「能登丼」(のとどん)
☆能登には「能登丼」(のとどん)という丼が
「町おこし」運動が広がり全国から
B級グルメファンが大挙やってきています。
B級グルメ(^。^)
D級グルメ(どんぶりグルメ)
能登丼めぐり隊(テレビ金沢)の一部
能登丼めぐり隊
「能登丼」大人気、パンフレット5万部底つく
明るく楽しく、美味しい「能登半島」
能登丼の定義
素材
・奥能登産のコシヒカリ(米)を使用。
・奥能登の水を使用。
・地場でとれた旬の魚介類・野菜または地元産の
伝統保存食を使用。
●食器
・能登産の器を使用。
本物の輪島塗のドンブリ
珠洲焼のドンブリ
・能登産の箸を使用。
☆使った箸はお客様にプレゼント。
●調理
・健康、長寿、ヘルシーにこだわった。
(塩分控えめ、動物性油を使わない、もしくは少量使用)
・オリジナリティ(奥能登らしい、店独自のもの)
あふれる丼です。
・奥能登地域内で調理し、提供致します。
☆参加店舗全てがオリジナルドンブリなので
同じ物がありません。
「能登丼」スタンプラリーは、好評のうちに
終了したそうです。
食材と米と器、箸まで能登産です。
輪島塗の器は、店によって全て異なります。
○輪島塗器を本来の実用品として使う
きらびやかな蒔絵の輪島塗の飾り物のでない器。
○江戸時代から明治、大正、昭和と普段使われていた
無地の輪島塗の器です。
無地の輪島塗のお膳のセットは、北陸の旧家にあります。
寺院、自宅で仏教行事、法事、報恩講、
冠婚葬祭に使いました。
蒔絵などは、殆んどありません。
○蒔絵は突然江戸末期か明治に輪島塗に現れた。
輸出美術品や贈答品に施された。
蒔絵の書かれた輪島塗で食事しているのを
見たことがない。
いや、家になかった。
聞書き
蒔絵はどこからきたのか?
江戸時代、先祖が京都から招かれた金沢の仏壇屋さんの
奥さんから聞きました。
江戸時代から今日まで、京都の本家と行き来があります。
奥さんは、輪島塗りの蒔絵と螺鈿は、わての家の弟子だった
蒔絵師が行って書き始めた。
聞書き終り
(どの文献にも出ていない)
○旧家にある輪島塗のお膳は、桐の大きな箱に
1組ずつしまわれてあります。
朱塗りの分厚い器は、お坊さん用。
黒い塗りの器は、お客さん用。
使用頻度が高い器は、高価でも親子代々使える器です。
欠けたり、割れたりしても、買った工房で
塗り直しして下さいます。
日常、いいものを使うことで
物を大事にする習慣が、身に付きます。
○輪島塗の器
軽い
保温性がいい
暖かい物を入れても、器もてる
塗り直しをすれば、いつまで使える
良い物を観る感性が、自然につく
○思考パターンを日本人本来に戻す
高くても使いやすく、長く使える物を選ぶ
壊れても捨てない、修理して使う
○能登丼の具材は、漁獲量が少なくて市場に出ない
美味しい魚も出て来ます。
■問い合わせ先
奥能登ウェルカムプロジェクト推進協議会
うぇるかむ奥能登