久々に、大学時代の友人からメールがきました。
お寺に嫁いで、今は2歳の子供がいる彼女。
近況報告の文面には、フィギュアスケートを習い始めたとありました。
…子供じゃなくて彼女が、です。(笑)
その前にきたメールでは、僧侶になったから頭がツルツルで寒いとあったのを思い出しました。
メールのたびに、想像を超えた進化を遂げる彼女に、「常識」とか「普通」とか、無難な固定概念で身を守っている自分に気づかされます。
スケートを習い始めた理由が「跳びたいの! 跳んでみたいと思わない!?」というシンプルさが新鮮です。
それでも私は、「すでに君の人生がぶっ飛んでるから、これ以上飛ばなくていい」と返しました。
誰も彼もが進化しなくていいし、停滞にまどろむことを望む人間が、彼女に何かを気づかせることもあるだろう思ったから。
理解することも、寄り添うことも、決してできない思考の持ち主ですが、そんな友人のメールを心待ちにしている自分は、きっと理解し合えないギャップを楽しんでいるのでしょう。
普段は理解し合えないことを嘆くばかりですが、理解し合えないからこそ面白いこともあるのでしょうね。
ちなみに、去年の傑作メールは、「輪番停電で夜が暗いからミラーボールを買った」というのがありました。
彼女との埋めようのないギャップが、停滞を好む私には何より心地よく感じます。