最乗寺と中原街道の間にあった工場が取り壊されことで、その向こうにあった消防庁の訓練施設が山門からよく見えるようになりました。
この訓練施設がある場所には、もともと勝田消防署が建っていました。
小さい頃に入っていた町内会の子供会では、冬の火の用心の集合場所に勝田消防署の体育館が使われていました。
外に出るまでの間、消防隊のお兄さんたちが遊んでくれたことを思い出します。
けれど数年前、都筑消防署との合併と中原街道拡張計画に伴い、勝田消防署は取り壊されることに…。
ただ、もともとあったレスキュー隊の訓練用の施設だけは残すことになったようです。
雨の日も風の日も、炎天下の日も氷点下の日も、毎日毎日訓練の声が境内にまで響いてきます。
自分のいのちだけでも重くて重くて。
自分が生きるだけでもいっぱいいっぱいで。
そんな私の広げた両手で掴めるのは、せいぜい家族の片手くらいで。
それが普通なんだと納得することで、責任逃れをしようとしている私がいて。
でも、それでも、助けるための努力を惜しまない人たちの声を毎日聞き続けていると。
命を救うということに見合うだけの終わりなき鍛錬の光景を見続けていると。
私が責任逃れをしようとしている、いのちの重みを実感せずにはいられません。
取り壊された工場の跡地には、何棟かの住宅が建つそうです。
それが完成すれば、また訓練施設は見えなくなるでしょう。
見えなくなっても、いのちの重さを教えてくれる声は聞こえてくるはず。
その声に耳を傾け続けられる私でいたい…、そう思いました。