サバ奈子

むかし猫ブログ、いま趣味ブログ

洞爺湖町 野外彫刻 その10

2021-12-13 06:26:47 | 野外彫刻

とうや湖ぐるっと彫刻公園をめぐっています。旧虻田町の洞爺湖温泉街から
始まり、今は湖の北側の旧洞爺村に来ています。

湖景夢想
眞板雅文(まいたまさふみ)

眞板雅文は、水・石・鉄・竹などの自然素材を用い、自然や環境と共生・共鳴
する作品を作っています。

とうや湖ぐるっと彫刻公園 より
作者より 
地球のエネルギーを間近に感じさせる若い山と、穏やかに連なる昔からの山々との調
和の中にある静かな“みずうみ”洞爺湖一帯は、地力の作り出した美しい庭に思えます。
自然の肌を残した石と鉄で、大地の持つ力と空と夢を結んでみたくなりました。

眞板雅文は東京文化財研究所にアーカイブがあったので貼っておきます。

洞爺湖芸術館より東方 400m

洞爺湖芸術館です。
洞爺湖芸術館は、洞爺湖が一望できる湖畔の小さな美術館。北海道を代表
する彫刻家・砂澤ビッキの作品と、「手のひらの宇宙」をテーマにした
「洞爺村国際彫刻ビエンナーレ」の作品、ユネスコ世界遺産主席写真家を
務めた並河万里の写真の他、日本の近・現代文学の初版・限定本のコレク
ションを展示しています。また、特別展やミニコンサートなど、年間を通
して多彩な企画で皆様をお待ちしています。

中も見たかったけど、コロナの緊急事態宣言中のため閉鎖中でした。

敷地内に彫刻があります。

春遊台
1996
加治晋

とうや湖ぐるっと彫刻公園 より
洞爺湖畔の中でも、少年自然の家という目的を持つ公共の場に設置される
ことになった作品。作者は「ここに集う子供達と洞爺の自然の生命力から
『春を学ぶ』というイメージを導き出し、形にした」という。洞爺の人と
自然に彫刻が根付いてほしいという願いがこめられている。

道立洞爺少年自然の家は昭和48年に開館され、その後ネイパル洞爺と名前が変わり
ましたが、老朽化により平成26年に閉館し、今は更地になりえぼし岩公園になって
います。彫刻だけ洞爺湖芸術館に移転してきたのですね。

KAJI

洞爺湖芸術館
虻田郡洞爺湖町洞爺町96番地3

侍従御差遣記念
北海道庁長官石黒英彦謹書

昭和11年10月8日に天皇陛下が洞爺村に入江侍従を御差遣あらせられ聖旨傳達を
賜ふ (省略)
村民一致協力益々奮励努力村の振興を期し(省略)記念として建立
(侍従が来ただけですごいことだったんだなぁ・・と思った)

洞爺芸術村の道を挟んで隣に、老三樹記念公園があります。

立派な大木の隣に

木陰になりますが、胸像があります。

大久保諶之丞翁と洞爺村の開拓
大久保諶之丞翁は、嘉永2年(1849年)8月16日、265年に亘る江戸幕府が、黒船
の来航、倒幕運動の高まりにより、あと18年で崩壊する世情極めて不安定な時代
に、香川県三野郡財田上ノ村奥谷に生まれ、その後、明治維新という日本の政治、
経済、社会が激動する中にあって幅広く数多くの業績を残されました。特に洞爺
村の開拓に関わり深い北海道移住については、明治20年北海道移民周旋医院、
さらに明治21年県議会議員となり北海道移民奨励会を設立、そして明治23年には
移民推進のため北海道に渡り、現地調査と多くの移民者に激励を贈るなど、翁の
北海道移住に寄せる情熱は計り知れないものがありました。 
明治20年3月29日、三橋政之を団長とし、22戸76人が多度津港を出発、43日間を
費やし、期待と不安の思いをこめ原始の森「洞爺村」に第一歩を印しましたが、
一鍬一鋤血の滲む開墾に精魂を傾けた先人達は、冷害、早霜、虫害等、自然条件
の厳しい洗礼を受け、開拓に挫折感を抱きました。そんな時、開拓者の父、母と
も仰ぐ郷里財田村の大久保諶之丞翁より寄せられる財政支援、助言等がどれほど
励みになったでしょうか。しかしなんと言う過酷な運命でしょう。現議会で討議
中の翁は、突然倒れ、明治24年12月14日、志半ばで42歳の短い生涯を閉じたので
す。
粉雪の舞う、とても寒い日だったそうです。
時は流れ、開村110年の大きな節目に姉妹町村財田町よりご寄付いただいた翁像は、
洞爺村開拓の円とも言える老三樹に寄り添うように設置され、洞爺村の限りない
発展を見守り続けているのです。

こちらの胸像については、とうや湖ぐるっと彫刻公園には載っていません。

銘板がなく作者はわかりませんが、

背中に
朱越
'95原鋳造所
とあり、香川県出身の織田朱越(おだしゅうえつ)と思われます。

織田朱越は昭和57年に亡くなっており、設置は平成7年(1995年)なので、
香川県立琴平公園(琴平町)に昭和35年に建立された全身像を胸像に複製
したものと思われます。

週刊みとよほんまモンRadio! 大久保諶之丞の銅像 の 秘密!? によると
財田町にある大久保諶之丞翁の胸像と洞爺湖町にある大久保諶之丞翁の胸像は
お互いに向き合っているのだそうです。

この胸像は元々姉妹都市である財田町から寄贈されたものなので、同じものが
財田町にあるのは納得します。

大久保諶之丞翁
洞爺湖町三樹園

コメント
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