昔読んだ骨董関係の書籍によると、昔は元禄あたりまでの伊万里が「古伊万里」で
それ以降の時代の品は「幕末の雑器」として骨董としては評価されていなかった時代があったか。
現在はそんなことはありませんが、やはり初期から盛期までの伊万里は評価が高く(品物にもよりますが)
結果的に値段も高いというのが現実なのは確かです。
前置きが長くなりましたが、今回の伊万里は江戸中期末に近い時代の品と思われる「色絵くらわんか五寸皿」です
見込み中央に草花文、外側には草花文と鳳凰が描かれています
見込み外側の薄い緑色に塗られた部分は、釉剥ぎした上から色絵付けされており
この品が重ね焼きされた量産品であることが判ります。
裏面はこのタイプの品によく見られる絵付けがされています
くらわんか手の色絵皿としては上手の品のように思いますが、いたって安い値段ではありました。
この品、関東の業者さんがヤフオクに出品したいた品なんですが、業者さんは
「江戸時代 17世紀 初期色絵皿」というタイトルで出品していました。
古伊万里をある程度見慣れた人なら、この品が初期赤絵ではなく時代的に100年ほど下がる時代の品であることが判ると思いますが
折角ですので、ウチにある初期赤絵と比べてみたいと思います。
まずは典型的な初期赤絵の小皿です
同じように釉剥ぎされていますが、初期赤絵は古九谷様式に近い時代の品ですので、色絵の絵付けがかなり厚塗りです
↓は今回の「色絵くらわんか」を斜めから撮影した画像ですが、言うまでもなく色絵が薄塗りであることが判ります。
また、初期赤絵の絵付けには力強さがあるように感じられます
中期に波佐見あたりで焼成された量産品の色絵古伊万里というのが、この品の実体なのは間違いないところですが
意外にありそうでないタイプの品なのかも知れません。
中央の花など、初期色絵の面影を残していると思います。
この品も私のウオッチリストに入っていました。
でも、やはり酒田の人さんの所へ行った方が、皿も幸せでよかったと思います(^.^)
<土江田氏はこれから蒐集を始めるという人へ次のような言葉を贈っています。>
「素晴らしいものを見て感動するというか、感性を磨くというか、審美眼を高めて欲しいと思います。
最初は失敗もありますよ、それは。数を集めればいいとか、使えればいい、というのではなく、せっかくこの世界に入ったんだから、どんどん上を目指して欲しいですね。」
とありましたが、酒田の人さんは、それを実践されているわけですね(^-^*)
最近では、審美眼も高まり、このようなものもコレクションするようになったのですね(^-^*)
ところで、私が古伊万里のコレクションを始めた頃は、「元禄あたりまでの伊万里が「古伊万里」で、それ以降の時代の品は「幕末の雑器」として骨董としては評価されていなかった」ですね。
この小皿などは、その点、微妙な位置関係にあったように思います。江戸前期の古九谷様式でもなく、そうかといって「幕末の雑器」でもないですから、「不明なもの」とされていたと思います。
酒田の人さんは、審美眼が高まり、このようなものも「古伊万里」と認めるようになられたわけですよね(^_^)
なお、名称の問題ですが、私は、「くらわんか手」という名称には、抵抗があるんです。
最近は、江戸中期の波佐見諸窯で作られた物を、全て「くらわんか手」としているのですよね。
以前使われていた「くらわんか」という名称の意味とは随分とかけはなれた意味で使用されているんですよね。混乱が増すばかりです(><)
波佐見町教育委員会の学芸員の誰かが使い出し、それが普及してきたらしいですけれども、その辺は、整理してほしいなと思っているところです。
これぞ「似たような人がいるもんだ」というものでしょうか。
初期赤絵でないことは最初から判っていたので、この手ならこれ以上出せない
という金額で入札しておいたら、そのまま落札されていました。
適度に粗放で見所のある品ではあるようです。
ワタシの古伊万里収集歴も20数年になりますので
近頃は定番的な中期までの品以外に目が行くようになりました。
値段や時代ではなく、自分が気に入った品を収集するというのは本筋であることが
近年ようやっと判って来た次第です。
「くらわんか手」の件、確かに違和感はありますよね
いっそ広義の古伊万里で主に波佐見で焼かれた品という説明が合っているのかも知れません。
私としても「くらわんか」でイメージするのは厚手で重く、粗放な絵付けの染付皿ですので
そういった見地から言えば、今回の品などは「くらわんか」と呼ぶには問題がありそうです。