父と関わったたくさんの人とお話をしたけど、どの人もみんな「お父様には、本当にお世話になって、穏やかで優しくてたくさん話を聞いてもらったんです。」「今井先生にはいろいろ優しく教えてもらいました。感謝でいっぱいです。」と涙ぐみながら話してくれて、本当に親父はたくさんの人から愛された人徳のあった人だったんだな、ということをあらためて実感したよ。
1/9に発売させてもらったおれ今井亮太郎のメジャーデビューアルバム『ピアノ・サウダージ』。
このCDの発売を最も喜んでくれたのが親父だった。
おれの音楽の最も大きな理解者で、時には厳しいアドバイスもされるけど、いつも的を得ていて、ライブに来てくれれば踊ったり手拍子したり、おれの音楽を誰よりもまず最初に楽しんでくれた。
この一年くらいで、なんとなく親父と話していて、やっと音楽家として親父にちゃんと認められたような気がしてたんだ。
実際、たくさんの人にそう話してくれていたみたい。
そんな親父は、CD『ピアノ・サウダージ』の発売をとても喜んでくれて、『ピアノ・サウダージ』の発売記念LIVEである昨夜の1/16JZ bratを早くから予約してくれてとても楽しみにしてくれていたんだ。
おれの父 今井洋一。
息子のおれが言うのも変だけど、めちゃくちゃカッコいい親父だった。
おれよりも100倍はモテた。
どこに行ってもその人柄と笑顔で誰からも愛され慕われてた。
温厚で底なしに優しくて、でも情熱的で、スイッチが入ると眉間にシワを寄せながら熱く語った。
スポーツマンだったのに、音楽や美術が大好きで、洋服もこだわって、オシャレなオヤジだった。
ちょっとお茶目でおっちょこちょいで、ニコニコしながら少しの背伸びをする、かわいらしい男だった。
親父の周りではみんなが笑顔になる。時には厳しいけど、厳しさの中には優しさが溢れていて、そんな親父がおれは大好きだった。
親父が長年携わってきた教育関係の仕事の仲間、教え子、ご近所の方、友人、親戚、行きつけのお店、おれの周りの人たちにも、その情熱と生き様で、たくさんの人の生き方に大きな影響を与えてきたとても立派な人だった。
親父と一緒に飲む時間がたまらなく好きで、親父とそんな深くゆっくり飲める時間は母が亡くなってからの約二年半だけだったけど、男二人でよく飲みに行った。
親父と二人でよく笑い、二人で涙も流し、情熱的に語り合いながら杯を交わした。
親父の、誰にでも優しくて穏やかでロマンチストで情熱的な世界観は、まさにおれ今井亮太郎の求める音楽そのものだった。
母がくれた溢れんばかりの愛とカラフルでハッピーな世界、そして父のその世界とこそが、おれとおれの音楽を創ってくれたんだ。
おれの両親はこのたった3年足らずの間に二人とも呆気なくこの世からいなくなってしまったけど、おれの音楽の中には間違いなく親父と母さんがいる。
悲しみはそんなにすぐは癒えないだろうけど、親父と母さんの生き様を、メッセージを、しっかりと心に刻みながら、これからの毎日を親父と母さんのように周りの人たちを笑顔にできるような自分になって、一歩一歩、丁寧に真摯にしっかりと歩んでいきたいと思う。
昨夜のJZ bratでのライブ、親父と母さんがおれを産んでくれた誕生日を、素晴らしい仲間たち、素晴らしいスタッフ、素晴らしいみなさまに囲まれて、素晴らしい場所で、大好きなピアノを奏でることができて、大きな幸せを心の深いところから感じながら音を綴ってました。
親父、母さん、おれをこの世に産んでくれて、本当にありがとう。
最高の両親に育てられて、おれは幸せです。
親父、母さん、本当にありがとう!!!!!
おれ、がんばるね!
昨年、父マランドロとともに。