鮎毛バリ釣りと金沢サクラマス情報その2

金澤孔雀鮎毛バリ本舗 「けばりや中山」
加賀伝統工芸研究所 ・毛バリ部門

現代版「百工比照(ひゃっこうひしょう)」作成へ

2009-02-20 13:10:00 | ノンジャンル
 
現代版「百工比照(ひゃっこうひしょう)」作成へ
金沢市が21年度から 伝統工芸の解説書や映像を記録

 金沢市は新年度、伝統工芸の職人や有識者による
 検討委員会を設置し、資料収集や学術研究に着手する。
 五年計画で各分野の技の粋を伝える解説書づくりや、
 映像による制作工程の記録などを通じ、伝統工芸の
 厚い土壌を将来に引き継ぐ。


研究テーマとしては加賀友禅や九谷焼、金沢仏壇といった
伝統工芸の技法、道具、素材などが想定されている。

加賀竿や菓子木型、手捺染(てなっせん)型彫刻など
既に後継者が途絶えた伝統工芸品の復興


和傘や銅鑼(どら)など希少伝統工芸品の継承支援にも
取り組む。

さらに、ガラスに金沢箔(はく)を張り付ける技術など、
伝統工芸の新たな取り組みについても資料収集、
研究を進める。

加賀友禅の制作工程。
工程の様子も現代版「百工比照」に収められる



加賀藩「百工比照
加賀藩五代藩主前田綱紀が当時の工芸技術をえりすぐって
まとめた「百工比照(ひゃくこうひしょう)」
 工芸各分野にわたる資料の集大成。
各種伝統工芸の実物見本やひな型、図などがある。

保管は材質・用途・形態別に11の箱と付属の2つの箱に
収まり、総点数は2000点以上にのぼるとされる。
前田育徳会が所蔵し、1975(昭和50)年に一括して
重要文化財に指定された。


参考文献
北國新聞2009年朝刊より

ひとりごと

15年前と平成19年の2度だけ石川県立美術館で
「百工比照」が展示されました。
日本各工芸の見本集められ論理的に整理されていました。
途絶えた技術の見本が多く、また、産地が消滅した所も
多いそうです。
展覧会の時には、全国の職人さんが訪れたと、係り員さんが
話しておられました。
技術を再興することで、有名になった人も数多いそうです。

15年前の展示会の時は、永六輔さんがわざわざ
見においでたそうです。
ラジオで、
「百工比照」展が開催されたら、日本の職人さんは、
見に行ってください
とおっしゃっていました。

なぜ江戸時代に職人が金沢に集まったのか?

全国で選抜試験をして、優秀な職人が
加賀藩に扶持(現在の給料)
と屋敷を貰って、工芸品を作れた。
全国で、職人さんが腕を磨き加賀藩
に召抱えられる希望があったから。

召抱えられた職人さんは、金沢城の内の
御細工所(おさいくしょ)に登城した。
御細工奉行の下で働いた。

現在の御細工所
「金沢卯辰山工芸工房」
となって、平成元年に再興された。
各分野の専門家が、育成されいます。
試験に合格すれば、手当てが貰えて技術が磨けます。
講師は、間国宝の方や専門家が随時招聘されています。

加賀藩のお宝は、どこにあるの?

何故か、加賀藩もお宝は、東京の前田育徳会にあります。
前田家の宝でなくて、加賀藩(石川県・富山県)240年間の
地元のお宝が、東京の個人・法人蔵なんでしょうか。

明治の始め、武士は、一時金を貰って給料も屋敷も
没収されました。

本来、金沢のお城に宝物館を造って加賀藩のお宝が
保存展示してあると思っていました。

名古屋には、尾張藩のお宝の保存館があります。

金沢になんで加賀藩のお宝が保存されて
いないのでしょうか?

地元が管理するのが本当の姿ではないのでしょうか。

そのお宝が、明治時代から、前田育徳会が東京で
法人化されるまで、宝物が売りつづけられ、生活費に
なっていました。皇族に嫁いだ方が一度身に着けた
装飾品、服は2度着ない、と決めて、実行しました。
外遊について行く時は、すべて、前田家から出費。
財産がどんどんなくなりました。

最後の前田藩最後のお姫様が、池田藩のお殿様にお嫁に
行ってから書かれた本に詳しく書かれています。

加賀藩の東京の屋敷地も、国に売ってしまいました。
現在東京大学の敷地になっています。

返えせないのは、東京の空襲の時にお宝を守ったから
だそうです。

それなら、前田育徳会の管理人さんもお宝も金沢に
帰ってきて下さい。
金沢の惣構えの中に住んでいたのですから帰ってきて
ください。

金沢城の三の丸に保存館を造って、保存、展示を
することを提唱している方もおいでます。

ひとり言終わり
 

コメント
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